第十五話 盾を、人に返す
「ラグナごと、吹き飛びます」
自分で口にしたはずなのに、その言葉だけが地下の奥へ落ちていったように聞こえた。
盾守が息をのみ、ユーリクがゆっくりと選流環の奥へ視線を向ける。その直後、石床の下から鈍い振動が突き上げ、壁の継ぎ目に積もっていた砂がぱらぱらと落ちた。
停止したはずのバスティオンが、再び動き始めたわけではない。
むしろ逆だった。
止めたからこそ、行き場を失った力が暴れている。
俺は《不具合鑑定》に意識を集中させた。
さっきまで、魔物から奪った力には二つの大きな出口があった。一つはラグナを包む障壁、もう一つはヴァルガルドを再構築していた後付けの補助系統だ。
城外の群れが弱り切ったことで、俺たちは選流環による徴収を止め、障壁とヴァルガルドへの供給も閉じた。
判断そのものは間違っていない。
問題は、それまでに取り込んだ力だった。
徴収を止めても、すでにバスティオンの中へ入っていた魔力まで消えるわけじゃない。出口を失った大量の力が押し戻され、中央の蓄積系統へ集中している。
「逃がし口はないのか」
盾守が操作盤へ駆け寄った。
「非常排出路がある。開けば――」
「待ってください!」
俺は思わず叫んだ。
盾守の手が止まる。
「なぜだ。中で破裂するよりましだろう」
「その先を見ています」
《不具合鑑定》が示す流れを追う。
非常排出路は確かに存在している。
けれど、その出口は空へ向いているわけではない。
地下水脈。
外周地盤。
城壁基礎。
周辺へ張り巡らされた古い魔力流路。
バスティオン自身が壊れないように、内部の過剰な負荷を外側へ逃がすための仕組みだった。
「……開いたら、どこかに押しつけるだけです」
「どこへだ」
「分かりません。地下水路かもしれないし、街の基礎かもしれない。外周へ流れれば、城外の土地まで行く可能性もあります」
「だが、このままなら街そのものが消える」
「分かってます!」
声が大きくなった。
俺だって分かっている。
安全弁を開けば助かるかもしれない。
前世の工場でも、圧力を逃がす設備なんて珍しくなかった。破裂する前に逃がす。それ自体は正しい。
でも、排出口の前に人が立っていたら話は別だ。
今までのバスティオンも、ずっとそうだった。
ラグナを守る。
そのために外から水を取る。
魔力を取る。
生命力まで取る。
そして今度は、自分が壊れそうになったら過剰な力を外へ捨てようとしている。
最後まで。
自分の代わりに、外側を壊す。
「他に方法は」
盾守に訊かれた。
俺は答えられなかった。
見えているのは破損経路だ。
どう壊れるのか。
何が条件なのか。
どこへ負荷が流れているのか。
《不具合鑑定》は、それを見せてくれる。
けれど。
――ここを押せば全部直ります。
そんな便利な答えは出してくれない。
「最初に壊れる場所は?」
突然、ユーリクが訊いた。
俺は振り向いた。
「何です?」
「全部が同時に壊れるわけではないだろう。最初はどこだ」
その問いなら答えられる。
俺は流れを絞った。
中央。
大量の魔力を一時的に保持する蓄流環。
それを囲む複数の固定構造。
一か所だけ、負荷が突出している。
「中央固定環の西側です。そこが変形すると隣へ負荷が逃げて、その次が壊れる。連鎖したら止められません」
「変形しなければ?」
嫌な予感がした。
「ユーリク」
「答えろ」
「固定環が今の位置から動かなければ、これ以上破損することはないと思います」
「十分だ」
「何をする気です」
ユーリクは答える代わりに、自分の右手を持ち上げた。
いや。
持ち上げようとした。
指はすでに半ば曲がった状態で固まり、手首も十分には返らない。右肩まで動きが悪くなっている。
