神さま、心に誓う。
……マズイ。
非常に、マズイぞ。
彼女には琥珀がまだ人間だった頃に、一度会っている。
一歳になるか、ならないか。
それ位の月齢でだ。
通常ならば、その頃に一度会っただけの父親の友人なんて、覚えていないだろう。
だが彼女の両親は、施設の中でも飛び抜けて優秀だった人達だ。
脳ミソの作りが、他とは違うかもしれない。
例えば非常に優れた自伝的記憶――HSAMの持ち主ならば、自分が見聞きした情報の全てを、日付も出来事も全て一致させて語る事が可能だ。
頭の中に詳細を書き込める日記帳があるような感覚、とでも言えば良いのだろうか。
ページを捲れば、過去の出来事を不足なく提示出来る。
全ての記憶を忘れられない、という特性を持つHSAMは、過去を鮮明に思い出せるが故、昨日と十年前の記憶の彩度が全く同じだ。
一般的な人達の記憶とは違い、朧気な部分がない。
楽しかった、良い記憶が常に色鮮やかに取り出せるのは喜ばしい事だ。
しかし悲劇や不条理な事すらも、克明に思い出せてしまう。
地球の人口が八〇億人とかいた時代ですら、六〇人程度しかいなかったとされるHSAMは、研究対象者が少ないために、どんな要因でそうなるのか、分かっていない。
解明されないまま、地球は滅んだ。
非常に稀だと言う事。
両親が記憶力に優れている傾向に事。
最低でもその二つが条件としてあるようだ。
また、トラウマによって発症する事が多いため、脳の誤作動による病気だとする説もあった。
強迫性障害の症状を落ち着かせる薬物療法を行った被験者が、自伝的想起能力が消えたパターンが、複数件報告されている。
悪い体験を明確に思い出せてしまうなら、ソレに備えなければいけない、と取り憑かれたように考えてしまうのは、ある意味で当然だろう。
トラウマによってHSAMが発症し、HSAMによってトラウマを繰り返し追体験し精神疾患が悪化する。
イヤな負の連鎖だ。
全てを記憶する、なんて言葉だけ聞けば凄い能力のように感じる。
だが本人からしてみれば、手放したいと切実に願う類のお荷物だ。
彼女が瑞基本人ならば。
そして万が一にもHSAMとするならば。
母親から虐待を受け、愛していた父親が惨殺された現場の第一発見者になった。
トラウマにならない方がおかしい経験を、幼少期にしている。
その時にHSAMを発症していたら、俺の顔はバッチリ覚えられているだろう。
特徴的な部分は隠したが、顔の造形までは誤魔化せない。
髪の毛を染めた所で、別人には見えない。
あくまで髪を染めているのは、俺を知らない人達への対策だもの。
そもそも施設にいた頃から、俺はしょっちゅう髪色をコロコロ変えていた。
青銀髪やオーロラカラーじゃなくても、顔さえ覚えていれば、彼女には俺だとバレバレだ。
慌てて顔を隠したら、逆に怪しいよな。
……今からでも、鼻を削ぐべきだろうか。
イヤ、彼女がHSAMかどうかは分からないけどさ。
そこまで記憶力が高くなくても、優秀が故に覚えている可能性は否定出来ない。
直接会った事を覚えていなかったとしても、琥珀の遺品の中に、一緒に写っている写真が幾つか残されて居ただろう。
そしてこの世界で語り継がれている‘’三英雄と魔王の物語‘’に、魔王の名前やその特徴がバッチリと記載されている。
その魔王が父親の友人であった事、父親を殺した犯人である事も、他の地球人の口から語られ、彼女の耳に入っているだろう。
余程親子関係が拗れていた家庭ならばまだしも、愛情を注いでくれた父親を、幼少期、まだ自我も芽生えていない、親の庇護下にある事を何の疑問にも思わないような稚い時期に、突然奪った存在に対しての恨みだ。
何百年経とうと、消えるものでは無い。
むしろ恨み辛みというものは、年々深く濃くなっていくものだ。
積年の恨みを晴らすチャンスが到来したと分かれば、何をされるか分からない。
殴る蹴るだけじゃ、絶対済まないだろう。
いっそ殺してくれ級の拷問をされたら、どうしよう。
バレたら、ヤバい。
とてもヤバい気がするぞ。
殺された本人が赦してくれていても、被害者の周囲は納得しない。
そういうものだ。
今更詳細を説明したり、謝罪を述べたりして許して貰えるような事でもない。
証明する術も何もないし。
その今更、という感覚でさえ、当人からしてみれば、今なお苦しみが続いているのならば、苦痛が現在進行形で彼女を蝕んでいるのだ。
決して過去の事ではない。
となると余計に、どんな目に遭わされるのか、想像がつかない。
モチロン謝罪というものは、誠意を込めて、出来るだけ早く言うに越した事はない。
だが今回に限りは、出来ればバレないようにするのが最適解だと思う。
よし、黙っていよう。
痛い思いをするのがイヤって理由も……まぁ、あるけれど。
それ以上に、わざわざ気付いていない相手の心を荒ぶらせて、波風を立てる理由が無い。
今俺達は、開拓村の進捗を窺いに訪れた、国から派遣された勅使の立場だ。
そして俺が精霊の使徒だと、カノンも明言している。
俺が魔王だと知ったら、国や精霊に対して疑念を抱かせる。
ソレが火種となって、この世界唯一の国家の転覆を目論見、革命軍や組織が編成されたら、ヤバいなんてレベルの話じゃなくなるのだ。
世界は平和が一番!
