5の2 絶望
浄化をした後は、相変わらず四日間休むようにエルヴィスから言われている。
今日はまだ二日目の休みだったので、学校の後は暇を持て余していた。
(髪の色が長持ちするなら、焦って浄化しなくていいわよね)
私が帝国に来て、ひと月が過ぎようとしていた。
今までは三か月という期間を気にしてばかりだったけど、昨日髪に薬を塗ったから、もしかしたら半年ぐらいもつかもしれない。
ただ、あの姉がなぜこんな気前のいい事をしたのかという疑問は残る。
(少しは私の能力を認めてくれたのかしら?)
夕方になり、自室でのんびり本を読んでいると、改めてこんなに静かなのは久しぶりだと思った。
いつもはやたら私に絡んでくるザイオンは、ずっと何を調べているらしい。
先日はずっと不在で、エルヴィスに訊いてみたら調査のために国を出ているとの事だった。
国を出る程の調べ物とは何だろう。
(また巫女姫の事を調べているのかもね)
巫女姫が皇帝の子を産むのは必須だの、私にエルヴィスの子を産めだの、好き放題言われる身にもなってほしい。
「別の本を借りてこようかしら」
テーブルに積まれた本は全て読み終えてしまって、タイトルを確認しながら一冊を抜き出そうとした時、雪崩のように本が崩れてしまった。
何をしてるんだろうかと自分に呆れつつ、本を拾おうと屈んだ瞬間、その異変に気付いた。
「え……!?」
肩からはらりと落ちてきた髪の毛先が、わずかに変色している。よく見なければ分からないくらいだけど、確かに色が抜けて――元の薄桃色に戻りかけている。
「そんな……、嘘でしょう?」
気のせいだ、と祈りながらランプの近くで髪を確認したけど、やはり毛先だけ紫色が薄くなっていた。
(元が薄桃色だと知っている私だからこそ、気づけた程の変化だけど……)
このままでは早晩、もっと明確に変色していくだろう。
「あの薬……色を抜くためだったんだわ」
使者は昨日、毛先だけやたらしつこく薬を塗っていた。
あれは部分的に脱色させる事で、元の色を際立たせるためだったのだろう。
(どうしてなの……、そんなに私が憎いの?)
最初は姉の気遣いだと信じていた。でも今はどれだけ愚かだったのかと、昨日の自分を殴ってやりたい気分だ。
最初から姉も使者も信じるのではなかった。
鏡台からハサミを取り出して、庭に出た。部屋の屑籠に入れたらバレてしまうから、芝生の上で変色した毛先を切り落とす。
とりあえず誤魔化せたものの、このままでは不味いのは確かで、心臓が嫌な音を立てている。
(髪がどんどん短くなっていったら、問い詰められるわ)
私の髪はいつもテレーゼが丁寧に手入れをしてくれる。特に毛先が荒れたわけでもないのに切り落としていくのは不自然だ。
それに何より、使者は昨日エルヴィスに「巫女姫は髪に神力を蓄える」と説明したはずだ。
私が自分の髪を切る理由はどこにもない。
絶望したまま空を仰ぐと、沈みかけている太陽が見えた。
辺りは薄暗くなり、植え込みは黒々としたただの塊に見える。
(髪の色が完全に戻る前に、急いで浄化を終わらせるしかないわ。今からでも行こう)
まだ晩餐の時間ではない。
二時間程で戻れば、誰に気づかれる事もないだろう。
私は急いで部屋に戻り、浄化の時の動きやすい衣装に着替えた。
そしてまた庭に出て、植え込みに沿いながら馬屋を目指す。誰の姿もなく、今だけは城の使用人が少ない事に感謝した。
一頭の馬に近づいて背を撫でる。
「こんな時間にごめんね。私を助けてちょうだい」
おとなしい気性の馬なのか、抵抗せず私を乗せてくれた。
城の裏門から出て、結界樹の森を目指す。
薄暗くてかなり視界は悪かった。手綱は握っていたもののほとんど馬に頼り、その背に揺られていると、木々の向こうに湖面が見えてくる。
思ったよりも早く着いたようだ。
ホッとして馬の背から降り、島までの橋のような道を駆けていく。
途中、不安になって振り返ったけど、誰も追いかけてはこなかったようだ。
私を運んでくれた馬だけが、静かに湖の水を飲んでいる。
道の途中で足を止め、結界樹の全体の姿を確認した。
「まだ半分以上、黒いままだわ……」
太い幹の部分は純白に戻ったものの、幹から分岐した枝はまだ灰色で、その先にある葉は漆黒のままだ。
やっぱりどう考えても、あと数か月はかかるだろう――でも私には、秘策があった。
(沐浴しながら浄化を続ければいいのよ。それなら短期間で済むでしょう)
ザイオンはこの湖の水には、神力を回復させる効果があると言っていた。
浄化する度に沐浴すれば、髪の色が完全に戻るまでに終えられるかもしれない。
結界樹の元まで行って、幹に両手を当てる。
(お願い、元に戻って)
願うと同時に神力を流し込むと、周囲に光が溢れた。
「はぁ、はぁ……っ」
浄化した時は、いつも全力疾走した時のような疲労感を覚える。
しばらく待って心臓が落ち着くのを待ち、また結界樹の状態を確認する。
灰色の部分が白くなっていて、確実に効いているのが分かるとやる気が出てきた。
「誰も見てないわよね……?」
さすがにこのまま沐浴する気はなくて、私は周囲を窺いながら服を脱ぎ始めた。
馬しかいないけど、外で下着姿になるのは初めてだ。
服を結界樹の傍に置いてから、恐る恐る水に浸かる。
「冷た……っ」
季節は初秋で、日が暮れた事もあってか、水は飛び上がる程冷たかった。
それでも我慢して肩まで浸かると、じわじわと神力が回復する感覚がある。
(すごいわ、ザイオンの言った通りだった)
まさかここまで効果があるとは思わなかった。
勢い込んで水から上がり、その姿のまま結界樹に両手を当てる。可能なら、もう一度沐浴しようと思ったからだ。
懸命に神力を込めていると、くらりと目眩がした。浄化は出来たものの、全身から嫌な汗が噴き出してくる。
呼吸も苦しくて、息を吸っているのに楽にならない。
(時間が短かった?)
もっと長い時間、湖に入ればよかったんだろうか。
ぜえぜえと肩で息をしながら、幹から手を離して歩き出した途端、ひどい目眩に襲われた。
ぐるりと視界が回転し、気が付いたら倒れていて、頬に草の感触がある。
(立たなきゃ……、立って帰らなきゃ)
心配したエルヴィスが私を探しに来てしまう。
どうして無理をしたのかと訊かれたくない。
なのにどんなに立とうとしても、私の手足はぴくりとも動かなかった。
何かが私の手を突く感触があって、やっとの思いで目を開けると、すぐそこに鳥がいる。
金色の目の鷹だ。
(この鷹……どうして……)
学校でしか見ないから、先生の誰かが飼っているのかと思っていたのに。
その鷹が、なぜここにいるのだろう。
鷹が飛び立ったのを最後に、私の意識は薄れていった。