《固定》。
対象を一定の状態へ留める彼の異能。
そして。
使うほど。
本人まで動かなくなっていく反作用。
「駄目です」
「まだ何も言っていない」
「言わなくても分かります」
「なら話が早い」
「早くない!」
床がまた揺れた。
今度は大きい。
奥から金属の軋む音まで聞こえてくる。
ユーリクは、その音へ顔を向けた。
「トーマ。私はこの街へ、バスティオンが何をしてきたか公表するために戻った」
その言葉に。
わずかな違和感があった。
公表する。
それが。
最初の目的だったはずだ。
けれど、いつからだろう。
ユーリクの口から出る言葉が変わった。
責任を取る。
自分が背負う。
最後まで自分で。
少しずつ。
同じ方向を向いているようで。
意味が変わっている。
「……あなたは、公表するために来たんでしょう」
「ああ」
「だったら、生きて説明してください」
ユーリクは俺を見る。
「それも責任だと思います」
しばらく。
返事はなかった。
やがてユーリクは、ほんのわずかに目を細めた。
「お前は面倒な奴だな」
「今さらですか」
「だが」
彼は蓄流環のある方向へ視線を戻す。
「説明する街が残らなければ意味がない」
反論できなかった。
「中央へ行く。古い盾守用の接続路がある」
盾守が驚く。
「そんな通路は現在の図面にない」
「我々が追われた後の図面にはな」
ユーリクは歩き出した。
足首まで硬直が進んでいるのか、歩幅は明らかに小さい。
それでも。
一度も振り返らなかった。
―――
古い通路は、人一人がようやく通れるほど狭かった。
現在の管理区画のような補修もされておらず、壁には六十八年前どころか、それより古い時代の術式がそのまま残っている。
進むほど、振動は強くなった。
途中でユーリクの身体が壁へぶつかった。
「肩、貸します」
「いらない」
「その歩き方で?」
「歩いている」
「それを歩いてるって言うなら、セラも今頃走り回ってますよ」
ユーリクが一度だけ俺を見た。
「お前は死にかけた女にもその言い方をするのか」
「本人にはもっと怒られてます」
「だろうな」
それだけ。
小さく返して。
また進む。
通路を抜けた先。
俺は足を止めた。
巨大な地下空間の中央に、幾重もの金属環が重なっている。
その中心で、白い魔力が渦を巻いていた。
流れているというより。
閉じ込められた力が。
内側から壁を殴り続けている。
そのたびに。
外周の金属環が大きく軋む。
《不具合鑑定》。
間違いない。
ここだ。
「左です!」
俺は西側の環を指した。
「上から三つ目。縦の接続部!」
盾守が目を凝らす。
「歪んでいる!」
「まだ破断じゃありません! でも次に大きな負荷が来たら――」
言い終えるより早く。
固定環が。
目に見えるほど外へ開いた。
《不具合鑑定》の視界で、一本だった破損経路が一気に枝分かれする。
地下。
城壁。
水路。
街。
ラグナ全体へ。
「ユーリク!」
彼はすでに、古い操作台へ左手を置いていた。
淡い光が広がる。
盾守が息をのむ。
「認証した……」
「ヘイン家の権限が、まだ残っていたらしい」
ユーリクは固定環を見る。
「トーマ。ここでいいんだな」
「待ってください」
「ここを止めれば時間ができる」
「できます。でも――」
「なら十分だ」
「十分じゃない!」
声を張り上げた。
ユーリクが。
静かにこちらを見る。
「その間に、お前が次を決めろ」
「次?」
「この盾をどうするのかだ」
それだけ告げて。
ユーリクは掌を操作台へ押しつけた。
「《固定》」
光が爆発することも。
派手な音が鳴ることもなかった。
ただ。
開き始めていた巨大な固定環が。
止まった。
魔力はまだ内側から押している。
