神さま、頭を悩ませる。
突然目の前に人が現れたら、驚かせてしまうかもしれない。
すっ転んでケガをする程度なら良いが、その音に引き寄せられて魔物が集まったら非常に危険だ。
薄氷、とまではいかないにしても、平時より薄くなっている氷の上に何百kg、何tも重量のある魔物が集中したら、全員仲良く水の中に真っ逆さまだ。
俺は浅葱の加護があるから、問題なく浮上出来る。
何なら俺に害があると判断されれば勝手に弾かれるので、濡れる事すら無いだろう。
しかし若者達――と言っても、俺よりも歳上ばかりだが、彼等には精霊の加護はない。
その上オッサン達と同様、かなり着膨れした格好をしている。
氷点下の中でも長時間活動出来るように、保温性が良いセーターや防寒性の高い毛皮を着ているのだ。
そんなただでさえ重たい衣類が濡れたら、果たしてどれだけの重さになるのやら。
まぁ、水の冷たさも相まって、ろくに身動きも取れずに水底に沈むだろう。
イヤ、今なら集まっている水魔蚱って魔物に取って食われるか。
踊り食いは痛そうだし嫌だなぁ。
せっかく意気揚々と出掛けた先で、そんな最期を迎えるなんて余りにも可哀想なので、そうならないよう気を使わねば。
取り敢えず一番危ない所にいる若者が向かっている進路の、その延長線にあたる場所へと転移をする。
俺は時の精霊と契約しているので、気軽に彼の力を借りられる。
転移方陣がなくても、行った事のない場所でも、座標さえ指定すればパッと瞬間移動する事が可能だ。
五〇mも離れていない、遠くもないが近くもない、そんな場所を選んだ。
ココなら驚いて大声を出される事も、転んでケガをする事もないだろう。
だがなんと、あろう事か目的の青年は、見事に俺をスルーした!
御神渡りでも起こったかのように、氷が隆起している山の上にしゃがんで待っていたので、身長の高さからして視界にはバッチリ入っていただろう。
見落とす事は無い。
……と、思う。
俺の格好はマントも含めて、結構暗めの色がアチコチに使われている。
チラ見えするインナーや手袋のような、魔王の傷隠しは透けて見えないように真っ黒だし、魔物の舐めした革で作られたマントは紺鼠色、靴は汚れが目立たないようにしたかったのもあり、茶色味がかった涅色をしている。
頭もカノンと同じ黒色に染まっているので、真っ白な景色の中に、こんな黒尽くめがいたらかなり目立つと思うのだけれど。
もし本当に見落としたと言うのなら、目の前に魔物が現れても気付かなさそうだ。
狩りをするのは、辞めておいた方が良いと思う。
危険察知力が低過ぎる。
自然界に解き放ったら、ものの数分で死んでしまいそうだ。
よくココまで無傷で来られたな。
もしかして、フサフサのファーがついた帽子を被っていたし、視界が狭いのだろうか。
霊力が使えないのなら、気配探知のように確実に生物がいるかどうかを探る手段も無いだろう。
そうなると目視に頼るしか無いのだから、オッサン達のように、帽子と顔を覆う防寒具は別にすれば良いのに。
そういう部分は、個人の判断に委ねているのかな。
まぁ、オッサン達の格好って変質者にしか見えないし、正直ダサいから、格好つけたがりな若者には不評なのか。
雪山に白いウェアでスキーに行ったり、森に迷彩服を着てキャンプに行くような無謀な事をしたがる年齢ってあるよね。
オッサン達の見た目は最悪な服装は、理にはかなっているんだよね。
見た目は二の次。
利便性が最も重要だと、肌身に染みているのだろう。
派手な色に染められた帽子や手袋、レッグウォーマーの類は、チームメンバー共通の色彩をしている。
吹雪で視界を失っても、その色を目印に行動出来るようにしているのだろう。
また着膨れしていても動きを邪魔しないように、胴体部分をメインに厚着している。
柔らかい生地のものを選び、保温性が高く暖かい空気が内側に籠るように裏起毛の服を中に着ていた。
細かな動きは出来なくなるがミトンタイプの手袋を装着しているのは、末端が冷えて指が凍って落ちないようにするためだし、魔物の毛皮がツギハギ状態になっている帽子は、耳と首は暖かく、しかし頭は蒸れないようになっていてとても機能的だ。
フェイスカバーも兼ねたネックウォーマーによって、薄らとしか目元が開いていないため、外からは顔が全く分からない状態になっているのも、ピンホール現象が起きて遠くまでよく見えるようにするためもあるだろう。
一番は、防寒のためだが。
地中で生活していると、地上よりも温度の変化に煩わされる機会が減る。
