5の5 離婚してください
ようやく呼吸が楽になってきた頃、私はふっと目を開けた。
見覚えのある天井が視界に映り、自分が皇城に戻ってきたのだと悟る。
(ここに運ばれたのだったら、私が無理に沐浴した事もバレてしまったわよね……)
城を抜け出してまで沐浴した理由を、どうやって説明しよう。
考えながら起き上がると、色が戻りつつある毛先が見えた。鏡台からハサミを取り出し、庭に出て毛先を切り落とす。
「こんなの、ずっと誤魔化せる訳ないわ……」
エルヴィスはいずれこの違和感に気づくだろう。
その前に浄化を終わらせる計画だったけど、無理して沐浴した結果倒れたのだから、今後は城を抜け出すのさえ難しくなりそうだ。
(もう正直に話すしかないのかもしれない。私の命がどうなっても……)
計画が失敗した以上、私とハンスどちらも助かる道はかなり厳しいと考えた方がいい。
私はどうなってもいいから、ハンスが助かる方法を探りたい。
(女王とシェイラよりは、旦那様の方が話を聞いてくれるかもしれない)
夜着を脱いで、一人で着られるデザインの簡素なドレスを纏う。
軽い目眩を感じつつ執務室へ行くと、驚いた顔のザイオンがドアを開けた。
「皇妃? もう起きて大丈夫なのですか?」
「ええ、平気よ」
本当は少し歩いただけでも体が重いぐらいだったけど、無理やり笑って執務机の前に立つ。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
エルヴィスは何も言わず、ただじっと私を見ていた。言いたい事はあるものの、今は黙っておこう――そんな表情だ。
(何も訊かないの?)
だったら駄目もとで、お願いしてみよう。
「もう体は治りましたので、いつでも浄化に……」
「駄目だ」
ぴしゃりと言われ、唇をきゅっと噛む。
「きみは神力を使いすぎて、肺炎になりかけたんだ。当分、浄化に行くのは禁止する」
「肺炎に……」
まさかそこまでひどい状態とは知らなくて絶句すると、ザイオンが説明するかのように話し出した。
「発見した時の皇妃は、体が冷え切っていました。陛下が毎晩あなたを温めて、五日もかかってようやく回復したんですよ」
(五日も……)
そんなに時間が経ってしまったのなら、尚さら急いで浄化に行きたい。でもさすがにこの状況でそれは言い出せなかった。
勝手に城を抜け出して倒れた挙句、執務で忙しいエルヴィスに負担をかけてしまったのだ。
(禁止と言われても、仕方ないのかもしれない。でも……)
言われた通りにおとなしく回復を待っていたら、私の髪の色は元に戻り、ハンスも私も死んでしまう。
せめてハンスだけでも救わなければ。
私は執務机の前で、エルヴィスに向かって深々と頭を下げた。
「お願いです、浄化に行かせてください。私はどうなっても構いません。浄化のために帝国へ来たのですから、その使命が果たせるならたとえ死んだとしても……」
「駄目だ!」
初めて怒鳴られて、私はびくりと体を震わせた。
恐る恐る顔を上げれば、ひどく悲しげな表情のエルヴィスと視線が合う。
「冗談でも死ぬなんて言うな。そんな事は絶対に許さない!」
本気で言っているのが伝わってきて、私の頬を涙が伝った。
この人は、私を大事に想ってくれている。私に死なないでほしいと願っている。
でも今の私には、その思いは辛すぎて――どうしていいか分からなくなってしまった。
「私……、どうしても早く国へ帰らないといけないんです。大切な人が、私を待っているから……」
ああ、言ってしまった。
ぼろぼろと涙を零す私を、エルヴィスが呆然とした顔で見ている。
本来なら、故郷も家族も捨てるつもりで彼に嫁がなければならなかったのだろう。
それだけの覚悟を持って、皇帝の妃になるべきだった。エルヴィスもきっとそれを望んでいたはずだ。
しばらくの間、誰も何も言わなかった。
私はただ泣き続けていて、俯いて目元を擦っていると、エルヴィスがやっと絞り出したような声で言った。
「大切な人というのは、ハンスの事か?」
あまりに驚いて涙は止まってしまい、私はハッとして顔を上げた。
「どうして……」
エルヴィスの口からは出るはずのない名前だった。
それこそ、私の身辺調査でもしない限りは。
