第十六話 終わったはずだった
少し時間を遡る。
選流環から最後の光が消えた。
俺はしばらく、その暗くなった円環を見つめていた。
外から流れ込んでいた魔力はない。
障壁への供給も止まっている。
ヴァルガルドへ伸びていた補助系統も、もう動いていない。
《不具合鑑定》の視界からも、ラグナ全体へ広がっていた破損経路は消えていた。
「……止まった」
盾守が、力の抜けた声で言った。
俺もようやく息を吐いた。
本当に。
ようやくだった。
バスティオンは壊れなかった。
ラグナも残った。
城外の群れも、もうまともには動けない。
そして上では、供給を失ったヴァルガルドも戦えなくなっているはずだ。
「終わった……」
自分で口にして。
初めて。
そう思えた。
その時だった。
足元の奥から、妙な音がした。
ごぼっ。
俺は顔を上げる。
「今の、何です?」
盾守も周囲を見る。
「知らん」
もう一度。
今度は少し長い。
ごぼ、ごぼっ。
水だ。
地下水路のどこかで、大量の空気が押し出されたような音。
嫌な感じがした。
《不具合鑑定》。
視界を地下へ広げる。
停止したバスティオン。
古い導管。
外周へ伸びる排水路。
そのさらに下。
今までほとんど意識していなかった流れが、急激に変わっていた。
「……水圧が上がってる?」
いや。
違う。
一か所だけ。
流れが抜けた。
まるで。
何か大きなものが地下水路へ落ち込んだ時のように。
その直後。
天井が揺れた。
轟音。
細かな石片が降ってくる。
盾守が壁へ手をつく。
「何だ!」
俺は上を見た。
この真上。
ヴァルガルドが倒れている区画だ。
「まさか――」
走りかけて、一度だけ振り返る。
操作台の前で、ユーリクは動かないままだった。
「すぐ戻ります」
返事はない。
それでも、黙って行くことはできなかった。
―――
セラが最初に聞いたのは、水の音だった。
戦いが終わり、床へ伏したヴァルガルドから雷が消えている。
マレクもようやく剣から手を離しかけていた。
「……終わったな」
誰かが呟いた。
その直後。
ごぼっ。
セラが視線を落とす。
ヴァルガルドの巨体の下。
石床の隙間から、水が滲み出している。
「マレク」
「ああ」
二人が動いたのは、ほぼ同時だった。
床へ亀裂が走った。
一本。
そこから一気に枝分かれする。
ヴァルガルドの身体を囲うように。
「離れろ!」
マレクが叫んだ。
だがセラは逆へ走った。
「セラ!」
床が沈む。
供給を失って動けないヴァルガルドの巨体が、大きく傾いた。
その先で石床が抜ける。
地下から激しい水音が噴き上がった。
「っ!」
セラが角を掴んだ。
右腕一本。
傷めた左肩は使えない。
靴底が床を滑る。
それでも。
一瞬。
ヴァルガルドの落下が止まった。
マレクが駆け込み、たてがみを掴む。
「引け!」
二人で引く。
巨体がわずかに持ち上がる。
あと少し。
そう思った瞬間。
セラの足元が割れた。
「――!」
片脚が沈む。
肩の傷が開き、砕けた鎧の隙間へ赤が広がった。
それでも手を離さない。
「まだ持つ!」
「馬鹿! 床ごと落ちる!」
ヴァルガルドの下で。
石盤が完全に砕けた。
地下にあったのは空洞ではなかった。
激しい地下水流が岩壁の間を走っている。
濁流がヴァルガルドの身体を捉えた。
巨体がさらに下へ引かれる。
セラの身体まで持っていかれた。
「セラ!」
マレクはヴァルガルドから手を離した。
代わりに。
セラの腰へ腕を回す。
「放せ!」
「まだ――」
「お前まで落ちる!」
最後に。
セラの右手から。
角が抜けた。
ヴァルガルドの巨体が、崩れた石床と一緒に落ちていく。
一瞬。
黄色い瞳が開いた。
そう見えた。
次には。
水飛沫に呑まれる。
轟音。
そして。
姿が消えた。
セラは穴へ身を乗り出した。
「ヴァルガルド!」
返事はない。
地下から。
激流の音だけが響いていた。
マレクがセラの肩を掴む。
「追うな」
「魔核がある」
「分かっている」
「破壊していない」
「だからこそだ。今のお前が落ちれば、二人まとめて行方不明になる」
セラは唇を噛んだ。
だが。
今度は飛び込まなかった。
暗い穴の底を。
ただ睨み続けた。
―――
俺が上の区画へ着いた時には、ヴァルガルドの姿はもうなかった。
「何があったんです!」
息を切らして駆け寄る。
セラは崩れた床の前に立っていた。
その左肩には、また血が滲んでいる。
嫌な予感しかない。
「落ちた」
セラが言う。
「何が」
訊いてから。
自分でも分かった。
「……ヴァルガルド?」
「ああ」
マレクが穴を指す。
「床が崩れた。地下水へそのまま持っていかれた」
「魔核は?」
「身体の中だ」
終わっていない。
その言葉が。
真っ先に浮かんだ。
俺は穴の縁へ近づいた。
「追えますか?」
「水路の図面を探させている」
マレクが答える。
「だが、あれを追える兵はいない」
「……そうですよね」
俺はしゃがみ込み。
今度こそ。
現場へ《不具合鑑定》を向けた。
そこで。
違和感に気づいた。
「待ってください」
「何だ」
床の断面。
今できたばかりの破断の奥に。
別の傷がある。
古い。
細い。
一本じゃない。
「これ……」
指で追う。
同じ深さ。
同じ向き。
偶然の亀裂にしては。
揃いすぎている。
「今日壊れた部分の奥に、前から傷が入ってる」
マレクの顔が変わった。
「地盤が弱っていた?」
「それだけなら、こんな並び方にはならないと思います」
俺は別の断面を見る。
ヴァルガルドが倒れていた位置。
その周囲だけ。
条件が揃えば。
床がまとめて抜ける。
そんな壊れ方になっている。
前世で同じものを見たなら、事故では終わらせない。
誰かが。
壊れる場所を作った可能性を疑う。
脳裏に。
姉の手紙が浮かんだ。
――壊れているものを見つけたら、誰がその壊れ方で得をしているかを考えなさい。
俺は穴を見る。
「誰かが」
声が低くなる。
「ヴァルガルドがここへ来る前から、この床が崩れるように仕込んでいた可能性があります」
セラが俺を見る。
「空座?」
「分かりません」
そこは。
絶対に飛ばしてはいけない。
「鑑定で見えるのは傷だけです。誰がつけたかまでは分からない」
でも。
もし。
誰かが。
ヴァルガルドを落とすために。
ここを壊れるようにしていたのなら。
目的は。
殺すことではない。
「魔核を逃がしたかった……?」
口にしてから。
背筋が冷えた。
確証はない。
ただの仮説。
それでも。
今ある事実とは。
あまりにも綺麗に繋がった。
ヴァルガルドは。
倒れた。
でも。
破壊されてはいない。
魔核も。
残ったまま。
そして。
どこかへ流れていった。
セラが穴の奥を見た。
「なら」
静かに言う。
「また会うな」
俺は。
答えられなかった。
否定できなかったからだ。




