1の2 シェイラという女(エルヴィス)
しかしそこで見たのは、女神のような美貌とは正反対の、シェイラの内面の醜さだった。
『ああ、シェイラ姫……、なんという美しさだ』
王子は見事な衣装が土で汚れるのも厭わずに片膝をつき、石のベンチに座ったシェイラの足首に口づけている。
まともな女ならば、そんな事はしていけないと王子を諫めるべき事態だ。
しかしシェイラは王子を満足そうに見下ろしており――なおかつ、彼女の瞳には男を軽んじる光があり、エルヴィスの全身におぞ気が走った。
今、自分は、忌むべきものを見ている。
一刻も早く立ち去ろうとしたが、二人の会話がエルヴィスをそこに釘付けにした。
『おいたわしい……、なぜあなたがあんな男の妃に』
『仕方がないわよ、そういう取り決めがあるの。……あん、駄目よ、もう』
二人はくすくすと笑いながら、ついばむように口づけを繰り返している。
それを視界の端に捕らえながら、エルヴィスは自分の胸に悲しみが満ちるのを感じた。
(あんな男というのは、俺の事だろうな)
グリセーズ帝国の皇族は世界を魔獣から守っているが、他国の王族はその功績を認めてはくれない。
むしろ魔獣と戦う忌むべき一族だと蔑んでいる。
『あなたはもう戻りなさい。陛下が心配なさるわよ』
およそ十五の娘とは思えぬ口ぶりでシェイラが言うと、王子は名残惜しそうにその場を去った。
やがてシェイラも立ち上がったが、ようやくエルヴィスの存在に気づいたようだ。
彼女は少し驚いた顔を見せたものの、何の悪びれる様子もなく言った。
『御機嫌よう、父殺しの皇帝』
それは絶対に聞きたくない言葉だった。
衝撃で動けないエルヴィスにシェイラは妖艶に微笑み、なおも言った。
『私があなたの妻になっても、手は出さないでちょうだいね。その気味の悪い金の瞳で見られると、私にまで呪いが移るみたいで嫌だわ』
男を魅了する微笑みだったが、エルヴィスはシェイラの瞳の奥にある侮蔑の光を見逃さなかった。
この女は、俺を人間だと思っていない。
エルヴィスが硬直している間に、シェイラは小さく歌を口ずさみながら、祝宴の間へと戻っていった。
エルヴィスは爪が食い込むほど強く手を握りしめ、暗い表情のまま会場を後にした。
もう二度とあの毒婦には会うものか。
その誓い通り会わぬまま三年の月日が流れ、エルヴィスはシェイラに再会した――はずだった。
あの祝宴での出会いがなかったとしたら、自分は今夜、シェイラが偽者だと気づかなかっただろう。
今のエルヴィスは、祝宴で受けた侮辱は無駄ではなかったとさえ考えている。
(あの姫は絶対にシェイラではない)
本人と交わした衝撃の会話があってこその確信だった。
あの姫の瞳には、シェイラにはない純真な光が宿っている。
エルヴィスは立ち上がり、ザイオンに命じた。
「あの花嫁を調べろ。巫女姫としての能力は持っているが、王宮では育っていない可能性がある。あと、念のため花嫁に侍女長を付けて見張らせろ」
ザイオンは驚いたものの、「承知した」と答えた。
エルヴィスは憶測で命令を下す皇帝ではない。
今夜、姫と交わした会話から、何らかの確信を得たのだろう。
ザイオンは、執務室から出て行こうとするエルヴィスの背中に問いかけた。
「花嫁のもとへ戻るのか?」
「ああ」
「念のため聞くが、花嫁が偽者だとして、本当の妻にしたいのか?」
今回の婚姻はあくまで形式上のもので、誰もが巫女姫を一時的な皇妃だと考えている。
彼女を本当の妻にするのならば、貴族達への根回しも必要になってくる。皇帝の妃の座を狙う貴族はそれなりに存在するからだ。
ザイオンの問いに、エルヴィスはドアを開けながら答えた。
「俺はそれを望んでいる。……ただ、本人がどう思うかは分からないが」
そう言うと部屋を出て行ってしまった。
どうやらエルヴィスは、妻に無理強いをする気はないらしい。きっと浄化までの期間を使って、姫と相思相愛になりたいと考えているのだろう。
室内に残されたザイオンは信じられない思いで、エルヴィスが消えたドアを見つめた。
「あそこまで言うのなら、偽者で間違いないのかもな。あいつが気に入る女性が現れるなんてなぁ……」
ザイオンはエルヴィスの従兄だから、彼の苦労を充分すぎる程知っている。
そしてエルヴィスには幸せになる権利があると思っている。
(エルヴィスを応援してやりたい気持ちはあるが……。姫がエルヴィスを陥れるつもりなら、容赦はしない)
三年前の悲劇によって、この城に残る皇族はエルヴィスとザイオンのたった二人になってしまった。
エルヴィスに何かあれば、直系が途絶えてしまう。
それは世界の破滅を意味する。
ザイオンは従弟を守るためなら、己はどうなってもいいとさえ考えていた。




