4の2 夫は妻を甘やかす
翌朝、朝食の後に執務室に呼ばれた。
行ってみるといつもエルヴィスの隣にいるザイオンの姿はなく、私は不審に思ったものの、それより気になる物を見つけて目が釘付けになった。
(あれは……学校の制服?)
ソファの隅に、綺麗にたたんで置かれた一式の服。
街に降りた時に目にした、学生が着ていた服によく似ている。
私の視線がどこへ向いているか気づいたのか、エルヴィスが言った。
「学校へ行ってみないか?」
その提案は、私が幼い頃から待ち望んでいたものだった。
嬉しくて、何度もこくこくと頷きながら答えた。
「い、行きたいです……! ぜひ行かせてください」
ハンスは私が街に降りるのを厳しく制限したので、当然ながら学校へ通う事はできなかった。
その代わり必要な知識や生きていくための知恵はハンスが教えてくれたけど、私としてはやっぱり皆と同じ制服を着て、学校で勉強するのが憧れだった。
エルヴィスから制服を受け取って、浮き立った気分のまま体にあてがったりしてみる。
でもふとある事に気づいて、ぴたりと動きを止めた。
「どうして急に学校に通う事になったんですか? 私の教養は、足りてないんでしょうか……」
必要最低限の知識はあるとはいえ、一国の姫としての教養が充分かと言われると自信がない。
何しろたった一か月で無理やり詰め込んだのだ。
不安に思っていると、エルヴィスは微笑みながら言った。
「気晴らしになると思っただけだ。ずっと城にいると、退屈だろう」
そして私を窓際に呼び、皇都の一区画を指差した。
「皇都の中心に貴族が通う学校がある。浄化をしない日に、午前中だけ行けるように手続きした」
エルヴィスの指先の向こうには、時計塔のある建物があった。あれが学校のようだ。
「今日からでも可能だが、行くか?」
「はい、ぜひ。あ、でも……今日は結界樹には行かないんですか?」
まだ少しだるさは残っているものの、一晩休んだから大丈夫のような気がする。
でもエルヴィスは首を横に振った。
「神力が尽きると命に関わる。浄化した後は、四日は休むようにするんだ。それを約束してほしい」
ここで了承しなければ、学校に行かせてもらえなくなるかもしれない。
そう考えた私は深く頷き「はい」と答えた。
同時にドアがノックされて、エルヴィスが許可するとひとりの令嬢が現れた。
令嬢も学校の制服を身に着けていて、彼女が私達の前まで来るとエルヴィスは言った。
「彼女はアンナだ。学校で分からない事があったら、何でも聞くといい」
「初めまして、アンナ・フォリスです。どうぞお気軽に、アンナとお呼びください」
ミルクティーに似た色の柔らかな髪と、夕焼けのような橙色の瞳が印象的な令嬢だった。
アンナは肩のあたりで切り揃えた髪を揺らしながらお辞儀をして、私は彼女の手を握りながら「よろしくね」と微笑んだ。
顔は笑っていたものの、本当はがちがちに緊張していた。
(アンナと、仲良くなりたい)
エルヴィスの紹介から始まった縁だけど、彼女は私にとって初めての友人になるかもしれない。
皇妃だからと偉そうにせず、アンナを大切にしよう。
その後すぐに自室で制服に着替えて、アンナと一緒に馬車に乗り、学校へ向かった。
考えてみたら、皇都へ出るのは初めてだ。
私が皇城から出るのは結界樹の浄化の時だけで、場所は森の中だったから、窓から眺める皇都の景色に夢中になってしまう。
「皇城の近くは、大きなお屋敷ばかりね」
私が言うと、アンナも同じ景色を見ながら、色々と教えてくれる。
「この辺りは公爵様や伯爵様のお屋敷です。社交シーズンになると領地から貴族達が移動してきて、一気に賑やかになりますよ」
アンナの言葉で、私は姉の退屈そうな様子を思い出していた。
『早く社交シーズンが来ないかしら。新しいドレスを着て、皆に見せびらかしたいわ』
シェイラは自分が美人だと理解していて、華やかに着飾って賞賛を浴びるのを何よりも楽しみにしていた。
(じゃあ今、皇都で暮らしているのは、学校に通う生徒だけなのね)
「親元を離れて子どもだけで暮らすなんて、皆、偉いわね」
思わずしみじみと言うと、アンナはおかしそうに笑った。
「子どもだけといっても、お屋敷にはたくさん使用人がいますから。私からすれば、皇妃様の方がよほどご立派だと思います」
「私? 立派……かしら」
とてもそう思えず首を傾げると、アンナはなおも言った。
「故郷を離れて、一人で帝国へ嫁がれたのでしょう。しかも浄化という使命を負って……とてもご立派です」
そう言われると、急に自分が偉く思えてくるから不思議だ。
(アンナはすごくいい人だわ)
やっぱり彼女と仲良くなりたい。
私はいずれこの国を去るだろうけど、その時までは彼女と友情を深めたい。
やがて馬車は学校に到着し、私とアンナは門のところで馬車を降りた。
門をくぐるとき、嬉しさで体が震えてしまった。
(学校の中に、入ったわ)
これまでは遠目から眺めるだけだった憧れの場所に、私は入っている。
皆と同じ学生服を着て、女生徒として歩いている。
感動しながら並木道を歩いていると、他の生徒達が遠くから私を見て、何か囁いているのに気づいた。
「紫の髪……」
「アシュロムの巫女姫だわ」
「まさか、この目で見られるなんて」
巫女姫が帝国に来たのは三百年ぶりなので、珍しいのだろう。
歩く度に、あちこちから「あの方が」「巫女姫」という言葉が聞こえてくる。
気を遣ったアンナが「もう少しです」と言い、私は苦笑しながら頷いた。
(今日は初日だから、仕方ないわよね)
きっとその内、誰も気にしなくなるだろう。それまでの我慢だ。




