第十七話 約束の残り
ヴァルガルドを呑み込んだ地下水路の捜索は、その日の夕刻を待たずに縮小された。
古い水路図を持つ盾守と兵士たちは下流側の出口をいくつか確認し、岩壁へ巨大な何かが擦れた跡や、雷で焼けたような焦げ跡までは見つけたらしい。だが、その先で痕跡は途切れており、流された灰角王がどこで止まったのか、魔核が今も再構築体の中にあるのか、それとも途中で別の場所へ移ったのかまでは分からなかった。
俺の《不具合鑑定》にも、それを追いかける力はない。
崩落した床には、自然劣化だけでは説明しにくい古い損傷が仕込まれていた。そこから「誰かが崩れる条件を作った可能性が高い」という仮説までは立てられるが、傷を入れた人物の顔も、目的も、流された魔核の行き先も表示されるわけではない。
「これ以上、兵を入れるのはやめる」
崩落区画を封鎖する前、マレクがそう決めた。
俺が穴の奥へ視線を向けると、彼は先回りするように続けた。
「魔核が残っているのは分かっている。だからこそだ。あれが下流で動ける状態に戻っていたら、最初に見つけた兵が死ぬ」
「でも、このまま放置するわけにもいかないでしょう」
「放置はしない。下流の集落と砦には警戒を出すし、水路の出口も監視する。ただし、見つけても近づかせない。討伐する戦力もないのに、発見したという理由だけで兵を突っ込ませるのは捜索じゃない」
マレクの判断は、冷たいようでいて筋が通っていた。
俺たちはヴァルガルドを取り逃がした。
けれど、その失敗を取り戻すために別の人間を危険へ押し込めば、今度は俺たちがバスティオンと同じことをする。
「……分かりました」
「ラグナの戦いは終わった。ヴァルガルドは終わっていない。今は分けて考えろ」
その言葉を聞いて、俺はようやく穴から目を離した。
何でも一つの事件としてまとめてしまうと、どこまで終わっていて、何がまだ残っているのか分からなくなる。
品質管理でも同じだった。
原因が似ているというだけで複数の異常を同じ不具合として処理すると、最後にはどれも正しく直せなくなる。
俺たちは崩落区画を封鎖し、地下を出た。
―――
地上へ戻ると、ラグナはすでに戦いの翌日を始めていた。
崩れた城壁では石工と兵士が瓦礫を選り分け、使える石だけを積み直している。城内へ侵入した魔物の死骸は街の外へ運び出され、治療所には怪我人が列を作っていた。
城外では、長いあいだバスティオンに水を奪われていた水路へ、細い流れが戻っている。
全部が元へ戻ったわけではない。
枯れた畑はそのままだし、失った家畜も、死んだ人間も帰ってこない。それでも、人々は瓦礫の横で食事を作り、明日直す場所を決め、今日使える井戸の数を数えていた。
完全な盾より。
ずっと不完全だ。
だからこそ、自分たちで次を決めている。
「トーマ!」
伝信塔の下から、聞き慣れた声が飛んできた。
ネネが両腕いっぱいに記録紙を抱え、こちらへ走ってくる。赤茶色の三つ編みは結び直されていたものの、毛先にはまだ煤が残っており、灰色の作業着にも泥や擦れた跡がそのまま残っていた。
「ちょうどよかった。これ、持って帰って」
渡されたのは、第四伝信塔から送られたことになっていた偽信号の写しだった。
内容を見なくても覚えている。
第四伝信塔、異常なし。
街道の魔物は排除済み。
そして。
見習い伝信士ネネ・アシュ、死亡。
目の前で本人が息を切らしているのに、紙の中では今も死者だった。
「原本は?」
「ラグナへ残す。この写しは王都へ持っていって、リゼットさんにも見せて」
「王都にはもう報告を二通送りましたよね」
「あれが届いた保証はないでしょ」
ネネは当然のように言い切ると、俺の持っている黒い記録帳を指差した。
「一個しかない記録は消せる。二個でも足りないなら三個残せばいいの。伝信士は、届いたと思って終わりじゃない」
十五歳にしては、ずいぶん物騒な学び方をしたと思う。
ただ、間違ってはいない。
「分かりました。リゼットにも直接渡します」
「絶対だからね」
俺が偽信号の写しを帳面へ挟むと、ネネはようやく少し肩の力を抜いた。
「ネネはどうするんです?」
「しばらくラグナに残る」
