2の5 農園へ
自室に戻った私は、テレーゼに手伝ってもらいながら簡素なワンピースに着替えた。
長い髪はポニーテールにして、農作業の邪魔にならないようにする。
最後にエプロンを身に纏うと、テレーゼはやや困った表情で言った。
「本当にこの服でいいのですか?」
着替え終わった私の姿は、帝国の皇妃とは言い難い見た目だった。
山に住んでいた頃はもっと動きやすい格好をしていたから、これでも上品な方だと思うけど、明らかにお姫様が着る服ではない。
簡素なワンピースの下にはズボンも履いた。
牧場で牛の世話をする娘に近いかもしれない。
「いいのよ。ドレスに土が付いたら、洗濯する人が大変だもの」
それに何よりも、この恰好で城を歩き回る事が重要なのだ。
使用人達が「あれが皇妃?」と驚き、皇帝には相応しくないと憤慨するような恰好が望ましい。
「じゃあテレーゼ、私を畑に案内してちょうだい。陛下が召し上がる野菜を選びに行くわ」
出来るだけ遠回りして畑に行きたいわね――と涼しい顔で考えながら、私は内心でわくわくしていた。
(皇族が食べる野菜を育てているんだから、きっと見事な畑に違いないわ)
私とハンスが作った畑もすごいとは思っている。ハンスの野菜はうまいという噂を聞いて、誇りに思う気持ちもあった。
私達が作った畑はもう駄目になっているだろうけど、帝国で野菜作りのヒントを得たら、またやり直す気力が湧くはずだ。
(ここまで来たんだもの。ただで帰るのは嫌だわ)
処刑だの失敗だのを考えていると、どうしても気分は落ち込む。
だったら逆に、成功した後の事を想像してみようと思った。
無事に祖国へ戻れたら、またあの山小屋で野菜を作りたい。それを想像するだけで、私の心は軽くなった。
テレーゼは困った顔をしつつも、「承知しました」と言って日傘を手に取った。
彼女の案内で城の外に出て、日傘を差してもらいながら菜園の方へ歩いていく。
通路ですれ違う文官や騎士達がギョッとした様子で私を見るたびに、愉快でたまらなかった。
(これが本当の私なのよ。こんな格好をしているお妃様なんか、陛下に相応しくないでしょう?)
農作業に向かう私こそ、本来の正しい姿だ。
綺麗なドレスを着ている時の私は、姫の皮を被った偽者なのだから。
彼らが私の格好に驚いて、エルヴィスに「あんな変な姫は追い返しましょう」とでも報告してくれたらとてもありがたい。
しばらく歩いて行くと丁寧に整備された畑が見えてきて、私は感嘆の溜め息を漏らした。
「すごい……! なんて美しい畑なの」
まっすぐに伸びた畝に、青々とした野菜が枝や葉を伸ばしている。
思わずしゃがみ込んで土を手に取った。
「ふかふかしてる……。軽くていい土だわ」
水はけがよく、かつ保水力のありそうな土だ。
私は手に土を乗せたまま立ち上がった。
「テレーゼ、責任者を呼んでちょうだい。訊きたい事があるの」
「もう呼んでありますよ、皇妃」
土を揉んでいると、背後から男性の声がする。
振り返った私の視界に、エルヴィスの側近――ザイオンが映った。
「あなた……ザイオン、よね」
昨日から何度も会ってはいるものの、私は彼から自己紹介を受けていない。名前を知っているのは、騎士が彼をそう呼んだのを耳にしたからだ。
それにシェイラとザイオンは知り合いのようだから、名前を訊く訳にはいかなかった。
「私の名を覚えておいででしたか。光栄です、シェイラ姫」
ザイオンは私の手を取り、指先に触れるか触れないかのキスをした。
(これでザイオンは、『シェイラ』との再会に違和感を覚えなかったはず……)
国境で彼の名を知れたのは幸運だった。
ホッとしたものの、気は抜けないと己を戒める。
少なくともこの城には、シェイラを知る人間が二人はいるという事だ。
エルヴィスと、ザイオン。
二人の皇族の前でだけは、ボロを出さないようにしなければならない。
目まぐるしく思考を続けていると、ザイオンは自分の背後に立つ男性を紹介した。
「皇城の農園は、このジャンが管理しています」
「ど、どうも……ジャンと申します。まさか皇妃様がお越しになるとは思わず、こんな格好で申し訳ないです……」
ジャンは麦わら帽子を脱いで胸の辺りに持ち、おどおどとした様子で私を見ている。
ハンスより少し若いくらいの男性だった。
「気にしないで、私も皇妃らしからぬ恰好をしているから」
にこやかに言いつつ、手に持った土をジャンに見せる。
「それより質問があるのだけど」
「は、はい?」
ジャンはまだびくついている様子を見せたけど、私は気にせず続けた。
「この土、すごく質がいいわね。何を混ぜてあるの? 石灰は入れてあるのでしょう? それ以外は?」
矢継ぎ早に質問すると、それまで黙っていたテレーゼがにこやかに言った。
「あらまぁ、皇妃様ったら。目をギラ……キラキラさせて、陛下のために一生懸命になられて」
「はは、ギラギラって言いかけてましたね。確かに今の皇妃はそっちの方が近いかな」
ザイオンまで背後で楽し気に言い、私は思わず「静かにして」と言いそうになった。
これは遊びではない。私とハンスの生活がかかっているのだ。
私はびくついているジャンから、必要な情報を徹底的に聞き出した。
「こ、こんなところですかね……。特別な事は何もしてないですが……」
「ありがとう、とても分かりやすかったわ」
ふかふかの土の秘密を知れて満足だった。
感謝の握手をしようと手を伸ばした瞬間、急に私とジャンの間にザイオンが入りこんできた。