金属も軋んでいる。
それなのに。
環の形だけが。
それ以上。
変わらない。
《不具合鑑定》で見えていた破損経路も。
同じ位置で止まった。
「……本当に止めた」
盾守が呟いた。
その直後。
ユーリクの右腕が。
完全に動かなくなった。
手首から肘。
肩。
そこまでは。
今までの延長だった。
次に。
右脚。
左脚。
左肩。
首。
硬直が。
一気に広がる。
「ユーリク!」
俺が近づこうとすると。
「見るな」
声は。
まだ出る。
「環を見ろ」
「でも――」
「私ではなく!」
初めて。
怒鳴られた。
「バスティオンを見ろ!」
俺は。
歯を食いしばって。
蓄流環へ向き直った。
固定環は止まった。
でも。
内部の力は消えていない。
ユーリクが保たせている間に。
俺たちが。
解決しなければならない。
―――
「排出路を使わないなら、どうする!」
盾守が操作盤を開く。
俺は流れを追った。
古い徴収系統。
選流環。
障壁。
蓄流環。
後付けされたヴァルガルドへの補助系統。
そこに重なる。
自動制御。
非常時権限。
全部が絡み合っている。
複雑だ。
でも。
見ているうちに。
別のことに気づいた。
「……これ」
「何だ!」
「壊れてない」
盾守が振り返った。
「何を言っている」
「バスティオンです」
俺は。
今まで見てきた流れを思い返す。
必要な量を外から取る。
街を守る。
危険なら障壁へ回す。
余剰が出れば逃がす。
全部。
設計通りだ。
今回だって。
自分が壊れそうになったから。
非常排出路を使って。
外へ負荷を逃がそうとしている。
「この神造兵器は、ずっと正常に動いてる」
「ならなぜ、これだけ被害が出た」
「正常だからです」
盾守が黙る。
「バスティオンの欠陥は、壊れてる部品じゃない」
ラグナを守る。
その目的だけを。
迷わず。
正確に。
実行する。
そのためなら。
外側に何があるかを気にしない。
「問題は、誰から奪うのかをバスティオン自身に決めさせてたことです」
前世なら。
製品が図面通り。
設備も設定通り。
でも。
その設定で事故が起きる。
そんな時に。
「正常品です」で終わらせるのは。
品質管理じゃない。
設計。
運用。
使用条件。
そこまで疑う。
「部品を直しても、また同じことが起きます」
盾守が低く訊く。
「では、どうする」
答えたのは。
ユーリクだった。
「三つだ」
声が。
さっきより。
小さい。
それでも。
聞こえる。
「一つは……完全に止める」
バスティオンを。
二度と使わない。
外から何も奪わない代わりに。
ラグナは。
神造兵器の盾を失う。
「二つ目は」
呼吸を挟む。
「元の運用へ戻す」
徴収量を。
以前より絞ることはできる。
けれど。
自動的に外から奪う構造は残る。
そして。
「三つ目」
ユーリクが。
俺を見る。
「盾から、選ぶ権利を奪う」
その言葉で、思い出した。
盾守とは、誰を盾の外へ置くのかを決める者だった。
「自動徴収を外すんですか」
「ああ」
「使う時だけ、人間が対象を指定する」
「量も」
「期間も」
「誰が承認するかも」
俺は。
そこまで言って。
理解した。
これは。
装置の改修だけじゃない。
運用の話だ。
「でも、それじゃ遅くなる」
盾守が言う。
「攻撃を受けてから相談していては、障壁が間に合わない場合もある」
「あります」
俺は答えた。
「判断を間違える可能性も?」
「あります」
「人間同士で揉めるぞ」
「揉めます」
「それでもやるのか」
俺は。
選流環を思い出した。
魔物だけを。
正確に選んで。
力を奪った。
あの装置は。
壊れていなかった。
性能が高かったからこそ。
人間を指定した時にも。
正確に奪える。
「バスティオンに決めさせれば、早いです」
