4の7 側妃
授業が終わり、私は一人で中庭のベンチに座っている。
ザイオンの言葉が衝撃すぎて、すぐに帰る気にはなれなかったからだ。
(私が旦那様の子を……。ザイオンでなければ、聞き流したのに)
皇帝の側近たるザイオンが言うくらいだから、ある程度は確証があって口にしたのだろう。
(どうして巫女姫じゃないと駄目なの? 理由を教えてくれないと……、いいえ、違うわ。そもそも私には、旦那様の子は産めないのよ)
たった三か月の猶予しかない私には、エルヴィスの子は産めない。
仮にお腹に子を宿したまま祖国に帰ったとすれば、シェイラはどうするだろう。
シェイラが蔑んでいるエルヴィスの子だ。生まれてからどんな扱いを受けるか、分かったものではない。
思わずため息をついて、ふと顔を上げると、私の前にアンナが立っていた。
いつもの穏やかな表情ではなく、どこか追い詰められた空気を纏っている。
「どうしたの、アンナ」
隣に座るようにベンチをとんとんと手で叩いたけど、彼女は深刻な顔のまま言った。
「皇妃様はとてもいい方だから、このまま黙っているのは卑怯だと思ったんです」
「アンナ……?」
私は思わず立ち上がり、彼女の肩に手を置いた。かすかに震えていて、アンナの緊張が伝わってくる。
彼女はぽつぽつと語り出した。
「私の父は今でこそ貴族の一員ですが、若い頃は商人でした。財を築いて葡萄畑を買い、商売が軌道に乗って爵位を買ったんです」
アンナの口元には、苦い笑みが浮かんでいた。
「だからうちの事を、成金貴族と言う人もいるんですけど……、父も私も真面目にワインを作っているから、ずっと気にしないようにしていました」
「そうね。アンナとお父様のワインは、とてもおいしいもの」
私にはワイン作りの知識はないけど、あの晩に飲んだサングリアの豊かな香りは一級品だと思った。
アンナは小さく「ありがとうございます」と言い、続ける。
「ワインは努力の甲斐あって陛下のお気に入りになったのですが、父はそれがいつまで続くのかと不安みたいで……」
顔を上げたアンナの瞳は潤んでいた。彼女は今にも泣きそうな顔で言った。
「私に、陛下の妃になれと。そうなれば成金と呼ばれる事もなくなるし、家の格も上がって商売も安定するからと……」
陛下の妃――エルヴィスの側妃。
いつかは現実になるだろうと思っていたけど、突然その可能性を突きつけられて私は絶句した。
(なぜショックを受けてるのよ! 最初から、その可能性はあると分かっていたはずでしょ)
今さら愕然としている自分が愚かしい。
そしてようやく、レイチェルの思わせぶりな言葉の意味が分かった。
『あなたにとっては、別の意味もあるでしょうけどね』
レイチェルはアンナの家の事情を知っていたのだ。他の令嬢達は貴族の義務としてエルヴィスの妃を望んでいるけど、アンナにはもっと深刻な理由があった。
ワインの事業が失敗したら、彼女の家族は路頭に迷ってしまうから。
アンナはとうとう泣き出して、私の体に縋りついた。
「どうしたらいいんでしょう? 私、ワイン作りが好きだから、領地から離れるつもりはないんです。でも父の望みを叶えてあげたい気持ちもあって……」
私は足元がぐらぐらと揺れるのを感じながら、懸命にアンナの背中を撫でていた。
なんて声を掛けてあげればいいんだろう。
迷っていると、アンナは涙で濡れた顔を上げた。
「皇妃様だって、私が側妃になるのは嫌ですよね?」
その言葉で、察してしまった。
アンナは私に嫌だと言ってほしいのだ。皇妃の私が拒否すれば、アンナの父も諦めるかもしれないから。
(でも私は、いずれいなくなる妃だから……)
仲良くしてくれたアンナだからこそ、嘘や言い訳で誤魔化したくない。
それにアンナはいい人だから、彼女がエルヴィスの妃になれば、きっと彼を大切にしてくれるだろう。
アンナの家族も安心してワイン作りに励む事ができる――いい事ばかりだ。
私はアンナの肩に手を置いて、優し気に言った。
「私の意思は気にしなくていいわ。アンナは優しいから、あなたが妃になったら陛下は幸せな人生を歩むでしょう。私はアンナが進みたい道を応援するわ」
話しながら私は泣きそうになっていた。
とうとう諦める瞬間が訪れた、と思った。
同時に、最初からその計画だったでしょうと、自分を戒めた。
アンナはしばらく何も言わなかった。
目元の涙を私がハンカチで拭いてあげると、恥ずかしそうに微笑んで、「しばらく考えてみます」と言って帰っていった。
私はザイオンが迎えに来るまで、中庭に佇んでいた。




