神さま、魘される。
俺は郷愁なんて覚えるような、繊細な人間では無い。
そもそも、惹かれるような故郷なんて無いもの。
あの無機質な鈍色に包まれた施設を思い浮かべて、真っ先に脳裏に過ぎるのは、酷い虐待と拷問めいた折檻の日々だ。
ヘタな悪夢よりもタチの悪い、あの日常。
懐かしむような余地なんて、無い。
……ほとんど。
神の名を与えられた「スキル」を持つが故に、個人の思想など持つ事は許されず、万人のために友達を殺して、最後には死ぬ事を運命付けられていた。
ろくなものではない。
なのにもう、呼ぶ事すら叶わない、かつての仲間達が出てくる夢を見た。
……そう、夢だ。
これは。
皆で写真を撮った日の、追想だろうか。
だって俺も、周りにいる人達も皆、施設の制服を身にまとっていた。
夢以外の、何ものでもない。
琥珀が基で。
浅葱が 諒翔で。
紅曜が基希で。
颯茉は 茉夜の姿なのに、元気に自分の足で歩いていた。
……追懐の割には、随分と都合の良い景色だ。
自分の頭が狂ってしまったのかと、目眩を覚える。
こんなご都合主義な、ありもしない出来事を、例え夢の中だろうと見てしまうなんて。
あまつさえ、それを懐かしいとすら思うなんて。
華利雅や試験体一号 、父に母もエディまで、一緒になって、笑って、光の中を歩いていた。
共に行動した事なんて、一度も無い人達ばかりなのに。
俺を憎んでいるであろう人ですら、笑みを浮かべている。
居た堪れなくなって振り向いて目が合えば、何気なく笑いかけてくれる、優しい人達もいた。
基未も徹も……――そして、暁でさえ。
かつてのように、穏やかな表情をしている。
燼霊として、相対した時とは違う。
無感情な能面のような顔ではない。
もう取り戻せないと分かっていながら、渇望してしまう。
今なら、望んでも許されるだろうか……
手を伸ばせば、届くだろうか……
自分勝手に、戻りたいと。
そう願っても、良いのだろうか。
手を伸ばしかけ……その腕が伸び切る前に、止まった。
一瞬、迷った。
迷ってしまった。
基未達の背後……その、ずっと向こうにいる影を見てしまったから。
その逡巡の間に、全ての影が消えていた。
一人も残らず。
まばゆい光に満ちていた世界は闇に覆われ、伸ばしていた左手からは血が溢れ、両の手は、いつの間にか誰のものとも知れぬ赤い色で染まっていた。
手から無限に零れ落ちていく血溜まりは、足元を沼地に変え、底の無い流砂に身体が徐々に呑まれていく。
もがこうにも、ソコから伸びる黒い手のような影に阻まれ、動けない。
抵抗する事も許されず、まとわりつく無数の腕に引きずり込まれ……
「ぉぃ……おい、大丈夫か」
「…………カノン……?」
「だいぶうなされていたが……」
夢……うん、夢だって……自覚は、うん、してた。
大丈夫……
……コッチが現実。
…………大丈夫。
問題無い。
「起こすか迷ったのだが……
とりあえず、水を飲め。
ひどい汗だ」
タオルを差し出され、ようやく顔を流れる汗に気付いた。
頭の先から、次から次へと滴り落ちてくるその感触に、夢の中での出来事が脳裏を過ぎる。
大丈夫だ。
コレは、赤くない。
……イヤ、細かい事はもう、思い出せないけれど。
何か、嫌な夢だった。
その雰囲気だけは覚えている。
肩でしていた息を整え、差し出された湯呑みを受け取る。
中身はただの水かと思えば温かく、薄く色が付いていた。
不眠症に効果が高い 纈草の根の成分が含まれているのだろう。
ぶっちゃけ、臭い。
イソ吉草酸が含まれているため、土臭さに、チーズが酷く発酵したような臭いが混ざった香りがする。
こういう時って、気分転換になるようなカモミールとか、ローズのような香りの良いハーブティーを淹れるもんじゃなかろうか。
なんて気が利かないヤツだ。
確かに 纈草は効果が高い。
予定があるなら飲んではいけない。
精密さを要する作業をするなら飲んではいけない。
