2の8 ザイオンの脅し
地獄の昼食が終わった。
原因を作ったのは自分だけど、口の中のひりつきが治まるまで、数十分は必要だった。
自室で休んでから、エルヴィスの執務室へ向かう。
(離婚計画も大事だけど、何よりも浄化を進めないと)
私がこの国に嫁いできたのは、シェイラの身代わりとなって結界樹の浄化をするためだ。
たった三か月しかないのだから、今すぐにでも取り掛からないと間に合わないかもしれない。
ドアをノックするとザイオンが室内に通してくれた。
エルヴィスは執務机で何かの書類を見ていたけど、私に気が付くと顔を上げた。
「どうした? 何か欲しい物でもあるのか?」
私が何かおねだりに来たと思っているらしい。
嫁入りだというのに、私の荷物は古ぼけたドレスが二着だけで、お金は全く持たされていなかった。
欲しい物はエルヴィスにねだれ、という事だろう。
でも私はこの暮らしに何の不足も感じていないし、欲しいものはたった一つ……エルヴィスからの絶縁状だ。
私はゆるゆると首を振り、彼に言った。
「いいえ、何の不足もありません。私は結界樹の浄化に行きたいのです」
私の言葉に、エルヴィスはかすかに眉をひそめた。
どうやら私は、彼が望まない言葉を口にしたらしい。その予感は当たったようで、エルヴィスは書類に視線を戻して言った。
「まだ駄目だ。帝国の結界樹の周辺は、魔獣で溢れている。島が結界となって魔獣を閉じ込めているんだ。落ち着いて浄化できる環境ではない」
「私なら大丈夫です、自分の身は自分で守れます。旦那様は、私の力をご存じでしょう?」
私は初夜で巫女姫としての能力を発現してみせた。
たとえ魔獣に襲われたとしても、自分で結界を張り、身を守る事はできる。
でもエルヴィスは書類から顔を上げたものの、意思は変わらない様子だった。
「嫁いだばかりで、体調が万全ではないだろう。きみも浄化には体力を使うと言っていた」
「ここの生活にはもう慣れました、体調には何の問題もありません。今からでも可能です」
必死でエルヴィスを説得しながら、私は心の奥底で「無理かもしれない」と思い始めていた。
私が必死に説得を続けても、エルヴィスの金の瞳は暗く陰っている。
(なぜかは分からないけど……、彼は私を連れて行きたくないんだわ)
そしてその考えは当たっていたようで、彼はそっけなく言った。
「駄目と言ったら駄目だ。ザイオン、皇妃を部屋に送っていってくれ」
執務机の隣に立っていたザイオンが「了解した」と言って、私を部屋から連れ出そうとする。
背中を押されて廊下へと出され、私は思わずザイオンを睨み付けた。
「結構です! ひとりで部屋に戻れます」
「そう言われても、陛下の命令ですので」
ザイオンを無視して自室へ戻る間も、私の胸には悔しさと悲しみが満ちていた。
(何よ、旦那様もザイオンも。私を役立たず扱いして……)
確かに私は正統な巫女姫ではないけど、ちゃんと神力は持っている。
一か月も厳しい訓練を受けて、結果樹の浄化だってできるようになった。
エルヴィスだって私の力は知っているはずなのに。
悔しくて唇を嚙みながら歩いていると、ザイオンが楽し気な口調で言った。
「あのスープ、陛下が気に入ってよかったですね」
私はぴたりと足を止めて、ザイオンをじろりと見上げた。
「……何が言いたいの?」
そもそもザイオンが嘘を教えたりしなければ、私の計画はうまく行っていたかもしれないのだ。
私の視線に恨みが籠ってしまっても、仕方がない事だと思う。
でもザイオンは私の恨みがましい目を一瞥しただけで、気にもしていない様子で言った。
「別に。ただ気になるだけですよ……。農園でも、わざと自分の価値を下げるような発言をしていましたね。皇妃はなぜそこまでして、陛下に嫌われたいのですか?」
やはり気づかれた、と思った。
これは当然の流れだ。私はザイオンが「陛下はこの味が苦手だ」と教えた調味料を使ったのだから。
(でもこれでいいのよ。私の目的は嫌われる事なんだから)
私は開き直り、ザイオンに挑戦的な視線を向けた。
「私は結界樹の浄化のために、仕方なく嫁いできたのよ。使命を果たしたら祖国へ帰るつもりなの。だから陛下の本当の妻になる気はないし、好かれたいとも思っていないわ」
「……やはりそうか」
ザイオンはすでに予想していたのか、私のとんでもない発言をあっさりと受け止めた。
そして顔から笑みを完全に消して、見た者が凍り付きそうな冷ややかな瞳で私を見下ろした。
「エルヴィスはあなたを気に入っている。実際にあなたが来てから、彼の体調はかなり回復した。だからひどい事はしたくなかったが……あなたが彼を弄んで捨てる気であれば、容赦はしない」
低い声で言って、私に一歩近づく。
私は思わず後ずさりながら、彼の腰にある剣を見つめた。
(容赦しないって……私が旦那様を傷つけたら、殺すつもりなの?)
まさか。
まだ浄化を終えていない巫女姫を、殺したりはしないでしょう。
そう考えながらも、私の心臓は激しくどくどくと拍動していた。
「わ、私は、弄んでなんか……」
言い訳のようにたどたどしく言うと、ザイオンは呆れた表情になった。
「無自覚なんですか。余計にたちが悪いな……。いずれにせよ、エルヴィスを本気にさせた責任は取ってもらいますよ。彼がなぜ浄化を遅らせているのか、その意味を考えてください」
立ち去ろうとするザイオンの背に、私は言った。
「意味なんか、分からないわ。だって私は浄化のために帝国へ来たのよ」
そのために穏やかな暮らしを捨てる羽目になり、ハンスを人質に取られ、辛い訓練を受けた。
浄化できないのなら、それら全てが無駄になってしまう。
私とハンスの命運は尽きてしまう。