城を守る。
それだけなら。
「誰にも相談しない。迷わない。必要なら必要なだけ取る」
ユーリクが。
静かに言った。
「それが空座の考え方だ」
盾守が。
顔を上げた。
俺も。
ユーリクを見る。
「……あなたは、空座の人間なんですね」
ユーリクは。
否定しなかった。
「人間は間違える」
彼は。
固定環を支えながら続ける。
「欲もある。恐怖もある。自分だけ助かろうとする者もいる。ならば、正しい仕組みに任せた方がいい」
「本当にそう思ってるんですか」
「思っていた」
過去形だった。
その違いが。
少し気になった。
「空座は一枚岩じゃない」
ユーリクが続ける。
「救うことを口にする者もいる。管理することを望む者もいる。同じ場所へ座っていても、見ている終点まで同じとは限らん」
「神造兵器を探しているのは?」
「途中まで、必要なものが同じだからだ」
「セラも?」
ユーリクの目が。
俺へ向いた。
「彼女を連れて行かせるな」
「どこへ」
答えが。
少し遅れた。
「席だ」
「席?」
固定環が。
内側から強く押された。
ユーリクの身体が。
ほんのわずかに揺れる。
それでも。
環は動かない。
「ユーリク!」
「彼女の席だけは」
声が。
途切れかける。
「最初から……空いている」
意味は分からない。
第九号。
統制鍵。
そんな言葉を俺が知っているわけじゃない。
ただ。
忘れてはいけない。
そう思った。
「トーマ」
「はい」
「決めろ」
もう。
長くは持たない。
俺は。
操作盤を見る。
完全停止。
元の自動徴収。
人間が都度。
対象と責任を決める。
「三つ目にします」
盾守が俺を見る。
「本当に?」
「はい」
「人間に戻せば、また間違えるぞ」
ユーリクが言った。
「分かってます」
「王が独占するかもしれない」
「だから一人に持たせない」
俺は。
答える。
「城主一人でも、盾守一人でも、国王一人でも駄目にする」
今ここで。
具体的な制度まですべて作れるわけじゃない。
でも。
原則は決められる。
「誰から取るのか。何を取るのか。量はどれくらいか。何のために使うのか。いつまで使うのか」
記録する。
公開する。
複数で承認する。
対象になる側に。
何も知らせないまま。
勝手に吸うことを。
止める。
「面倒になるぞ」
ユーリクが。
かすかに言う。
「そうですね」
「決めるのも遅くなる」
「たぶん」
「間違える」
「間違えます」
それでも。
「間違えた時に、人間が責任を取れるようにします」
神造兵器が。
勝手にやった。
そう言って。
誰も。
選んだ責任を持たない。
その状態だけは。
終わらせる。
「……そうか」
ユーリクが。
ほんのわずかに。
笑ったように見えた。
「やれ」
―――
そこからは。
盾守と二人での作業になった。
ユーリクは。
もうほとんど動けない。
でも。
彼が固定環を止めている。
その間に。
俺たちが。
必要な接続だけを切る。
「右側!」
「どれだ!」
「上から二つ目じゃない。その下です!」
「似た印ばかりだ!」
「六十八年前の設計者に文句言ってください!」
一つ。
操作を変える。
《不具合鑑定》。
流れを見る。
違う。
これでは障壁そのものが。
再起動不能になる。
「戻して!」
「壊れるぞ!」
「戻さない方が壊れます!」
盾守が操作を戻す。
別の経路。
自動徴収。
そこだけを切り離す。
「これなら?」
「待ってください」
負荷を見る。
大丈夫。
次。
非常時に。
上位権限だけで。
無制限に徴収できる経路。
「これも閉じる」
「セラ殿の権限まで?」
「権限を消すんじゃありません。勝手に徴収へ繋がる部分だけです」
一つずつ。
観測して。
仮説を立てて。
