3の8 苦悩と涙
エルヴィスは私を横抱きにしたまま、岸に繋がる橋のような小道を歩き出した。
その揺れに身を任せながら、彼なら私の疑問に答えられるのでは――と思い付く。
「神力の回復を早める方法はないでしょうか?」
何気なく放った言葉だったけど、後ろを歩くザイオンがとてもいい事を教えてくれた。
「この湖で沐浴するといいですよ。この水には、神力を回復させる効果があります」
私は思わず「えっ」と声を出し、湖面を見つめた。
アシュロムでは一か月も湖の傍で暮らしたのに、全く知らなかった。
「本当? 旦那様、降ろしてください」
エルヴィスの腕の中でごそごそと動くと、彼は渋い顔になった。
「……まさか、今から沐浴する気じゃないだろうな」
そのまさかだったので、私は動きを止めてエルヴィスを見上げた。
「そのつもりですけど」
何が悪いのか分からず首を傾げると、彼は盛大な溜め息をついた。
「駄目に決まっているだろう。回復するのは神力だけで、体力は戻らないんだ。今のきみは、疲れて立つ事すらできないじゃないか」
その通りだったけど、思わず「でも……」と声を漏らしてしまう。
私の不満を感じ取ったエルヴィスは、さらにがっちりと私の体を抱き締めた。
「でも、じゃない。何をそんなに焦っているんだ?」
痛いところを突かれて、私はぐっと言葉に詰まった。
(三か月経ったら、私が偽者の姫だとバレるから……なんて)
絶対に言える訳がない。
紫の髪は女神の末裔たる証だから、それを持たない私は追い出されてしまう。
急に黙った私に何を思ったのか、エルヴィスは足を止めて私を不安げに見下ろす。
「浄化を終えたら、国へ帰るつもりなのか」
やっぱり気が付かれてしまった、と思った。
俯いて唇を噛みながら、心の中でいい訳を繰り返す。
(でも本来は、その前提だったんだから……)
皇帝と巫女姫の婚姻は、結界樹の浄化だけを目的とした短期間の契約だった。
アシュロムの王族にも、グリセーズ帝国の皇族にも、本当の夫婦になる意思などなかったはずだ。
エルヴィスだって、最初はそのつもりでいたはずなのに。
そう考えながらも、今の私は彼を残して祖国へ戻る事に罪悪感を覚えている。
(私が仮に三か月で戻ったら、彼はまた女神の力に苦しむのかしら……)
先ほど彼は、浄化の光によって体が楽になったと言っていた。
私だって彼を救ってあげたい――でもハンスの事も見捨てられない。
口を閉ざしたままでいると、彼はぽつりと言った。
「やはり、祖国が恋しいんだな。帝国で暮らすのは辛いか?」
私は慌てて彼を見上げた。
「いいえ、ここでの暮らしには満足しています」
偽りのない本音だった。
これまでの人生で見た事もないような広く柔らかなベッドで眠り、毎日誰かが作ってくれた栄養たっぷりの食事をいただいている。
何の苦労もなく湯浴みをして、髪の手入れさえテレーゼに任せている。
これで不満を口にしたら罰が下るだろう。
私はエルヴィスの胸に頬を寄せて、彼から顔が見えないようにした。
「まだ悩んでいるんです。……もう少し、時間をください」
いっそエルヴィスに何もかも打ち明けようかと思う事もあった。
でも私が正統な姫ではないと知った時、彼がどういう反応を見せるのか――侮辱されたと怒るのか、落胆するのか、想像すると怖くてできなかった。
最初は嫌われたいと願っていたのに、今はそれが恐ろしくてたまらない。
私はエルヴィスに抱きしめられながら、頭の中で別の事を想像していた。
もしここにハンスを呼んで一緒に暮らせたら、どんなに幸せだろうか。
私とエルヴィスは本当の夫婦になって、愛しい子に囲まれて。
きっとハンスは私達の子を可愛がってくれるだろう……。
実現する訳のない夢を思い描いていると、目に涙が滲んできて、ずっと俯いていた。