てっきり第四塔へ戻るか、王都で事情を聞かれると思っていた。
「いいんですか?」
「第四塔の調査が終わるまでは帰れないし、ここの伝信記録も全部見直さないと駄目だから。偽の符号がまだ残ってたら、今度は私が見つける」
少し間を置いて、ネネは声を落とした。
「……兄さんの疑いも、まだ正式には晴れてないし」
虚偽の退避信号を運んだ罪人として、縄で縛られていたアルト。
伝信室での働きで扱いは変わったが、容疑そのものが取り消されたわけではない。
晴らしたい。
それが本音なのだと思う。
それでも彼女は「兄のために残る」とは言わなかった。
自分の仕事と、自分の願いを混ぜないようにしている。
十五歳なのに。
いや。
十五歳だからこそ、必死に分けているのかもしれない。
「無茶はしないでください」
「それ、トーマが言う?」
「どういう意味です」
「自分が一番危ない地下まで行ってたくせに」
「必要だったので」
「私だって必要なら行く」
「だから駄目です」
「何で!」
言い争いになりかけたところで、後ろからのんびりした声が割り込んだ。
「二人とも、元気ですねえ」
振り返る。
カイが治療所の壁へ片手をつきながら、こちらへ歩いてきていた。
右肩にはまだ厚い包帯が巻かれている。呼吸も完全には戻っていないはずだが、無造作な茶髪も、琥珀色の目も、王都を出た時と変わらない。
「カイ。歩いていいんですか」
「会って最初の言葉がそれですか」
「宿駅で残された理由を忘れてませんよね」
「忘れていません。今回は医官の許可をもらっています」
そう言って、カイは懐から小さな木札を取り出した。
移送可。
短距離歩行可。
その下には、わざわざ大きな字で「戦闘不可」と書かれている。
「この最後の一行は?」
「医官の趣味でしょう」
「あなたの実績でしょう」
カイは視線を逸らした。
中継宿駅で治療師から最低三日の療養を命じられ、マレクからも許可が出るまで動くなと言われていた。それでもカイは翌日には寝台を降り、ラグナ方面へ向かう補給・負傷者搬送便へ強引に乗り込んだらしい。
「ラグナへ入ったのはいつです?」
「北側の補給門へ着いた直後ですね。治療所へ行く途中で警報が鳴りました」
「それで?」
俺が聞くと、カイはネネを見た。
「この人が追われていました」
ネネが指を二本立てる。
「二回目」
「何がです?」
「助けられたの」
街道でも。
ラグナでも。
カイはネネを助けた。
「次は私が助けるから」
ネネが真剣な顔で言うと、カイは少し困ったように笑った。
「お礼なら宿駅で先払いしてもらったでしょう」
「いつ?」
「痛みは後払いできますが、お礼は先に受け取ると申し上げたはずです」
ネネはしばらく考え、思い出したらしい。
「あれ、まだ有効なの?」
「一度受け取ったものに期限はありませんよ」
「じゃあ借りじゃない?」
「そういうことです」
ネネは納得していない顔をしたが、カイはそれ以上取り合わなかった。
俺は二人のやり取りを見ながら、宿駅で別れた時のことを思い出していた。
傷が来るまでの十秒。
本人も数えていると言ったカイへ、俺は一人で確認するなと伝えた。
「カイ」
「はい?」
「次に《後払い》を使った時の話、覚えてます?」
「傷を受けた瞬間に言う。一人だけで数えない」
先に言われた。
「ちゃんと覚えてるじゃないですか」
「私は物覚えがいいんですよ」
「なら守ってください」
「努力します」
「そこは約束してください」
カイは俺を見たあと、ほんの少しだけ笑みを薄くした。
「分かりました。約束します」
軽い調子はいつもと同じだった。
なのに。
なぜか、その言葉だけが少し引っかかった。
理由は分からない。
だから俺は、その違和感を記録帳へ書くこともなく、胸の奥へ残した。
―――
出発前に、バスティオンの盾守とも最後の確認をした。
停止した選流環の前には何枚もの記録板が並べられ、そこには徴収対象、徴収量、使用時間、使用目的、承認者という新しい欄が作られていた。
まだ制度と呼べるほど整ってはいない。
ただ、昨日まで存在しなかった欄だ。
「被害を受ける可能性がある地域も記録してください」