だから余計に防寒には力を入れているんだろうな。
地中生活が当たり前になると、遠くを眺める機会がほぼ無い。
しかも薄明るい程度だし、視力が弱くなりそうだよな。
それに太陽光に当たらないと、ビタミンDが生成出来ないからカルシウムのバランスが調整機能が狂い歯や骨が脆くなったり、心臓を含めた筋肉を正常に動かせなくなったり、免疫機能を整えられなくなりアレルギーやアトピーが発症したりと色々不都合が生じる。
分かりやすいのが小児のくる病か。
骨の変形や関節の腫れ、成長障害や筋力低下が主な症状としてある。
しかしオプスクリス開拓村の面々も、さっきのオッサン達も、そんな感じはしなかった。
俺の前を通り過ぎて行った若者も、決して身長は低くなかったし、こんな歩きにくい氷上を難なく歩いている。
筋肉はシッカリついているし、体幹も鍛えられている証拠だ。
ビタミンD不足に対する、何らかの対抗策があるのだろうな。
紫外線に当たる事で生成されるビタミンDが、体内の八〜九割を占めるといっても、食事からも一応は摂れるのだし。
主食の角骸鯨や海牛鰭に多く含まれているのだろうか。
魚介類に多く含まれるって言うし。
その魚介類に分類されそうな魔物を食べている魔物にも、沢山含まれていそうな気がする。
実際どうかは知らない。
鑑定眼で見れば、一〇〇g中の成分分析結果とか表示されるのだろうか。
視力は弱かったとしても、瞳孔の光量調節機能には優れていそうだよな。
俺には全く区別がつかない、月の明るさで天気やだいたいの時間が判ると言っていたもの。
そうなると逆に、昼盲症が心配になるが。
氷によって月光が反射し、地中よりも湖の上はだいぶ明るい。
もしかしたら昼盲症のせいで、俺を見落としたって事も有り得るのか?
俺自身は危害を加えるつもりが無いので、気付かれなくてもちょっぴり傷付く程度で済むけれど、もし俺が魔物だったらどうするのだと、思わずにはいられない。
まぁ、そうは思ったとしても、湖上にはいるのはせいぜい角骸鯨と海魔驢くらいで、残念ながら彼等が狙っている獲物はいない。
しかしソレは、ある意味幸運な事だ。
海牛鰭は幼体でも何百kgとあるし、成体、特にオスになると余裕で一〇〇tを超える。
ヤツらがいたら、、とっくに湖上の氷は割れていた事だろう。
ソレを狙っていたのならば、経験の浅い青年達でも、その百分の一にも満たない大きさの角骸鯨程度なら、難なく対処出来るに違いない。
……出来る、のかなぁ?
精霊術も「スキル」も使えない一般人が、どれだけ弱いのか、イマイチまだ分かんないんだよなぁ。
狩りに慣れているオッサン達なら、どうにでも立ち回れるだろうけれど、経験の少ない若者となると心配が勝つ。
魔物と接触したり、所々空いている穴に落ちたりする前に、無理矢理にでも連れて帰るべきな気がしてきた。
そうなると全員を抱えて移動するのは、重量的にも俺の腕の本数的にもムリなので、陸に近い人達には引き返して貰おうかな。
転移方陣は術式としては複雑なので、カノンみたいに手本も何も見ず出力する事は出来ない。
なのであらかじめ、おおよその概要を書き込んだ紙を携帯している。
しかし俺が今指定可能な出口は、遥か彼方にある王都の俺達の家と、王宮に繋がる転移方陣。
他にはダンジョンの最深部や、火山地帯みたいな物騒な所になる。
あぁ、あと最近設置したオプスクリス開拓村にも繋げられるか。
いずれにせよ、突然飛ばされたら困るような場所ばかりだ。
何より時の精霊の契約をしていない人は、異空間を通る時に悪酔いする人が多いらしい。
王都で大規模避難をした時にもそんな声を聞いたけれど、てっきり燼霊襲撃による緊張状態から迷走反射を起こしたのかと思っていた。
今回の 粉媒楢騒動も、状況としては似ているけれど、安全な場所に逃げ延びたと脳が判断する前から、足元がふらついている人が多数いた。
方陣を使わずに、俺が一人一人抱えて安全圏まで転移で運ぶ事は、一応は可能だ。
しかしその際に、体調不良を全員もれなく起こしてしまったら大変な事になる。
移動をさせている真最中に魔物に襲われてしまったら、抵抗も出来ずに全滅に至ってしまうからね。
ソレを避けるためには、湖岸まで引きずるなり飛ぶなりして運ぶしかなくなるのだ。
初対面の人に対して、難しい年頃の男の子達が、素直に引き返せって言われて応じてくれるかなぁ……?
暴れる事なく、大人しく運ばれてくれるかなぁ……??
……難しいよね〜……




