第三話 偶然は二度起きない
炎は、もう消えていた。
でも、跡が残った。
黒く焦げた骨組みが、川沿いに立っている。
テントだったもの。
骨だけになって、風に揺れている。
濡れたアスファルトが、灯籠の光を反射していた。
揺れる水面と、揺れる影。
どちらが本物かわからないほど、ぼんやりとしていた。
鼻の奥に、焦げた匂いが残った。
それと、川の生臭さ。
混ざって、重くなって、胸に張りついた。
遠くで、子どもが泣いていた。
細くて、長い声だった。
ジュンは、ゆっくり周囲を見渡した。
人波は引いていた。
数人の警察と救助員が、割れたガラスや焼けた備品を片付けていた。
救急車が二台、赤い光を回しながら止まっていた。
重傷者は少なかった。
でも、ジュンの胸は軽くならなかった。
「二度だ」
噛み締めるように、呟いた。
連鎖転倒。
そして火災。
これを偶然と呼ぶには、あまりにも――精密すぎた。
タイミングが、合いすぎていた。
まるで誰かが、歯車をひとつひとつ嵌めていくように。
ジュンの視線が、土手の方へ向いた。
二人は、まだそこにいた。
ハナとナラ。
川を見ていた。
流れていく灯籠がいくつかあった。
誰かの願いを乗せた炎が、今は陰謀の狼煙のように見えた。
並んで立つ二人の背中は、まったく違った。
ハナは張っていた。
今にも走り出せるように。
ナラは静かだった。
闇を、全身で受け取っているように。
先に口を開いたのは、ナラだった。
「ハナ、ずっと考えてた」
「うん」
「今日のこと。最初の転倒は、人が多ければ起きうる。偶然で片付けられる」
川風が吹いた。
「でも、火は違う。タイミングが綺麗すぎた。パニックが頂点に達した瞬間に、灯籠が落ちた。この狭い場所で、一日のうちに二度――あり得ると思う?」
ハナが振り返った。
「誰かが演出した、ってこと?」
「確信はない。でも」
ナラの声が、少し低くなった。
「設計が、丁寧すぎる。パニックを起こす引き金。実際の混乱。そして、被害を広げるための仕上げ。段階的に、積み上げられてる」
「だとしたら」
ハナは唇を引き結んだ。
「誰かがこの地獄を、最初から描いていたってことか」
「うん。そして――今日で終わりじゃない気がする」
「その話、俺にも聞かせてもらおう」
背後から、低い声がした。
二人が同時に振り返った。
ジュンだった。
いつからいたのか、気配もなかった。
炎と格闘してきた男が、制服の乱れ一つなく立っていた。
疲弊の色がない。
ただ、鋭かった。
ジュンは、一歩ずつ近づいてきた。
「いつから知っていた」
ハナは黙った。
目に、警戒が灯った。
「知らなきゃいけない理由でも?」
「今は、君の感情より答えが重要だ」
ナラが前に出た。
「今日が初めてです。どうやって予測するか、論理的には説明できない。でも」
静かに、でも確かに言った。
「二度とも、当たりましたよね」
ジュンは、しばらく二人を見ていた。
顔は同じだった。
でも、空気がまったく違った。
一人は沈黙で語っていた。
もう一人は、静かに場を支配していた。
「二度とも事前に言った。それは否定できない」
重い息を、吐いた。
「だが、俺の頭では理解できない。説明しろ」
沈黙が、落ちた。
ナラが、扉を開けた。
「私は、空間の感情を読みます。数千人が放つ恐怖や不安が臨界点に達すると――何が起きるか、感じる」
ジュンの眉が、わずかに動いた。
馬鹿げた話だった。
でも、ナラの目は、嘘をつく人間の目ではなかった。
「妹のハナは、見ます。まだ起きていない瞬間の映像を、先に」
視線が、ハナへ移った。
「何を見るんだ」
「言ったでしょう。まだ起きていないことを」
風が吹いた。
遠くで灯籠が一つ、瞬いて消えた。
ジュンは黙っていた。
法を信じてきた。
証拠を信じてきた。
それだけで、ここまで来た。
でも今夜、目の前で起きたことは――どんな証拠よりも確かだった。
「証明できるか」
ハナが、冷えた声で答えた。
「今は無理。でも、またすぐ起きる」
「いつだ」
「すぐ」
その言葉が終わるより早く。
ナラの肩が、縮んだ。
「また来てる」
ハナとジュンの息が、同時に止まった。
「どっちだ」
ナラがゆっくり顔を向けた。
仮設電源設備が集まる一角。
臨時の電気設備区域。
「あっち。恐怖とは質が違う。鋭い、刺すような衝撃。電気が――肉を裂く感じ」
言葉が終わると同時に。
ハナの頭の中で、青い火花が散った。
悲鳴を上げて倒れる通行人。
地面を這う電線。
痙攣しながら、固まっていく指。
「感電事故です」
ジュンは、もう動いていた。
無線機を手に取り、叫んだ。
「電気班! 全区域、即時遮断準備! 今すぐだ!」
「まだ準備が――」
「準備も何も、今すぐ落とせ!」
ざ、と。
空気が裂けた。
青白い閃光が、夜を斬った。
通行人が、叫んで倒れた。
でもハナは、もう走っていた。
道を知っているように。
迷いなく。
人の間を割って入り、電線を見つけた。
蹴った。
正確に。
電線が弾け、火花が散った。
人ではなく、空へ。
ナラが人波を押し返した。
「下がってください! 早く!」
カチッ――
電源が落ちた。
狂った光が、消えた。
静寂が、戻った。
ジュンは、遠くから見ていた。
一部始終を。
一瞬も目を離さずに。
これは、もう確信だった。
偶然は、三度繰り返さない。
「君たち」
声に、疑いはなかった。
別の重さがあった。
ハナとナラが、同時に振り返った。
「一緒に動いてもらう」
「え?」
「これは事故じゃない。緻密に設計された事件だ。俺一人では無理だ」
ナラが、黙って頷いた。
ハナが続けた。
「もう始まってますよ」
遠くでサイレンが鳴っていた。
三人が、互いの存在を受け入れた夜。
祭りの華やかさの裏で、大きな闇がうごめいていた。
そして、それを見ている目があった。
暗い車の中。
男が一人。
電話を耳に当てていた。
低く、静かに言った。
「ターゲット確認しました」
短い間があった。
「能力者です。しかも――使えるやつらだ」
電話の向こうで、笑い声がした。
くぐもった、冷たい笑いだった。
「ようやく見つけた」
著:ジンファ・ジンギョン
(姉妹による共同執筆)