俺が言うと、盾守は顔も上げずに答えた。
「書いてある」
「一人で決めないことも」
今度は顔を上げた。
「お前に言われると腹が立つな」
「どうしてです?」
「昨日までの盾を止めた張本人が、一番細かい」
「止めたからですよ」
今まで間違っていたのなら、同じ人間へ「今度は気をつけてください」と頼むだけでは再発防止にならない。
誰が使っても同じ確認を通るようにして、ようやく仕組みになる。
盾守は呆れたように息を吐いたあと、記録板へ指を置いた。
「王都と正式な規則を決めるまでは、都市全体を覆う障壁は使わん。必要なら備蓄魔石から先に使い、それで足りなければ人間が対象を決める。選流環を使った場合は、この記録を残す」
「隠さない?」
「隠さない」
短い返事だった。
でも。
それで十分だった。
地下のさらに奥には、完全に《固定》されたままのユーリクがいる。
生きているのか、死んでいるのか、それすら今の俺には判断できない。解除する方法も、元へ戻せる保証もない以上、「助ける」と簡単に言うことはできなかった。
だから、地下への扉を出る前に一度だけ振り返り、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「戻す方法を探します」
それ以上の約束はしなかった。
―――
ラグナを発つ前の夜、城壁の上にセラを見つけた。
医官から休めと言われているはずなのに、左肩を固定したまま石壁へ背中を預け、城外に戻り始めた水を眺めている。脇腹にも包帯が巻かれ、右脚を庇う癖も残っているのだから、どう見ても夜風に当たっていい怪我人ではない。
「何してるんですか」
「見れば分かるだろう」
「怪我人が夜の城壁で立っていることしか分かりません」
「なら、それでいい」
相変わらずだった。
少しだけ安心して、俺も隣へ立つ。
しばらくは、風と水の音だけが続いた。
先に口を開いたのはセラだった。
「トーマ。王都を出る前にした話を覚えているな」
聞かれなくても、何のことか分かった。
ラグナで城護盾を調べれば、セラと神造兵器の接続について何か分かるかもしれない。そう話した俺に、セラは自分に関係することなら自分にも話せ、一人で結論を出すなと求めた。
俺は約束した。
「覚えてます」
「なら話せ。バスティオンを見て、私について何が分かった」
いつか聞かれることは分かっていた。
それでも、実際にその時が来ると喉が乾いた。
「断界剣だけじゃありませんでした。バスティオンも、セラを普通の使用者とは違うものとして扱っています」
「何が違う」
「使う側というより、管理する側に近いです。セラが接続したあと、古い非常時権限が開いた可能性が高い。現役の盾守ですら戻せなかった徴収上限まで動きました」
セラの眉がわずかに寄る。
「私は何も命じていない」
「分かっています。だから《完全適合》だけでは説明しきれないと思っています」
断界剣とバスティオンは、用途も構造もまるで違う。
それなのに、どちらもセラへ通常とは異なる接続を行った。
そして。
「ヴァルガルドもです」
「カギ」
セラが自分で口にした。
「はい。あいつは何度も、セラをそう呼びました」
別々の神造兵器。
災厄。
それらが、同じ一人の少女へ異常な反応を示している。
偶然で片づけるには、もう重なりすぎていた。
「だから、セラと神造兵器の間には《完全適合》とは別の共通した仕組みがある。そこまでは、かなり可能性が高いと思っています」
言葉を止めると、セラはすぐには答えなかった。
風で銀髪が頬へかかったが、それを払おうともせず、ただ俺の顔を見ている。
やがて。
「それで、全部か」
と聞いた。
短い問いだった。
俺は、その一言にすぐ答えられなかった。
沈黙した時点で、答えたのと同じだったのだと思う。
「違うんだな」
「……はい」
嘘をつくこともできた。
今分かっているのはそれだけだと答えてしまえば、少なくとも今夜は終わる。
でも、それでは王都で事情を聞かれた時と同じになる。
言わなかっただけで、嘘ではない。
そんな言い訳を、また使うことになる。
「お前の目には何と出ている」