操作して。
確認する。
能力は。
答えをくれない。
だから。
間違えないように。
一つずつ。
潰す。
「最後!」
盾守が古い操作棒へ手をかける。
「これを落とせば、自動徴収は戻らないぞ」
「いいです」
「次に災厄が来ても、自動では守ってくれない」
「だから」
俺は。
操作棒を見る。
「次は、人間が決めます」
盾守が。
ゆっくりと。
棒を下ろした。
重い金属音が。
地下に響いた。
《不具合鑑定》。
外へ伸びていた徴収経路が。
一つずつ。
閉じていく。
消えたわけじゃない。
通路そのものは。
残っている。
選流環も。
壊してはいない。
でも。
誰かが。
意図して。
開かない限り。
もう。
バスティオンが勝手に外へ手を伸ばすことはない。
そして。
蓄流環。
内部の圧力が。
ゆっくりと。
下がり始めた。
残った蓄積設備へ。
少しずつ。
分散していく。
《不具合鑑定》に広がっていた破損経路も。
薄くなっていく。
一本。
また一本。
最後に。
ラグナ全体へ伸びていた線が。
消えた。
「……止まった」
盾守の声が震えた。
「止まりました」
俺は。
すぐに振り返った。
「ユーリク!」
返事はない。
「もういい! 固定を解いてください!」
動かない。
「ユーリク!」
近づこうとして。
俺は。
足を止めた。
彼は。
立っている。
操作台へ。
手を置いたまま。
右腕も。
左腕も。
脚も。
首も。
何も。
動かない。
さっきまで。
辛うじて動いていた。
目も。
今は。
変わらない。
「……」
《不具合鑑定》を向ける。
身体には。
これまでの反作用が残っている。
負荷も。
異常も。
分かる。
けれど。
その先。
変化していく道筋が。
ない。
だからといって。
死んでいる。
とは。
分からない。
俺の能力は。
そんな判定をするものじゃない。
「ユーリク」
呼ぶ。
返事。
なし。
盾守が。
隣へ来る。
「完全に《固定》されたのか」
「……たぶん」
身体だけじゃない。
今。
目の前にいるユーリクから。
変化そのものが。
止まっているように見える。
生きているのか。
死んでいるのか。
それすら。
判断できない。
「外せるか」
盾守が訊く。
俺は首を振った。
「分かりません」
「鑑定でも?」
「分からないものは、分かりません」
悔しい。
でも。
勝手に。
答えを作る方が。
もっと駄目だ。
「触らないでください」
俺は言った。
「少なくとも今は」
彼の《固定》が。
どこまでバスティオンへ繋がっているか。
分からない。
解除を試して。
また蓄流環が暴れたら。
全部が無駄になる。
「状態を記録して、調べます」
盾守が。
静かに。
頷いた。
俺は。
動かなくなったユーリクを見る。
「公表するんでしょう」
返事は。
ない。
「だったら」
喉が。
詰まった。
それでも。
続ける。
「あなたが隠さなかったことも、ちゃんと残します」
―――
地上へ戻った時。
ラグナには。
まだ戦いの匂いが残っていた。
焼けた石。
血。
魔物の臭い。
崩れた城壁。
それでも。
戦闘そのものは終わっている。
城外では。
力を失った魔物を兵士たちが警戒しながら処理していた。
伝信塔の近くでは。
ネネが。
大声で指示を出している。
「負傷者と死者を同じ報告に入れないで! あと西門と北門の数字混ぜない!」
あれだけのことがあったのに。
元気だ。
少しだけ。
安心した。
その近く。
右肩を包帯で固めたカイが。
俺を見る。
「終わりましたか?」
「そっちは?」
「十秒よりは長く休めと言われました」
「守ってくださいね」
「努力します」
絶対。
守らない顔だ。
さらに奥。
崩れた壁の近くに。
セラがいた。
正確には。
座らされていた。
