2の6 嫉妬
「皇妃、それぐらいにしておいた方がいいですよ。でないと後で怖い事になるかもしれません」
「怖い事?」
ただの握手なのに、何が起こるというのか。
私が首を傾げると、ザイオンは城の方をすっと指さした。
「何? 別に何も――」
言いかけて、ひゅっと息を呑む。
一つの窓が大きく開いていた。
恐らくそこが執務室なのだろう。開いた窓枠にエルヴィスが頬杖をつき、不機嫌そうにこちらを見ている。
視線だけで殺せそうな程、金の瞳がギラギラと光っていて、ジャンはすくみ上って「し、失礼しますぅ」と去ってしまった。
ジャンが立ち去ったのを見届けたエルヴィスは、ふいっと姿を消した。
「ど、どうして……? 私は何も、怒られるような事は……」
呆然と呟くと、ザイオンがやれやれと言いたげに溜め息をつく。
「皇妃は大切な事を忘れておられる。あなたは新婚なんですよ? 妻が他の男と親し気に話していたら、夫としては気分が悪くて当然でしょう」
「な……」
私は呆れて、反論さえ忘れてしまった。
(ジャンと私は、親子程も年が離れているのに)
しかもジャンの気質からして、皇妃に手を出そうなんて考えもしないに違いない。
彼はただの真面目な農夫だ。
しばらく唖然としていたものの、これはいい機会かもしれないと思えてきた。
(旦那様は、私の事を清らかだとか言っていたわよね……)
あの嬉しそうな様子からして、逆の事をすれば彼は私に失望するだろう。
つまり男にだらしない女になればいいのだ。
私はにやりと笑い、挑発するような視線をザイオンに向けた。
「陛下は私を誤解されているわ。私はまともな女じゃないの。夫にだけ操を立てるような、貞淑な妻じゃないのよ」
私が言うと、ザイオンの薄い金の瞳が見開かれた。
きっと巫女姫らしからぬ発言に驚いたのだろう。
でも彼は何を思ったのか、突然ぐっと距離を詰めて、私に顔を近づけた。
「へえ、そうですか。では私が相手でもいいと?」
「ちょ、ちょっと……!」
急に息が触れそうな程近寄られて、私は反射的に一歩下がった。
でも慌てたせいで足がもつれて、地面にどてっと尻もちをついてしまう。
無様そのものの私を見て、ザイオンは冷笑した。
「はは、見え透いた嘘はやめた方がいいですよ。では私はこれで」
去っていくザイオンの後ろ姿を、呆然と眺めた。
「大丈夫ですか、皇妃様」
心配したテレーゼが私の手を引いてくれたけど、私はまだぼうっとしていた。
(確かに私は、皇妃にあるまじき発言をしたけど……)
何もここまでやりこめなくてもいいのではないだろうか。
ザイオンはエルヴィスの側近だから、主人を守って当然だとも思うけれど。
(何なの、あのザイオンって男!)
もう二度と彼には近寄らないようにしよう。
密かに決意した時、テレーゼが申し訳なさそうに言った。
「ザイオン様は陛下を守ろうと必死なんですよ。何しろ直系の皇族は、エルヴィス様しか残っておられませんので……」
「そう……、そうだったわね」
シェイラなら知っていて当然の情報だ。
私は知らされていなかったけど、平静を装って答えた。
(こんなに広大な城なのに、直系が旦那様だけ?)
皇城の奥は皇族の住処になっていて、いくつも部屋が並んでいる。
(『残ってない』という言い方からして、最初は何人かいたという事よね)
さらに不思議なのは、城の規模に対して使用人の数が少なすぎる事だった。
いくらエルヴィスが人間嫌いだとしても、釣り合いが取れていない。
考え込みながら籠に野菜を収穫して、城の中へ戻った。
野菜を抱えて厨房へ行くと、料理長が思わぬ感謝を伝えてきた。
「皇妃様は自ら畑に出向いて、野菜を収穫なさったそうで……! 使用人一同、皇妃様の陛下への愛に感動しております」
「そ、そう……?」
ぎこちなく微笑みながら、私は愕然としていた。
おかしい。
皇妃らしからぬ恰好で城を歩き回り、騎士達や文官にギョッとされたはずだった。
彼等は私を「妃には相応しくない」と、噂してくれたのではなかったのか。
てっきりそうなっていると思ったのに、なぜか感謝されている……。
(なんでやった事が裏目に……)
真逆の評価に意気消沈しつつ野菜を水で洗い、包丁を手に取ると、また背後からあの声がした。
「手慣れていますね」
ぎくりとして振り返ると、ザイオンが立っている。
内心で「来た」と思いつつ、私はまな板に置かれた野菜に向き合った。
ザイオンとは表面だけの付き合いをした方がいい。
あまり深く関わると、私の身が持ちそうにない。
「美容と健康のために、料理を練習してきたのよ。野菜のことも勉強したしね」
それだけ言って、ザイオンを無視してトマトを切っていく。
早く立ち去ってくれないだろうか。
私が料理に毒でも入れるのではないかと、警戒しているんだろうか。
ザイオンは見張りに来たのだろうと考えていたものの、彼はもったいぶった口調で言った。
「陛下がどんな味付けを好むのか、教えて差し上げようと思ったのですが……余計でしたね」
その言葉に、ハッと顔を上げる。
(旦那様の好みの味を聞いておいて、逆の味付けにしたらいいんじゃない?)
エルヴィスの大嫌いな味にすれば、彼はこんなまずい料理なんか食えるかと激怒して、私を冷遇するようになるかもしれない。
出ていこうとするザイオンを、「ちょっと待って」と呼び止める。