セラが自分の胸元を指した。
頭の中に、何度も見てきた文字が浮かぶ。
神造兵器・第九号。
統制鍵。
封印不完全。
七十二パーセント。
そして、残された時間。
「文字は出ています」
「何と」
俺はセラから目を逸らさなかった。
「今は、まだ言えません」
怒鳴られると思った。
けれどセラは声を荒らげず、少しだけ目から温度を消した。その変化の方が、怒られるよりずっときつかった。
「いつからだ」
「断界剣の事件の時からです」
「最初から?」
「はい」
セラは城壁の外へ視線を戻した。
水の流れる音が、妙に大きく聞こえた。
「私は斬らなかった」
その言葉だけで、何を言われるのか分かった。
「……はい」
「ヴァルガルドを斬れば、もっと楽だった。少なくとも最後の攻撃を止める方法はあった」
「はい」
「それでも、お前が斬るなと言ったから斬らなかった」
理由を全部説明できなかった俺を。
セラは信じた。
命が危ないところまで追い詰められても、その判断を変えなかった。
「私は、お前が何を見ているのか全部知らなかった。それでも、お前の言葉を信じた」
セラがこちらを見る。
「なのに、私が自分について何を知るかは、お前が決めるのか」
何も返せなかった。
昨日の俺は、バスティオンから「勝手に選ぶ権利」を取り上げた。
誰から奪うのか。
何を奪うのか。
どれだけの負担を押しつけるのか。
神造兵器ではなく人間が決めるべきだと主張した。
その俺が、セラが何を知るのかを本人の代わりに決めようとしている。
「セラのために――」
口から出かけた言葉を、セラが首を振って止めた。
「それは言うな。私のためだと言われたら、お前は自分が正しいことをしていることになる」
声は静かだった。
「違うだろう」
長いあいだ返事ができなかった。
守りたい気持ちは本物だと思う。
でも。
それだけではない。
「……俺が怖いからです」
セラの視線が動く。
「何が」
「話した後が。セラが変わることも、周りがセラを見る目が変わることも、今みたいに話せなくなることも怖い。俺が見た文字の意味を間違えていて、その間違いでセラ自身まで自分を決めてしまうことも怖いです」
言ってしまえば。
ただの臆病だった。
《不具合鑑定》を絶対視したくないという理屈の後ろへ隠れて、俺自身が答えを見るのを怖がっている。
セラはしばらく俺を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「そうか」
それだけだった。
責められなかったことに安心しかけた時、セラが続けた。
「今は聞かない。今のお前に聞いても、話さないだろう」
否定できない。
「だから待つ」
そして彼女は、今度こそ正面から俺を見た。
「ただし、私はお前を信じた」
胸の奥へ、その一言が重く落ちた。
「いつか、お前も私を信じろ」
「……はい」
今の俺には、それ以上の答えがなかった。
セラは頷かなかったし、笑いもしなかった。そのまま城壁を離れ、俺の横を通り過ぎていく。
普段なら「腹が減った」だとか「歩くのが遅い」だとか、何か一つ余計なことを言う。
今夜は何もなかった。
俺たちの間にできたのは、決裂と呼ぶほど大きなものではない。
手を伸ばせば届くくらいの距離だ。
それでも。
その距離を作ったのが俺であることだけは、はっきり分かった。
―――
翌朝、ラグナの城門前には王都へ戻るための馬車が用意されていた。
行きに使った急行馬車ではない。
セラもカイも移送そのものは許可されているが、傷が治ったわけではない。行きと同じ速度で二人を揺らし続ければ、王都へ着く前に治療をやり直すことになる。
カイが馬車へ乗り込もうとすると、ネネが後ろから呼び止めた。
「カイ」
「はい?」
「今度会った時、また怪我してたら怒るから」
「それは困りましたねえ。騎士という仕事は、怪我と縁が深いので」
「じゃあ死なないで」
カイの笑顔が、一瞬だけ止まった。
本当に一瞬だった。
「努力します」
「そこ、約束じゃないの?」
「できない約束はしない方がいいでしょう」
その返答に、ネネは不満そうな顔をした。
「セラも」
「何だ」
「死なないで」
