3の4 酔っ払い
サロンの窓の外は庭に繋がっていて、ガセボのテーブルにはワイングラスが二つ置いてあった。
ガラスの大きなピッチャーにはワインらしき液体が入っていて、表面には輪切りにされたレモンが浮いている。
「ワインですか?」
ワインには、こんなふうにレモンを浮かべるんだろうか。
お酒を飲んだ事がないので首を傾げていると、エルヴィスはグラスにその液体を注ぎながら言った。
「これはサングリアという飲み物だ。赤ワインにオレンジの果汁を加えたものだが……飲めそうか?」
帝国では十八歳から飲酒可能だけど、私がお酒に慣れていないかもしれないから、度数が低いものを用意してくれたのだろう。
喉が渇いていたから、私は「いただきます」と言ってグラスに注いでもらった。
少しだけ口に含むと、ワインなのにお酒のような味はほとんど感じない。
これはほぼ、果実のしぼり汁ではないだろうか。
「おいしい。とても飲みやすいです」
「だから酔いやすいんだ。あまりがぶがぶ飲むなよ」
とか言いつつ、エルヴィスは自分だけなみなみと注いで、何杯も飲んでいる。
「あ、そんなに注いで……。あなただけずるい」
この時点で、私は酔っていたのだろう。
口調がくだけて、皇帝相手とは思えぬ言い方になってしまった。
でもエルヴィスは気にしないどころか、むしろ楽し気だった。
「きみは飲みなれていないだろう。あと一杯だけにしろよ」
そうして注がれた二杯目を飲んでいたら、猛烈に眠くなってきた。
テーブルに突っ伏して、ぐにゃりと体を曲げる。
「う……、眠い……」
「だから言ったのに……。しょうがないな」
やはりエルヴィスは楽しそうで、ぐにゃぐにゃになった私を軽々と抱き上げて、どこかへ向かって歩き出した。
サロンも私達の部屋も庭に面しているから、花が咲き誇る庭を通って、夫婦の寝室にたどり着く。
彼が足を踏み出す度に揺れて、その振動が心地よかった。
(ふわふわして、気持ちいい……)
半分眠ったような状態でベッドに降ろされた。
腰の辺りで縛られた紐を、エルヴィスがしゅるしゅると解いていく。
「俺が脱がせてもいいのか、奥さん」
「ん……何……?」
もう頭がほとんど働いていなかった。
むき出しになった背中を、さらさらした手が撫でている。体が火照っているから、ひんやりした手がその熱を取ってくれるように感じた。
「気持ちいい……」
されるがままでいると、手がぴたりと止まって、エルヴィスが苦笑する気配がした。
「そんなに無防備だと、襲ってしまいそうだ」
彼の言葉に、私はふふっと笑った。
「あなたは、そんな人じゃない……」
エルヴィスは、私が傷つくような事はしない。
彼に嫁いでから毎晩一緒に寝ているけど、無体はしないという誓いを守り、私を無理やり襲ったりはしなかった。
私の呟きに彼は「まいったな」と小さく言った。
それが本心から困ったような響きだったので、私は夢心地に微笑んだ。
翌日、ひどい二日酔いに襲われた。
私は昼まで寝ていて、やっとの思いで起き上がって昼食を取った。
午後になると、エルヴィスが昨夜のガセボでお茶にしようと言う。
テレーゼが二日酔いに効くハーブのお茶を用意してくれて、それをちびちびと飲んでいると、エルヴィスが皇城の奥にある森を険しい顔で見ている。
どうしたのかと問う前に、彼はぽつりと言った。
「呼んでいる」
そして椅子から立ち上がり、控えていたザイオンから剣を受け取る。
何が起こったのか分からず呆然とする私に、彼は申し訳なさそうな表情で言った。
「すまない、奥さん。帰りは遅くなるだろうから、先に休んでいてくれ」
そう言ったかと思うと、エルヴィスの足元が仄かに光り出す。
何かの模様が浮かび上がり、その不思議な光景に釘付けになっていると、エルヴィスの姿がふっと消えてしまった。
「え……!? ザイオン、旦那様が消えてしまったわ」
慌てて立ち上がり、エルヴィスが消えた床を見つめる。
でもザイオンは動じる様子もなく、むしろ少し呆れた顔をしていた。
「転移しただけです。魔獣が増えると、結界樹が皇族を呼ぶんですよ。そして我々は、一度行った場所なら転移で移動できる。……ご存じでしょう?」
念を押すように問いかけられ、私は曖昧に頷く。
「そ、そうだったわね」
アシュロムでは、私は自分の部屋から歩いて結界樹に向かっていた。
私が暮らす塔は結界樹のすぐ傍にあったからだ。
シェイラは知っていただろうに、私に教える気はなかったのだ――また新たな事実を帝国で知る羽目になり、暗い気分になる。
「私も陛下の手伝いに行きます。テレーゼ、皇妃をお願いしますね」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
ザイオンまで光と一緒に消えてしまって、私とテレーゼだけが残された。
「皇妃様、お部屋へ戻りましょう」
「ええ……」
部屋へ戻ると、テレーゼが温かいお茶を入れなおしてくれた。
それをゆっくり飲みながら、私は不甲斐ない気分を味わっていた。
「ねえ、テレーゼ……。陛下はどうして私を連れて行ってくれないのかしら」
思わず口に出してしまうと、テレーゼは困ったように微笑んだ。
「皇妃様が大切だから……ですかねぇ」
そしてさらに、真剣な表情で続けた。
「誓って申し上げますが、陛下には何の悪意もありません。皇妃様のお力を侮っている訳でもありません。陛下はただ、恐れているのです」
「私が怪我を負う事を?」
問いかけると、テレーゼは悲しそうに微笑む。
半分は当たりで、半分は違う――そう言いたげな表情だった。
私は何も訊けなくなってしまい、ただ冷めかけた紅茶を飲んだ。




