1の1 偽りの花嫁(エルヴィス)
初夜だというのに寝室に花嫁を置き去りにしたエルヴィスは、そのまま執務室へと戻った。
室内にはエルヴィスによく似た青年がおり、書類の整理をしている。
長い灰白色の髪をうなじのところでくくった、薄い金色の瞳の青年――側近のザイオンだ。
彼はエルヴィスを見るなり、やや驚いた表情で言った。
「おいおい、花嫁はどうしたんだ。今夜は大事な初夜なのに」
ザイオンはエルヴィスの従兄であり、二人はこの城で本物の兄弟のように仲良く育った。
ザイオンの方が年上なこともあってか、彼は二人きりの時にくだけた口調で話すクセがある。
皇族の傍流であるザイオンだが、直系のエルヴィスほど女神の血は濃くない。
エルヴィスの黒髪と金の瞳は、創造主たる女神の末裔を表す証そのものだった。
花嫁に試練を課し、その結果を目にしたエルヴィスは、大股で執務机に歩みよるとどかっと椅子に座った。
「置いてきた。あいつだって、俺との初夜なんか望んでいないだろう」
「そりゃまあ、シェイラ姫が望んでここへ来たとは私も思ってないけどな。死ぬほど嫌だけど、結界樹の浄化のために仕方なく来たんじゃないか?」
かつてこの世界には、瘴気と魔獣が溢れていた。
人間を憐れに思った女神は結界樹という特殊な木を二本植えて、そこに瘴気と魔獣が集まるようにした。
その二本の結界樹を守っているのが、女神の血を引くアシュロムの巫女姫と、グリセーズの皇族だ。
アシュロムの結界樹は瘴気を吸い、巫女姫はそれを浄化する。
グリセーズの結界樹は魔獣を取り込み、それでもなお溢れた魔獣を皇族が祓う。
二国にそれぞれ一本ずつ生えている結界樹だが、グリセーズの結界樹は約三百年ごとに限界を迎えてしまう。
そうなると魔獣の数は増え、出現も頻繁になり、皇族の手には負えなくなる。
その前にアシュロム神聖国から巫女姫を娶り、帝国の結界樹を浄化させるという取り決めがあった。
実際、グリセーズの結界樹は限界間近であった。
本来なら結界樹は純白の姿だが、グリセーズのそれはすでに漆黒に染まりかけている。
エルヴィスが疲れているのはそのせいだ。
執務に追われながら、頻繁に魔獣の討伐へ行かねばならない。
正直に言えば、もう誰でもいいから帝国の結界樹を浄化してほしかった。
どうせ浄化が終われば巫女姫は祖国へ帰る。形式だけの婚姻であり、そこに夫婦の愛などお互いに求めてはいない。
「元々、形だけの婚姻だ。使命を果たしたらすぐに帰るつもりなんだろう。供も付けず、荷物も最小限で……遊びにでも来たのかと思った」
エルヴィスが呆れた口調で言えば、ザイオンは苦笑した。
「しかし初夜に放置される花嫁は外聞が悪いぞ。侍女達がどう思うか……」
いくら期間の決まっている花嫁だろうと、アシュロムの巫女姫は世界の守護者である。
決して軽んじていい相手ではない。
ザイオンの言いたい事を理解したエルヴィスは、彼を安心させるために言った。
「後でちゃんと戻る。それより重大な問題が発生した」
「重大ときたか。花嫁に対する嫌悪感が強すぎる、とかか?」
ザイオンは皇族の一員であるから、当然シェイラ姫とは出会っている。
姫の人となりも知っているし、だからこそエルヴィスが彼女を蛇蝎のように嫌っている事も理解している。
からかうように投げかけられた言葉だが、エルヴィスにはそれを一笑に付すつもりはなかった。
「あのシェイラは、偽者かもしれない」
さすがに予想もしていなかったのだろう。
エルヴィスの言葉を聞いたザイオンは、しばしの間、固まった。
「まさか……、偽者にしては似すぎじゃないか? あの人形じみた美貌といい、完璧に整った体といい。年齢から考えてもシェイラ姫本人だろう。長姉は母親の跡を継いで、女王になったばかりのはずだ」
アシュロムの王族には女児しか生まれず、彼女たちは皆、女神から美の加護を賜る。
だからどの姫も見惚れるような美しい姿を持つが、顔も体もまるきり同じ姫が二人いるというのは、双子以外ありえない。
「アシュロム王家に、双子が生まれたという記録はなかったはずだが……」
ザイオンは怪訝そうに言ったが、エルヴィスはなおも主張した。
「見た目は似ているんだが、どうも言動に違和感があるんだ。指先も荒れていて深窓の姫君とは思えない。それに、目が……」
視線を下げたエルヴィスは、どこか遠くを見るような目をしている。
ザイオンは彼が過去を思い出しているのだろうと察し、黙ってエルヴィスの言葉を待った。
「シェイラはあんな目で俺を見ない。あんな澄んだ真っすぐな瞳で、俺を見たりはしない。あの毒婦は俺を見下しているからな」
三年前に父の跡を継いで皇帝となったエルヴィスは、シェイラ姫の十五歳の祝宴に参加した。
エルヴィスが自ら望んで行った訳ではない。
彼は自分がアシュロムの姫達から疎まれている事を、充分に理解していた。
それでも参加したのは、二国の取り決めによって、シェイラ姫がエルヴィスの妃になると分かっていたからだ。
浄化が終わるまでの期間だけとはいえ、自分の妻となる姫を無下に扱うのはどうかと思った。
記録によると、三百年前の姫は浄化を終えるのにそれなりの年月が必要だったらしい。
ずっと冷遇するのはエルヴィスにとっても歓迎すべき状況ではなく、彼はシェイラ姫に挨拶しようと会場を巡った。
シェイラの周りは常に人で溢れていた。
姫はわずか十五という年齢でありながら、すでに男を魅了する美しさを手に入れていた。
他国の王子達はシェイラの美貌の虜となり、誰もかれもが彼女の視線を独り占めしようと群がっている。
エルヴィスは辛抱強く声を掛ける機会を待っていたが、やがて姫は中庭へと出て行ってしまった。
一人の王子が彼女の後を追ったので、何かあっては困ると思い、シェイラを守るためにエルヴィスも庭へと出た。




