2の2 夫の様子がおかしい
まごついていると、彼はぽつりと言った。
「きみの、その目が……」
「目? 私の目が何か?」
自分の目元に指先を当てて問うと、彼は「何でもない」と首を振った。
その時、私はエルヴィスの変化に気づき、ハッと息を飲んだ。
(昨日は「お前」だったわよね)
どうして今朝になって、『きみ』に変わったのだろう。
その理由は不明だけど、『お前』よりは『きみ』の方が、相手を大事にしようとする気持ちは伝わってくる。
(やめてよ……! お前のままでよかったのに)
昨晩は明らかに私を蔑んでいたくせに、なぜ夜が明けたらがらりと様子が変わっているのか。
何か言わなければ。
彼が私を徹底的に嫌うような事を……!
(もうそのまま、私の事は「お前」でいいですと、言ってしまおうかしら)
言葉は喉まで出かかっていたものの、やはり私はまごついて口には出せなかった。
私はこれまでの人生で、誰かに嫌われようとした事はない。そんな大それた恐ろしい事を自分からするのは、かなりの勇気が必要だった。
エルヴィスがシェイラを嫌っているのは、シェイラが過去に何かしたからだ。
本音を言うとその関係を利用したまま自分からは何もせず、エルヴィスに嫌われたままでいたかった。
私が思い悩んでいると、彼は私の髪をひと房手に取った。
(何をする気……!?)
じろじろ見られると、色を染めた事に気づかれるかもしれない。
彼の手から髪を払い落したい衝動に駆られたけど、それによってさらに注意が髪に集中するのは避けたかった。
素知らぬ振りで我慢していると彼は髪にキスをして、私の予想の範疇を超える事を言い出した。
「どうしたら、俺を好きになってもらえるだろうか」
「………………はい?」
呆然としたまま、何秒間か固まる。
(な、なんですって?)
今なにか、私の計画の全てが崩壊するような事を言われた気がする。
でも頭が必死に理解を拒否している。
硬直していると、エルヴィスは真摯な瞳で私の手を取った。
「きみと本当の夫婦になりたい。俺達の子どもが欲しい」
私はさらに数秒間、石のように固まった。
冗談でしょう……!
昨晩は私の事を、毒婦だと言っていたくせに!
私は焦るあまり、姫らしからぬ大声で叫んだ。
「旦那様は昨晩、本当の妻にする気はないと言いましたよね……!? 私の事は嫌いなんでしょう!?」
最悪の初夜が開けて、なぜか夫は心変わりをしている。
悪夢という他ない。
しかしエルヴィスは私の手を離してくれず、彼はそのまま言った。
「まぁ、そうだな。……やはりそういう事か」
何かぶつぶつ言っているけど、混乱を極めた私の耳には入らなかった。
とにかく焦っていて、このままでは計画が崩壊すると思って、私は必死に叫んだ。
「嫌いな女相手でも、こ……子どもを作ったり、できるんですか!?」
まさかできませんよね?
男性にもプライドというものがあるでしょう?
もう今すぐにでも嫌われたくて、挑発するつもりで放った言葉だった。
でもエルヴィスは私の手を握ったまま、深く頷いた。
「できる」
「旦那様は、ケダモノですね!」
叫ぶと同時に、彼の手をばしりと払いのける。
皇帝相手の所業とは思えぬ無礼だった。今すぐ首を跳ねられてもおかしくないはずだ。
でもエルヴィスは平然としていて、私はぎゅっと唇を噛み、ベッドに正座して深々と頭を下げた。
拒絶を受け入れてもらえないなら、懇願するしかない。
「旦那様にお願いがあります」
「俺もきみにお願いしたい。どうか俺に惚れてくれないか?」
まだそんな事を……!
たった一日しか経っていないのに、すでに計画が崩れ出している。
焦りと夫に対する苛立ちで、シーツに爪が食い込んだ。
「結界樹の浄化には、かなり体力を使います。私が使命を果たすまで、手は出さないと誓ってください。体調を崩すと浄化が失敗してしまいます」
体力を使うのは本当だけど、私はシェイラと違って、体調を大きく崩した事はない。
でもこれくらいの嘘をついておかないと、祖国へ帰れなくなるのではないかという恐怖があった。
(詳しくは知らないけど、たった三か月で子を産める訳がないわ)
実をいうと、私は夫婦の営みというものをよく知らない。
ハンスはそういった事は教えてくれなかったから、街で女性達が噂している話をこっそり聞いたぐらいの知識量だ。
お腹が大きくなった母親の姿を見た事もあるけど、確か出産までには半年以上かかっていたはず。
(それに、何よりも……子どもをここに残して、自分だけ祖国へ帰ったりはできない)
私自身が、女神の色を持たずに生まれ、不要だと捨てられた姫だ。
事実を知った時は、何日も不眠になる程ショックだった。
私がエルヴィスの子を産んで自分だけ祖国へ戻ったとすれば、その子は「母に捨てられた」という悲しみを背負ったまま生きていく事になる。
それだけは、何があっても避けたい。
(とりあえず、寝台の上で男女が何かをすると子どもができるのよ。その何かはよくわからないけど、必要以上に旦那様と接触しないようにしないと)
願いと祈りを込めて頭を下げていたけど、エルヴィスは黙り込んでいる。




