1の8 形だけの結婚式
不吉な予感を胸に皇城に入り、長旅の汚れを湯浴みで落として案内された部屋で待つ。
一応、巫女姫を受け入れる用意はしてくれていたようだ。
室内は綺麗に整えられて、ここで日々を過ごすのなら悪くないと思った――が、何時間待っても皇帝は挨拶にも来なかった。
(嫌われているというのは、本当なのね)
到着した初日に顔も見せないというのは、「お前の事はどうでもいい」と言外に伝えているようなものではないだろうか。
しかも相手は結婚相手なのに。
たとえ軽蔑されようと、どうでもいい。お前のために時間を使う気はない。
皇帝の考えが分かったので、私の緊張は一気に解けた。
「よかった。このままずーっとほっといてほしいわ」
到着した夜は、広すぎるベッドを独り占めしてゆっくりと眠った。
アシュロムの王宮にはうじゃうじゃと使用人がいたけど、この城には必要最低限の人員しか配置されておらず、とても静かで落ち着ける空間だ。
この様子から考えて、皇帝は世話を焼かれるのが好きではないのだろう。
翌日は当然ながら一人で起きて、侍女の手を借りて洗顔や着替えを済ませて、これまた一人で朝食をいただいた。
(おいしい。このトマト、すごく甘いわ)
どこの農家から仕入れた野菜なのか、どれも瑞々しくて美味しかった。
朝食の後は時間ができたので部屋で本を読んでいると、昨日私を迎えに来たザイオンという青年がやってきた。
「一応、小規模な結婚式を挙げます。形式だけの夫婦ですが、巫女姫を無下に扱う事もできませんのでね」
この言い方で私は、シェイラはザイオンにも嫌われているのだと悟った。
いかにも『仕方なく』式を挙げます、と言いたげだった。
昼から湯浴みをして真っ白な花嫁のドレスに着替える。
皇城の端に建てられた大聖堂に案内されたけど、中に入っても数名の騎士とザイオンしかいなかった。
小規模どころか、誰にも気づかれない結婚式だ。
正面には祭壇があり、ステンドグラスに彩られた窓の前には、この世界の創造主である女神像があった。
(皇帝はまだ来ていないようね)
しばらくして神父が現れたけど、相変わらず皇帝の姿が見えない。
もう部屋に帰りたいなぁと考えかけた時、大聖堂の扉がバンと乱暴に開いた。
かっちりした軍服を着た黒髪の青年が、無遠慮な足取りでずかずかと歩いてくる。
背が高くて歩幅も大きいから、あっという間に距離が縮まって威圧感を覚えた。
正直、少し怖いと思った。
「時間が惜しい、さっさとやろう」
どうやら彼が皇帝その人らしい。
(確か、エルヴィスという名だったわね)
エルヴィスは神父からひったくるようにして指輪を受け取ると、私の左手の薬指にぐいっと突っ込んだ。
そしてもう片方の指輪を私の手に持たせる。
ヴェール越しに見る彼の瞳は、珍しい金色だった。
(だから金の氷帝と呼ばれているのね)
なんて綺麗な色だろうか。
ほんの数秒だったけど、彼の瞳に見惚れていると不機嫌そうに言われた。
「おい、早くしろ。どうせ形式的な交換だ」
「え、あ……はい」
恐る恐るエルヴィスの武骨な左手を取って、薬指に指輪をはめた。
「終わったな。解散しろ」
指輪の交換が終わると、騎士達に向かってぶっきらぼうに言って、大聖堂を出て行ってしまった。
(す、すごい……。初めての結婚式が、あっという間に終わっちゃった)
あまりの早業に感想も出てこない。
でも誓いのキスがなかった事に、私は心底ホッとしていた。
(実際に会話して確信できた。やっぱり彼は、シェイラを嫌っているわ)
後は帝国の結界樹の場所を確認して、浄化の許可をもらって、粛々と使命を果たそう。
三か月後には晴れて自由の身だ。
式が終わり、ザイオンに連れられて自分の部屋に戻った。
また一人で夕食を取り、湯浴みをしたが、今度は夫婦の寝室で待てという。
でも私は慌てなかった。
皇帝がシェイラを毛嫌いしているのは確実で、そんな女と初夜を過ごす訳がないと思っていたからだ。
ザイオンも「巫女姫を無下に扱えない」と言っていたから、とりあえず夫婦の部屋だけは用意したのだろう。使用人に対して、体裁を保つために。
そんなふうに考えていたから、初夜に呼び鈴が鳴って「陛下が来られます」とドアの外から言われた時には心底驚いた。
しかもその報告の数秒後にドアが開いてエルヴィスが入ってきたので、私には心の準備をする余裕もなかった。
エルヴィスが私との会話で何を思ったのかはよく分からない。
でもとりあえず寝室からは出て行ってくれたのだから、うまく誤魔化せたのだろうと安心してしまった。
私の立場になった女性なら、きっと誰だって「夫から嫌われた」と確信するはずだ。
それくらいひどい初夜だった。
だから夫が後から寝室に戻ってきて、私と一緒に寝ているなんて想像もしていなかった。