要らん争いを率先して発生させようなんて事、俺には出来ない。
あくせくと世界の平和維持のために働いている、精霊の皆とカノンに申し訳がなさ過ぎるもの。
まぁ、気を付けるべきだが、気にし過ぎなくても、問題は無い、かも?
俺は三英雄様に倒され、死んだ事になっているのだしさ。
遥か昔に死んだ人と似ていたとしても、本人だとは思うまい。
最悪、魔王の特徴を提示したり、名乗ったりしなければ、バレはしないだろう。
地球人達は、時期の多少の前後はあれども、俺を除くのなら皆三百年以上前にこの世界に転移して来た人達ばかりだ。
どれだけ遅くても、カノンが生まれた頃には皆、転移してきている。
それこそ今更、魔王が復活するなんて、誰も夢にも思わないか。
ソレを考えると、何故カノンは瑞基を知らないのだろう。
父親の性格を考えれば、いとこ同士、顔合わせくらいさせそうなものだが。
ハッ!
自分で言ってて気付いた。
コイツ等、いとこなんじゃん!?
カノンが珍しく感情的にああ言えばこう言う状態になっているのを見ると、意外とこの二人、お似合いなのでは……???という気がしてくる。
喧嘩するほど仲がいいって言うじゃない。
ニヨりと上がる口角を隠し、「私も教えたのだから貴方も教えなさい」と瑞基に言われたカノンは、渋々と名前を紙に書いていく。
カノンの両親は、特に芸術分野に興味があった記憶はない。
だが妹のアリアと言い、他にも子どもがいたらこんな名前を付けていただろうと候補に挙げられていた名前と言い、何故音楽に関する名前を付けたのだろうと不思議には思っていたのだ。
もしかしたら、漢字表記にその謎を解く鍵があるかもしれない。
施設では日本人らしく、こういう人になって欲しいと願いを込めたり、代々継いできた漢字を入れたりする事が多かった。
そういう風に名付ける人が多い傾向にあったからさ。
その定石には沿わなかったんだな、と。
馬や鹿のようにマジメな基未らしくないなって。
瑞基も、父親から‘’基‘’の字を貰っている。
読みが難解でも、漢字を継いでいる可能性があるのか。
……カノンにもアリアにも、‘’基‘’・‘’未‘’・‘’徹‘’どの字も音訓読みに該当するものは無いのだが。
完全に当て字にしてしまっているとか?
夜露死苦や魔苦怒奈流怒ですら、ちゃんと読めるのに。
実は字面だけ見ると難読な、キラキラネームだったりするのだろうか。
こんな気難しそうな顔をしていながら。
瑞基の名前が書かれた紙は隠されてしまったが、自分の名前を書く所を覗き見られるのは問題無いらしい。
今まで教える機会こそ無かったけれど、別に故意に隠していたワケでは無いようだ。
アッサリ見せてくれた。
……何というか、望まれて生まれて来たのだろうな。
そしてコイツ等のファザコン・マザコンっぷりからして、愛されて育ったんだろうなぁ。
しみじみと、思ってしまう。
「……‘’基‘’の字が、入っていないですね」
名前が書かれた紙を渡された瑞基が、先程までよりも、更に訝しげな表情を全面に出してきた。
本名の漢字を知っているのではなく、ソコで身内か否か判断しようとしていたのだろうか。
もしそうなら、短絡的にも程がある。
イヤ、確かに俺もどっちかの漢字が入っていないのかな〜って考えたけどさ。
なんか特殊な暗号が潜んでいるとか、身内にしか伝わっていない特別な漢字を作っちゃったとか、なんかそういうのがあるのかと期待していたのだ。
肩透かしだよ。
ガッカリだよ。




