2の3 「きみこそ巫女姫に相応しい」?
恐る恐る顔を上げれば、彼は気難しい表情で腕を組んでいた。
「過去の文献を読んだが、前回の巫女姫は浄化に一年程かかったらしい。そんなに長い間、我慢するのは辛いんだが……おい、どうした?」
あまりに衝撃が大きくて、彼の言葉は半分しか頭に入らなかった。
きっと私は蒼白な顔をしていたのだろう。エルヴィスが心配そうな面持ちで私の肩に手を置いた。
(一年って、そんな……。私には三ヶ月しか猶予がないのに)
アシュロムの巫女姫たるシェイラは、絶対にこの情報を知っていたに違いない。
でも私には教えなかった。
(最初から私とハンスの事なんか、どうでもよかったのね。とりあえず私に浄化をさせておけば、引き継いだシェイラが帝国で過ごす時間は短くて済む……)
私が三か月で浄化を終わらせば、しめたもの。
仮に終わらなくて私が処刑されたとしても、シェイラは後から「自分こそが真の巫女姫だ」という顔で登場して、浄化を終えればいい。
どれだけ私が頑張ったとしても、最後に結果を残した姫が賞賛を浴びるのだから。
考えれば考える程、無性に腹が立ってきた。
怒りで周囲の景色さえ飛びかけた時、エルヴィスが私の肩を揺らしながら言った。
「しっかりしろ、奥さん」
彼が変な呼び方をしたせいか、私の意識は現実に戻された。
「……奥さん?」
「二人きりの時は、きみを奥さんと呼びたい。皆の前では皇妃だ。いいか?」
「ご自由にどうぞ。私も皆の前では、あなたを陛下とお呼びします」
事実を知る程に、私はエルヴィスに負けないくらいシェイラの事が大嫌いになっていた。
嫌いどころか、憎しみさえ感じている。
だから彼の提案は心底嬉しくて、私は内心では喜びながらも平静を装って答えた。
(たとえ身代わりだとしても、シェイラとは絶対に呼ばれたくないわ)
その名を耳にするだけで、顔に苛立ちが出てしまいそうだ。
シェイラ以外なら、何と呼ばれようと構わない。
私の返答にエルヴィスは満足した様子で、軽く頷いてから、私の顎に手をかける。
そして少し顔を傾けると、ゆっくりと私に近づいてきた。
彼が何をする気なのか、鈍い私でも分かった。
「ちょ、ちょっと待って。何をする気ですか?」
慌てて逞しい肩に手を置き、ぐいっと押すと、彼は意外そうな顔を見せた。
「一年もお預けだから、キスくらいならいいかと」
「軽いものみたいに言わないで!」
くらい、と言える程、キスは軽い行為ではないはずだ。
少なくとも私にとっては、深く愛し合う恋人がする行為だ。
精いっぱいの悪意を込めてエルヴィスを睨み付ける。
「こういう事は、本当に好きな相手とすべきです。そんなに我慢が辛いのなら、側妃を娶ったらいいのでは?」
嫌いな女が相手でも、子を作れると豪語するエルヴィスだ。拒否されたら、せめてキスだけでもしたいと言い出す男だ。
どれだけ女に飢えているのだろうと、呆れてしまう。
(巫女姫を待たなくてよかったのよ。何人でも後宮に連れ込んだらいいんだわ)
皇帝という立場なら、大勢の美しい令嬢から選びたい放題のはずだ。
憤慨しながらの提案だったけど、彼はなぜか楽し気に笑っている。
「本当に好きな相手と、か。まるで穢れを知らぬ女のような発言だ」
かすかに肩を震わせながらククッと笑う姿を見ていたら、馬鹿にされているような気分になってきた。
「当然でしょう。私は神聖な巫女姫なんだから」
瘴気を払う女神の力を持つ姫が、男にだらしない訳がない。国民が巫女姫に抱く憧れが崩壊してしまう。
何も変な事は言っていないはずなのに、私の言葉を聞いたエルヴィスはとうとう本格的に笑いだした。
「クッ、は、はは……!」
何がそんなにおかしいのか、全く理解できなかった。
きっと私の顔は熟れた果実のように赤くなっていた事だろう。
その赤い顔でエルヴィスを睨み付けていると、彼は楽し気な様子のまま言った。
「清らかだな。きみこそ巫女姫に相応しい」
「……私の事、馬鹿にしてるでしょう。やっぱり側妃を娶ってください」
「奥さんはひとりで充分だし、俺はきみがいいんだ」
そう言うとベッドから降りて立ち上がり、金の瞳で私をじっと見つめた。
「きみが俺を好きになるように、努力するよ」
それと同時にドアがノックされて、侍女が入ってきた。昨日は見なかった年配の侍女だ。
「あらあら、仲がよろしいですねぇ」
「侍女長のテレーゼだ。きみに付けるから、困った時は彼女に頼るといい」
エルヴィスはそのまま隣の部屋に消えてしまった。着替えに行ったようだ。
「皇妃様、御髪を整えますね。昨夜はよく眠れましたか?」
テレーゼは私の着替えを手伝い、髪を丁寧にとかしてくれる。昨日の侍女達はまだ他人行儀な雰囲気だったけれど、まるで母親のような優しい手つきだった。
「ええ、ぐっすりだったわ。すごく温かくて……」
そこでハッとして言葉を止めた。
温もりを感じて安堵しながら眠れたのは、エルヴィスが私に抱きついていたからだ。
事実に気づいた途端、私の頬は赤く染まった。
鏡に映った私の顔を見たテレーゼは、穏やかに微笑んだ。
「ふふ、皇妃様は可愛らしい方ですね。きっと陛下も癒された事でしょう」
私はエルヴィスを癒やしに来た訳ではない。
むしろ忌むべき女として嫌われて、「さっさと出て行け」と離婚されたいのだ。
(あの様子だと、旦那様は結界樹の浄化が終わっても、私を祖国へ帰してくれないかもしれない)
もし三ヶ月で使命を果たしても祖国へ帰れなければ、私の髪はいずれ元の色に戻ってしまう。
紫の髪は、正統なるアシュロム王家の姫たる証だ。
私は神力を持つけれど、髪の色を問い詰められたら偽者だと白状するしかない。
山で育った偽の姫を娶ってしまったと知ったエルヴィスは、きっと激怒して私を処刑するだろう。
アシュロムにその事実が伝わったら、ハンスの命も……。
嫌な想像を振り払うように、目を強く閉じる。
(弱気になってどうするのよ。しっかりしなきゃ!)
最悪の事態を免れるには、やはりエルヴィスに嫌われるしかないのだ。
彼の態度があまりにも変わったせいで弱気になってしまったけど、当初の目的を忘れては駄目だ。
(絶対に離婚するのよ。そのためには、捨てたくなるような駄目な妃を目指すのよ)
決意を固めて目を開けた時、テレーゼが言った。
「では朝食を取りに参りましょう。陛下もご一緒されるそうです」
テレーゼの手伝いでドレスに着替え、私は彼女と一緒に朝餐の席へ向かった。
嫌われ作戦開始です。
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