そう言われている位には、睡眠薬レベルでグッスリ眠れる。
睡眠不足だと気分が落ち込みやすくなるのは事実だ。
物理的に、身体に不調をきたさないよう慮ってくれたのだろう。
……だけどさ。
うなされていたと言うのならば、ココは夢見が悪かったのだろうと、気分転換になるようなものを淹れてくれるのがセオリーってもんじゃあなかろうか。
カノンに心の機微を求めるだけ、ムダか。
人助けはする癖に見返りを求めず、ヒトと交流する事を極端に避けた生活をずっと送って来たヤツだ。
こうやって気を遣う事すら、今までして来なかった。
なのに身体が冷えないようにとタオルを差し出し、ノドを潤すためのお茶を淹れてくれたのだ。
しかも独特の渋味を抑えるためだろう。
少しだが、甘くしてある。
十分過ぎる程、配慮してくれている。
その方向性が、ちょっと求めている事からズレているだけだ。
有難い事じゃないか。
「……ありがと」
「まだお前が寝てから、さして時間は経っていない。
それを飲んで、寝れそうなら寝ろ」
「カノンは?」
「大した時間は経っていないと言っただろう。
薬を作るのに必要な材料を、書き出している最中だ」
言って手元に重ねてあった、紙の束を掲げた。
確かにまだ、数枚しか文字で埋められていない。
追加で貰ったただの水で、ハチミツでは中和し切れていなかった、 纈草の苦味がまとわりついた口の中をゆすいで、飲み込む。
だいぶ汗をかいたようで、口の中がカラカラだった。
一気飲みは身体に悪いが、余裕でもう一杯貰う。
せめて寝る時くらいは、エクステや人工乳房を外したらどうかと提案された。
しかしソレには首を横に振った。
確かに重いし蒸れるから、コレ等が寝苦しさの一因となっているのは事実だ。
しかしカノンが離席しているタイミングで、誰かが部屋に入って来ないとも限らない。
だって部屋に、鍵が無いんだもの。
プライバシーとかそういう概念がない村で、今以上のセキュリティとマナーを求めてはいけない。
ならば事実を見られて困る、欺く側が気を配るのは当然の事だろう。
ウィッグのように、頭が蒸れないだけまだマシなのだ。
身体を拭いたタオルは、精霊術で洗って乾かす。
返そうとしたら、また必要になったら使えと、湯呑みも含めて返却を辞退された。
薬の研究に関して、集中力が最大値になったら、カノンは家が吹き飛んでも実験を続けるだろう。
それ位のめり込むタイプだ。
俺がまた悪夢を見ても、彼は今のように気付けないかもしれない。
その時には自分でなんとかしろ。
そう言いたいらしい。
優しいのか無神経なのか、イマイチ分からんヤツだよね。
まぁ、自分の事をよく分かっているって事か。
……なのにも関わらず、うなされている俺を起こしたんだよな。
余程うるさかったのだろうか。
それともまだ、最大限に集中する手前の段階だったのか。
もしくは、趣味である薬作りよりも、俺の事を好いてくれているのか。
……無い無い。
纈草の効果が、早くも回ってきたようだ。
寝言は寝てから言わなきゃね。
「おやすみ」と言って、もう一度布団を被る。
その後、ほんのりとだが、ベルガモットと白檀を合わせたような甘い香りが、部屋の中に広がった。
副交感神経を刺激する、リラックス効果の高い匂いだ。
徹夜するかもしれない時にこのお香を焚くなんて、珍しい。
気分転換のためならば、もっとスッキリするような物を選ぶだろうに。
何故だろう。
甘いものが苦手なカノンが、甘めに味付けされた飲み物を用意して、甘い俺好みのアロマを焚く。
その意味は……
先程よりも、暖められた部屋。
枕元にあるのは、思い返せば蒸した状態で渡された、既に乾いたタオルと、飲むのに調度良い温度に温められていたハーブティーが入っていた、中身の無い湯呑み。
ふっと、自然と笑みが零れた。
温かい気持ちに包まれて、布団を手繰り寄せる。
二度目の悪夢は、訪れなかった。




