5の1 アシュロムからの使者
数日間、落ち着かない時間を過ごした。
結界樹の浄化をしている時も別の事を考えてしまい、最近の自分は何て役立たずなんだろうかと情けなく思う。
(私……エルヴィスの話に動揺してるんだわ)
彼は公園で、三年前に起った悲劇について教えてくれた。
でも私としては話の内容よりも、彼が『私に』話したという事実に衝撃を受けていた。
エルヴィスは本気なのだ。
本気で私を妻に迎える気でいる。
(私はどうしたらいいの……)
悩んでいるとドアがノックされて、テレーゼが応対するとザイオンだった。
「アシュロムから女王の使いが来ています。皇妃に話があるそうです」
私はぎくりとして、反射的に椅子から立ち上がった。
「すぐに行きます」
(まさかハンスに何かあった?)
脚を治療してくれる約束だったのに、悪化したという話だったらどうしよう。
あるいは、もっと早く帰れという催促だろうか。
(どちらにせよ、あまりいい話じゃなさそうね)
硬い表情のままエルヴィスの執務室へ入れば、確かにアシュロムからの使者が立っていた。
(王宮にいた侍女長だわ)
シェイラと一緒になって私に厳しい指導をした、四十歳くらいの女性だ。
テレーゼと同じような黒い侍女の服を着て、私を見ると頭を下げた。
「女王陛下からお手紙を預かっております」
そう言って、封筒を私へ差し出す。
何気なく受け取ると手の平に違和感があり、その感触で封筒の下に紙が隠されているのを悟った。
(このメモは、私にだけ読めという事ね)
手紙で隠しつつさりげなくメモに目を通した瞬間、私は声を上げそうになった。
――髪の手入れのために使者を送った。使者の指示に従え。
髪の秘密を知られたくないエルヴィスがすぐ傍にいるだけに、心臓が嫌な音を立てている。
(手入れ……? 色を染め直すの?)
シェイラは三か月もつと言っていたけど、手入れなしだともっと早く色が抜けると心配してくれたのかもしれない。
縋るように使者を見ると、彼女は小さく頷いた。
(手入れしたら、もっと長く帝国に滞在できるのかも)
私はかすかな希望を胸に、エルヴィスに言った。
「陛下、使者と一緒に部屋へ戻ります」
「二人きりでか? テレーゼも同行した方がいいんじゃないか」
なぜか彼は私に心配そうな目を向けている。
どう言えば説得できるだろう。
私の髪の秘密は、彼には絶対に知られたくない。
考えていると、使者がエルヴィスに告げた。
「私は巫女姫の髪の手入れのために参りました。巫女姫は長い髪に神力を蓄えますので、我が国の特別な手入れが必要なのです。女王陛下からは、手入れは人に見せるものではないと伺っております」
「そ……、そうなんです。だから二人きりでいいんです」
どうか不審に思われませんように。
祈るような気持ちでエルヴィスを見ると、彼はまだ不安そうな顔をしていたものの、最後には「分かった」と納得してくれた。
テレーゼも執務室に残して、使者と私だけで自分の部屋に戻る。
「まずは湯浴みをして、髪の汚れを落とします。汚れていると薬が効きませんので」
使者の言う通りに浴室へ向かい、ドレスを脱いで入浴した。
私がお湯に浸かっていると彼女は泡立てた石鹸で紫の髪を洗い、何度もお湯で流した。
しつこい程洗って浴槽から出て、清潔な布で体と髪を拭く。
髪がほどよく湿った状態になると、使者は透明な液体の入った瓶を取り出した。
「これを塗ると、色が長持ちするのよね?」
「そう聞いております。何度か塗りますので、じっとしていてください」
ブラシに薬を振りかけて、頭の上から毛先まで何度もとかしていく。
特に毛先に問題があるのか、ブラシにたっぷりと薬を振りかけて、塗りこめるようにとかす。
「毛先から色が抜けるの?」
「それは存じません。シェイラ殿下から、毛先は丁寧に塗るようにと指示されました」
私は髪を染めた時の事を思い出していた。
(どうだったかしら……。頭の上から染めて、まんべんなく塗っていたと思うんだけど)
変な匂いのするどろりとした薬草で、髪にたっぷりと塗った後は何時間も待つように言われたはずだ。
「手入れの間、手紙をご覧ください」
使者に言われ、そういえば手紙を受け取ったのだと思い出した。
鏡台に置かれた封筒を手に取り、手紙を開く。
(女王じゃなくて、シェイラからだわ)
最初の一行で、すぐにそれに気づいた。
――皇帝から手紙が来たわ。ずい分そちらで大切にされているようね? でも勘違いしない方がいいわよ。
(旦那様は、私の祖国に手紙を出してたんだわ……)
何を書いたのかと不安になったけど、この文面から察するに、問題視するような内容ではなかったらしい。
エルヴィスはきっと私の事を褒めてくれたのだろう。
シェイラはそれが気に食わないのだ。
ほっとしたのも束の間、次の文章で一気に気分が悪くなった。
――あの男を信じては駄目よ。エルヴィスは子どもが欲しいだけ。あなたは利用されているのよ
(利用するだけの相手だったら、辛い過去を話したりしないわよ)
確かにエルヴィスは子どもを望んでいる。
でも望みがそれだけならば、彼は初夜で私を無理やり襲っていたはずだ。
そうしなかったのは、妻と心を通わせてから子どもを作りたかったからだ。
衝動的に手紙を破り捨てたくなったけど、最後に『読み終わったら使者に返しなさい』と書いてある。
私が使者に手紙を渡すと、彼女は「では私はこれで失礼します」と礼をした。
ドアが閉まる直前に、念押しのように言われる。
「今日はもう湯浴みをせず、そのままお休みください。薬をしみ込ませるためです」
「分かったわ」
今度こそ使者は出て行って、私だけが残された。
しばらくするとドアがノックされ、廊下から「皇妃」と声がする。エルヴィスだ。
「旦那様? どうしたんですか」
わざわざ様子を見に来てくれたんだろうか。
ドアを開けて顔を出すと、彼は片手を伸ばして私の頬に触れた。
そして観察するかのように、私の顔をじっと見つめる。
「あの……?」
何をこんなに心配しているんだろうか。
(私の髪、何ともなってないわよね……?)
自分では何の変化もないように見えるけど、エルヴィスは特殊な瞳を持っているから、じっと見つめられると不安になってしまう。
やがて彼は言った。
「何か辛い事があったら、すぐに俺に言え。前に誓った通りに、きみの危機は必ず救ってみせる」
覚えていてくれた――私は嬉しくて、泣きそうになってしまった。
「ありがとうございます。私は大丈夫です」
もし私が危機に陥ったら、きっとエルヴィスは誓いの通りに守ってくれるのだろう。
それについては、何の疑いも持っていない。
ただ私自身が、彼の誓いを受けるだけの価値を有していないだけだ。
(どうして私の髪は、紫色じゃないの?)
エルヴィスを嫌っているシェイラは紫色なのに、彼の愛に応えたい私には巫女姫たる色がない。
今回の手入れで色が長持ちしたとしても、いずれはこの国を去らないといけない。
シェイラと私が逆だったらよかったのに……。
私はこの時、初めて姉を羨ましいと思った。