左肩は固定。
右脚にも厚い包帯。
鎧は。
もう。
防具というより。
壊れた金属板の集合体に近い。
その隣で。
マレクが腕を組んでいる。
俺を見つけたセラの第一声は。
「遅い」
だった。
「誰のせいで地下にいたと思ってるんですか!」
「お前が行くと決めた」
「あなたが死にかけたからでしょう!」
「死んでいない」
「まだ戦えることと、戦わせていいことは別です!」
言った瞬間。
自分で。
少し。
驚いた。
前世から。
何度も。
思ってきた言葉。
動く。
まだ使える。
だから使う。
その積み重ねで。
設備も。
人も。
壊れる。
マレクが。
横で小さく笑った。
「もっと言ってやれ」
「マレク」
「俺が言っても聞かん」
「お前は話が長い」
「ほらな」
セラが。
俺を見る。
「それで」
「はい?」
「バスティオンは」
俺は。
少し息を整えた。
「残しました」
セラの眉が上がる。
「壊さなかったのか」
「壊れてなかったので」
「……何?」
「正常でした」
マレクも。
カイも。
こちらを見る。
俺は簡単に説明した。
バスティオンは設計通りラグナを守っていた。
だから自動的に外から奪っていた。
「壊れてるなら、壊れたところを直せばいい。でも今回は違います」
「では?」
セラが訊く。
「勝手に誰かを選んで奪う機能を止めました」
そこへ。
城主と盾守も来た。
城主の顔には。
戦闘が終わった安堵より。
これから始まる問題への疲労の方が。
強く出ている。
「トーマ」
「はい」
「盾守から聞いた。今後、バスティオンを使うには、人間が徴収対象を決める必要があると」
「はい」
「誰が決める」
「それを」
俺は答える。
「これから決めてください」
城主が眉を寄せた。
「私ではないのか」
「一人じゃ駄目です」
即答する。
「城主だけでも、盾守だけでも、駄目だと思います。対象、量、期間、目的。全部記録してください」
「市民にもか」
「少なくとも、隠してはいけないと思います」
城主は遠くを見る。
ラグナの外。
長いあいだ。
この街を守る代わりに。
少しずつ。
奪われてきた土地。
「六十八年間のことも?」
「はい」
「混乱するぞ」
「します」
「この街の信頼も失う」
「かもしれません」
「私も責任を問われる」
俺は少し迷った。
でもそこだけは変えなかった。
「それを俺が決めることはできません」
城主が俺を見る。
「でも」
俺も逸らさない。
「それを隠すかどうかまで、また誰か一人が勝手に決めたら」
少し。
言葉を選ぶ。
「何も変わらないと思います」
長い沈黙。
やがて。
城主が小さく息を吐いた。
「……そうだな」
それだけだった。
立派な宣言も。
英雄的な言葉も。
ない。
でもそれでいい。
この街の問題は。
誰か一人の格好いい言葉で。
終わらせるものじゃない。
―――
夕方。
乾ききっていた外周水路に。
細い水が戻り始めた。
ほんの少し。
底を濡らす程度。
長い時間。
奪われてきたものが。
一日で元へ戻るわけじゃない。
枯れた畑も。
死んだ家畜も。
失った命も。
戻らない。
城護盾バスティオンを変えたから。
全部解決。
そんな都合のいい話ではなかった。
むしろ。
これからだ。
誰が。
何を。
どこまで。
責任を取るのか。
ラグナの人間たちが。
決めなければならない。
俺は城壁から水の流れを見ていた。
隣に包帯だらけのセラがいる。
「寝ててくださいよ」
「寝た」
「何時間」
「知らない」
「一時間も寝てないでしょう」
「十分だ」
「十分じゃありません」
セラが露骨に嫌そうな顔をする。
「お前は急にうるさくなったな」
「前からです」
「そうだったか」
「忘れてないですよね?」
冗談のつもりだった。