ザイオンが苦い顔で「エルヴィス」と名を呼び、エルヴィスは気まずそうに視線を逸らしている。
それで私にも、彼の失敗は予想外だったのだと――ハンスの名を知りながら黙っていて、思わず口に出してしまったのだと悟った。
ちょうどその時、窓からこつこつと音がして、そちらに視線を向ける。
一羽の鷹が窓を突いていて、その金色の瞳を見た瞬間、何もかも分かってしまった。
ザイオンが窓を開けて、腕に鷹をとまらせている。
「その鷹……、旦那様の鷹だったんですか?」
私の声は震えていた。
エルヴィスは私の動揺に気づいたのか、一度口をぐっと引き結んでから、重い口を開いた。
「……ああ。この鷹は皇族の使いなんだ」
「その子を使って、私を見張っていたんですか? 私の事も……もう全部知っているんでしょう?」
あの鷹は、私が学校にいる間ずっと私の行動を見ていた。
農園に出た時も一定の距離を保ってこちらを見ていたし、沐浴のために皇城を抜け出した時でさえ、最初の発見者はあの鷹だったはずだ。
つまり私は、ずっと見張られていた事になる。
私がぶるぶると震えていると、ザイオンがなだめるような口調で言った。
「見張っていた訳ではありません。陛下はあなたを守るために」
「嘘をつかないで! 結局は私を信用してなかったんだわ……」
また涙が溢れてきて、私は俯いて顔を隠した。
自分に彼等を責める権利はないと分かっていた。
最初からエルヴィスを騙して結婚したのは私で、正統な巫女姫でもないくせに、今でも彼の妻を演じ続けている。
こんな嘘と偽りにまみれた私が、エルヴィスとザイオンを糾弾していい訳がない。
それでもエルヴィスがあんまり愛を訴えてくるから、私の事は――私という人間に関しては、信頼してくれたのだろうと自惚れていた。
(もう終わりにする時が来たんだわ……)
私は山の中で育ち、姫としての教養なんか何一つ身に着けてこなかった。
表面だけ無理やり繕って姫になった女を、エルヴィスは騙されて妻に娶ったのだ。彼が気の毒で仕方がなかった。
だから――もう解放してあげなければ。
涙でぐしゃぐしゃになったまま、エルヴィスに告げた。
「あなたなんか、大嫌いです。離婚してください」
返事を待たずに執務室を飛び出した。
自分の部屋に戻る気にはなれなくて、広い庭の片隅で、植え込みに隠れるようにして膝を抱える。
私の鳴き声と涙はドレスに吸い込まれて、誰も来る気配がないのが救いだった。
もう夕方になったようで、宵闇が私の姿を隠してくれる。
(ひどい事を言っちゃった……)
悪いのは私なのに、一方的に離婚を告げるなんて最低だ。胸が裂けたように痛くてたまらない。
闇が深くなった頃、急に私の横の地面が円形に光りだした。
何事かと思って警戒しているとキンッと甲高い音が響いて、次の瞬間には円の中心にシェイラが立っている。
「シェイラ……!?」
「無礼者、呼び捨てを許した覚えはないわよ」
姉は青白い顔をしつつも私に歩み寄り、じっと見下ろしてきた。
「ひどい顔をしているわね。さては偽者だとバレたんでしょう」
楽し気に言うけど、私としてはなぜここに転移できたのかが不思議で仕方なかった。
「どうしてここに……転移は知っている場所だけじゃ」
「どうしてって、本当ならここは私が嫁ぐ城だったのよ? 私達は子どもの頃から、夫婦になると決まっていたの。来た事があるのは当然でしょう」
改めて言われ、頭を殴られたようなショックを感じた。
呆然とする私を見て、姉は高らかに笑った。
「初めてこの城に来た時、エルヴィスは私に見惚れていたわ。木の陰に隠れて、顔を赤らめて……あぁごめんなさい、あなたは彼の子どもの頃なんか知らないわよね」
「……」
「偽者のあなたには荷が重かったわね、後は私に任せて帰りなさい。お姉様に泣いて懇願すれば、ハンスは助かるかもしれないわよ? あなたの命と引き換えに、だけど」
その言葉に、のろのろと顔を上げる。
(そうだわ……。せめてハンスの命だけは守らなきゃ)
もう私に出来るのはそれだ。
「あなたの神力なら転移できるでしょう。送るだけならやってあげるわ。……失敗するかもしれないけれどね」
唇をにいっと歪めながら、シェイラが私に向かって手をかざした。
私の足元が光り出し、甲高い音がすると同時に視界から庭も姉も消えてしまった。