「できない約束はしない」
「何で二人とも同じこと言うの!」
ネネが怒鳴り、俺は思わず笑った。
すると今度は俺を指差す。
「トーマもだからね。一番死にそうじゃない顔して、一番危ないところへ勝手に入るんだから」
「勝手ではありません」
「地下へ行く時、私に全部説明した?」
「……してません」
「ほら!」
返す言葉がなかった。
「気をつけます」
「約束」
俺は少し考えた。
できない約束をするべきではない。
でも。
何も約束しないのも違う気がした。
「一人で決めて危ないところへ行かないようにします」
「それならよし」
なぜか十五歳に採点された。
馬車が動き始める。
ネネが城門の前で手を振り、その背後には盾守と城主、傷だらけのラグナの城壁が見えていた。
この街にはバスティオンが残った。
ただし。
もう、誰を盾の外側へ置くのかを、盾自身には決めさせない。
これからは人間が決める。
迷って。
揉めて。
間違えるかもしれない。
それでも、自分たちで責任を持つ。
城門が遠ざかるまで、俺は窓からラグナを見続けた。
―――
同じ頃。
ラグナから遠く離れた場所で、二人の人影が石造りの長い階段を下りていた。
先を行くミレアの外套は裂け、片袖には乾いた血がこびりついている。それでも足取りは乱れていない。
後ろを歩く男の方が、よほど疲れて見えた。
マーク。城外で魔物の群れを操っていた男だ。灰色の外套は泥で汚れ、腰に差した黒杭は数が減っている。使い切ったのではない。打ち込んだ相手ごと、街道へ置いてきたのだ。
地下深くにある重い扉の前まで来ると、誰も触れていない錠が内側から外れた。
扉の向こうは暗かった。
部屋の奥に誰かが座っていることだけは分かるが、灯りが届かず顔までは見えない。
ミレアは挨拶もせずに口を開いた。
「ユーリクは戻らない。バスティオンも壊れずに残った。自動徴収まで止められて、ラグナに置いてた連中もほとんど使えない」
「そうか」
返ってきた声には、焦りも怒りもなかった。
その反応が気に入らなかったのか、ミレアの眉間へ皺が寄る。
「それだけ?」
「他に何が必要だ」
「失敗でしょ。こっちは人も拠点も失ってる」
「群れも失った」
後ろでマークが言った。
「先頭から順に力が抜けた。杭を打った個体ほど早い。俺の術じゃない。外から吸われた」
「盾が向きを変えたか」
「誰かが向けたんだ」
マークの声は低かった。
「群れだけを狙って、正確に。あんな使い方をされたのは初めてだ」
暗闇の人物はすぐには答えなかった。
代わりに、机の上に置かれた小さな魔石が淡く光る。
一度。
長く。
何らかの合図を受けたらしい。
「下流からだ」
その一言に、ミレアも魔石を見る。
「何の報告?」
「回収が終わった」
「……何を?」
暗闇の奥から返ってきた答えは短かった。
「一つ目は、戻った」
ミレアが目を細める。
「一つ目?」
それ以上の説明はなかった。
相手が続きを話すつもりがないと悟ると、ミレアは小さく舌打ちして扉へ向き直った。
マークだけが、その場を動かなかった。
「一つ目」
小さく繰り返す。
扉が閉じた後も、机の上の魔石だけが、しばらく淡い光を残していた。
―――
ラグナが街道の向こうへ見えなくなってからも、セラは馬車の窓の外を眺めていた。
行きと同じように、俺の向かい側に座っている。
距離も変わっていない。
なのに。
今は少しだけ遠い。
俺は無意識に《不具合鑑定》を向けた。
彼女が知りたいと言ったもの。
俺が。
まだ渡せなかったもの。
《対象名称――セラ・ヴァルク》
《個体識別名称――未登録》
《分類――神造兵器・第九号》
《機能――統制鍵》
《管理状態――封印不完全》
《破損進行率――七十二パーセント》
《完全破損まで――推定百十五日》
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これでバスティオン編は完結です。
トーマとセラの旅はまだ続きます。続きが気になりましたら、ブックマークで追っていただけると励みになります。
感想もお待ちしています。ひとことでも、とても嬉しいです。




