3の6 嫌いじゃない
私が上機嫌な事に気づいたのか、エルヴィスはゆっくりと顔を寄せてきて、吐息が触れそうな距離で囁いた。
「奥さん。キスだけでは、子はできないんだ」
私は口を閉ざしたまま、彼の言葉の意味を考える。
(これは……、キスをさせろという意味よね)
私は子どもができたら困るから、エルヴィスに手を出さないでほしいと頼んだ。
彼はそれを忠実に守ってくれているけど、実はかなり我慢してくれているのかもしれない。
だったら、キスぐらいはさせてあげよう。
「ど……、どうぞ」
言ってから、目をぎゅっと固く閉じる。
彼の唇が触れるのを待ちながら、私は自分の心境の変化に驚いていた。
初夜ではキスされそうになって冗談じゃないと拒否したのに、今の私はキスならいいかと思っている。
(私は彼の事が、嫌いじゃないんだわ)
そんな事を考えていると、エルヴィスがふっと笑う気配がした。
なぜか唇は私の頬に落ちて、耳の下に滑り、最後は首筋に行きついた。
「……っ、いたっ……」
首にちりっとした痛みを感じて目を開ける。
身じろぎしてもエルヴィスは私を解放してくれず、何度か首にちりちりとした痛みを感じた。
やがて身を離した彼は、満足そうな顔をしていた。
「無理強いでキスしても、面白くない。俺のものという印だけ残しておく」
そう言うと後ろから私を抱き締める格好で、すとんと落ちるように眠ってしまった。
討伐の疲れや心労が出たのだろう。
本当は鏡で自分の首を確かめたかったものの、諦めて私も眠る事にした。
翌朝、目が覚めるとすでにエルヴィスはいなかった。
部屋に入ってきたテレーゼは、私の首を見て「あらまぁ」と嬉しそうに言う。
彼女に髪をとかしてもらいながら鏡で確認すると、私の首には妙なものが付いていた。
(虫に刺されたような痕が……)
昨晩エルヴィスに何かされた場所は赤くなっていた。
でも触れても痛みはなく、腫れている訳でもない。
(これが旦那様のものという印?)
こんな小さな赤い痣が?
印という割には、あまりにも頼りない。むしろ虫刺されの方が目立ちそうだ。
私は特に気にもとめず着替えて廊下を歩いていたけど、すれ違う騎士や侍女達が、なぜか私の首を見て顔を赤らめている。
恥ずかしそうにする彼等を見ていたら、このままでは不味い気がしてきた。
(ただの虫刺されなら、顔を赤らめたりしないはずよね……)
この赤い痣には、何の意味があるのだろう。
私にはそれに関する知識がないけど、あまりいい意味ではなさそうだ。
「テレーゼ、別のドレスを着るわ」
早口で言って、自分の部屋に戻ろうとすれば、待ち構えていたかのようにザイオンが現れた。
「うまくやりましたね、皇妃」
腕に服のようなものを掛けて、にやにやと笑っている。
「何の事かしら? 今急いでるの、後にしてくださる?」
無視して部屋に入ろうとしたら、ザイオンは腕に掛けていた服を私に差し出した。
「陛下があなたを結界樹に連れて行くそうです。こちらに着替えてください」
その服をよく見ると、騎士が着るような動きやすいデザインの服だった。しかも首は隠れそうだ。
私は服を受け取りながら、ザイオンの言葉の意味を考えていた。
(何かやましい事をして、同行を勝ち取ったんだろうと思ってるのね)
ザイオンからすれば、私は体を使って陛下をたぶらかしたように見えるのだろう。
だからこその「うまくやりましたね」なんだろうけど、私は咎められるような事はしていない。
「言っておきますけど、私は陛下を弄んだりしてませんから」
エルヴィスを弄んだら許さないと、私を脅したザイオンだ。
私はまだ死ぬ訳にはいかないから、念のため釘を刺しておかないと。
そう思って言ったのに、彼は小首を傾げて私に言った。
「その首でそんな事を言われても、説得力がありませんよ」
「こ、これは陛下が勝手に……! 私は陛下の望みを叶えただけよ!」
エルヴィスに我慢ばかりさせるのは可哀相だと思って、私はキスを受け入れようとした。
でも彼は結局キスはせず、なぜか私の首に赤い痣をつけたのだ。
いい訳のように叫んでから、部屋に入って着替える。
首の痣が隠れると、だんだん落ち着いてきた。
(帝国に来てからの私は、旦那様とザイオンに振り回されてばかりだわ)
何をしてもうまく行っていないような気がして、落ち込みかけたものの、すぐに思い直した。
(とりあえず、浄化には行ける事になった。今はそれでよしとしなくちゃ)
テレーゼに髪を高く結い上げてもらい、朝食を取りに向かった。