でも。
言ってから。
少しだけ。
胸に引っかかった。
セラは気にした様子もなく外を見る。
「これからどうする」
「一度、城へ戻りましょう」
「王都へ?」
「はい」
ラグナで起きたことは。
大きすぎる。
バスティオン。
六十八年前の灰角王。
空座。
選流環。
そして。
ユーリク。
俺たちだけで。
次へ進んでいい話じゃない。
「グレイヴ宰相にも全部報告しないといけません。セラとカイの治療も必要です」
「私は動ける」
「さっき言いましたよね」
「何を」
「まだ戦えることと、戦わせていいことは別です」
「戦うとは言ってない」
「次の話を聞いたら行くでしょう」
「当然だ」
「ほら!」
少し離れた場所で。
マレクが。
笑った。
「トーマ」
「何です」
「城へ戻ったら、その役目を任せる」
「何の役目?」
「こいつに寝ろと言う役目だ」
セラが。
マレクを見る。
「勝手に押しつけるな」
「俺は疲れた」
「職務放棄か」
「長年働いた者の権利だ」
いつものような。
軽いやり取り。
でも。
マレクの言葉に。
わずかな。
引っかかりがあった。
城へ戻れば。
何かが。
変わる。
そんな気がした。
俺はまだ。
その先を知らない。
誰と歩むのかも。
どこへ向かうのかも。
何と戦うのかも。
今は決めなくていい。
「一旦」
俺は言った。
「帰りましょう」
セラが俺を見る。
「それから?」
「それから、次を決めます」
誰かから突然命令されて。
そのまま次へ向かうんじゃない。
まず。
帰る。
報告する。
治す。
考える。
そして。
自分たちで。
次へ進む。
セラは少しだけ考えてから。
「分かった」
と答えた。
その返事に少し安心した。
「珍しく素直ですね」
「斬らなかっただろう」
「え?」
「約束」
セラが外を見たまま言う。
「守った」
「……はい」
最後の最後。
斬れば。
自分が助かる場面でも。
セラは。
斬らなかった。
俺が。
そう言ったから。
「ありがとうございました」
「礼はいらん」
「じゃあ何が欲しいんです」
「次は」
セラが少しだけこちらを見る。
「もう少し楽な約束にしろ」
俺は思わず笑った。
「努力します」
「努力では困る」
「無茶言わないでください」
「無茶を言ったのはお前だ」
「……そうでした」
二人でしばらく水を見る。
細い。
本当に。
頼りない流れ。
でも。
止まってはいない。
俺は。
ふと思う。
バスティオンを。
完全に壊すこともできた。
その方が。
簡単だったかもしれない。
二度と使えなくしてしまえば。
同じ被害は。
起こらない。
でも。
俺たちは。
そうしなかった。
神造兵器に。
決めさせることを。
止めた。
代わりに。
人間へ。
面倒なものを返した。
選ぶこと。
迷うこと。
間違えること。
責任を取ること。
たぶん。
空座が。
一番。
嫌うもの。
ユーリクの言葉が頭に残っている。
――彼女の席だけは、最初から空いている。
意味はまだ分からない。
でも城へ戻ったら。
調べる。
空座について。
セラについて。
そしてなぜ九つの神造兵器が。
各地に残されているのか。
俺は隣のセラを見た。
「何だ」
「何でもありません」
「気持ち悪いな」
「ひどくないですか?」
セラがわずかに笑う。
その顔を見て。
ようやく。
この戦いが。
終わったんだと思った。
俺は無意識に。
《不具合鑑定》を向けた。
見慣れた文字が。
視界の中へ。
静かに浮かび上がる。
《対象名称――セラ・ヴァルク》
《個体識別名称――未登録》
《分類――神造兵器・第九号》
《機能――統制鍵》
《管理状態――封印不完全》
《破損進行率――七十二パーセント》
《完全破損まで――推定百十五日》




