2の9 誓い
必死さが伝わったのか、ザイオンは足を止めて振り返った。
「エルヴィスも言っていたでしょう、この国の結界樹は魔獣だらけだと。彼はあなたを危険にさらしたくないんですよ。それに、何よりも……」
言いかけて、口を閉ざす。
ザイオンは続きを私に話してもいいのか、迷っている様子だった。
でもやはり言うべきではないと判断したようで、「何でもありません」と言って立ち去ってしまった。
(そんなに危険な状況なのかしら……)
私は廊下に佇んだまま、アシュロムの結界樹を思い出していた。
祖国の結界樹は女王とシェイラが頻繁に浄化しているため、瘴気もほとんど出てこない。
あの静かな湖の島が魔獣で溢れている様子なんて、全く想像もできなかった。
(でも私は、どうしても行かないと)
エルヴィスを何とかして説得しなければならない。
考えつつ部屋に向かって歩きだした時、後ろから「皇妃」と声がした。
振り返ると、エルヴィスが立っていた。
彼は暗い表情をしていて、私の傍まで来ると言った。
「ザイオンと、何か話し込んでいたな」
ぼそりと言い、私の顎に指をかけて上向かせる。
「どんな話をしていた?」
まさかわざとあなたの嫌う料理を作ろうとしていたなんて、言える訳がない。
金の瞳には、不穏な光が宿っていた。嘘や偽りで誤魔化そうとしても、見抜かれるかもしれない。
私は唇を震わせながら、言葉を絞り出した。
「別に、何も……」
「俺には言えないような話か?」
心臓を鷲掴みされたかのように、私の体は震えた。
(動揺しちゃ駄目……!)
今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑えて、金の瞳を見つめる。
ここで目を逸らしたら、さらにひどい追及が待っているだろう。
必死の思いでエルヴィスを見つめていると、彼は予想外な事を口にした。
「……彼の方が好みなのか?」
私は目を見開き、夫の顔をまじまじと見つめた。
どうやら本気で言っているようで、エルヴィスの顔には悔しさが滲んでいる。
どう反応すべきかと迷っていると、彼はなおも言った。
「ザイオンのような男の方が、好みなのかと聞いている」
「ち、違います。あんな人、全然好きじゃありません!」
本心からの返答だった。
この数日間で、ザイオンがどんな人物か私はまざまざと思い知った。
私がザイオンに惚れる可能性は皆無だし、彼だって冗談じゃないと思っているだろう。
でもエルヴィスはまだ懐疑的なので、私は焦って続けた。
「私はそもそも、男性には興味なくて……、ザイオンとは農園の話をしていただけです」
私の言葉を聞いたエルヴィスは一瞬ホッとした様子だったものの、数秒後には落胆した顔になった。
「興味ない、か」
苦笑して、私をふわりと抱き締める。
「俺の顔は嫌いか? 全く興味ないか?」
また変な事を言い出したわ、と思った。それでも一応、真面目に答える。
「あなたの顔は、とても格好いいと思います」
私が言うとエルヴィスは少し目を見開いて、安堵したように微笑んだ。
そしてなぜか、顔をゆっくりと近づけてくる。
私は彼の意図を悟り、その整った顔を両手でぐいっと遠ざけた。
「無体はしないと仰ったじゃないですか!」
「顔は嫌いじゃないんだろう」
「それとこれとは別です。……確認したいんですけど」
大真面目な顔で言うと、エルヴィスは何かを察したのか、私の体を解放してくれた。
「なんだ?」
「あの…………。念のためお聞きしたいんですけど。キスだけだったら、子どもはできませんよね?」
エルヴィスはしばらく何も答えなかった。
目を見開き、口を少し開けた状態で、私を凝視している。
やがて彼の体は小刻みに震えだした。
「くっ……ククッ……! ははは!」
「え? なんで笑って……」
私にとっては重要な問題だった。
これが解決しないと、エルヴィスとキスもできないのだ。
彼は隙あらばキスしようとしてくるから、不安を解消しようと思って質問したのに。
「はは、きみは本当に……なんて清純なんだ」
褒めているようで、貶しているとしか思えない。
私はムッとして、エルヴィスを睨みながら叫んだ。
「もう、あなたなんか知らない!」
そのまま自分の部屋に入ろうとしたら、後ろから抱き締められた。
「すまない。可愛い事を言うので、つい調子に乗ってしまった」
「……私の事、馬鹿にしてるでしょう」
「していない」
彼は優しい声で言うと、廊下に片膝をついた。
「旦那様! あなたがそんな事をしては……!」
この国を統べる皇帝にあるまじき行為だ。
通路の向こうから、騎士達も何事かとこちらをみている。
私は慌ててエルヴィスを立たせようとしたけど、彼はその体勢のまま私の手を取り、甲にそっとキスを落とした。
「最初のキスはここにしよう。きみに忠誠を誓うという意味のキスだ」
「忠誠……? それは騎士が主に対してするものでは?」
私は捨てられた姫だから騎士は付かなかったけど、絵本で見た騎士はお姫様に忠誠を誓っていたはずだ。
普通の忠誠は、主従の間で交わすべきものだ。
でもエルヴィスは大真面目な表情で、私を真っすぐに見つめながら言った。
「俺はきみだけの騎士になろう。きみを裏切る事なく、危機には必ず駆け付けると約束する」
私は足元がぐらりと揺れるような錯覚を感じて、倒れそうになった。
私はすでにあなたを裏切っているのに?
あなたを騙して妃になった私を守ると言うの?
そして自分は何て卑怯な真似をしているのかと、胸が苦しくなった。
ぐっと唇を噛んで、笑みを顔に張り付ける。
「ありがとうございます。でも、もうお立ちになってください。騎士達が何事かと心配しています」
少し離れた場所から、騎士や使用人達が私とエルヴィスの様子を見て、勝手に盛り上がっている。
頬を染めて拍手している人までいる。
彼等とは対照的に、私の心は暗く沈んでいた。
エルヴィスは立ち上がるとニッと笑って、彼らに「持ち場へ戻れ」と命じた。
私はその背中をじっと見ていた。




