王の怒り
彼はメイクを拭って、指先についたものを観察する様に見下ろし、眺めている。
「泣いていたのか?何故?」
エリオスの目が私を射抜く。紫の瞳から感情は読み取れ無い。顎を掴んでいる片手は離れる気配が無い。私は追い詰められた獲物の様に逃げ道がなかった。
「早く答えろ」
命令され、私は何と答えるべきか悩んだ。側室達の言葉に私は傷ついた。だけど彼女達の言葉は、ただの意地悪ではなく、この城で生き残ってきた者達の言葉だった。彼女達の言葉は、事実だった。私が何の取り柄も無い、ただの普通の女だと言われただけだ。だけど悪意に満ちた言葉にリエンが泣いて怒ってくれた。気にしてないわけでは無いが、もう済んだことだ。私は口を開き、答える。
「…ッ、何でも、ありません。これは、陛下が気にされる様なことでは…」
顔を隠す様に俯く。しかしその瞬間、再び強い力で上を向かされる。
「俺は何故?と聞いた。何故、質問に答えない?王の命に逆らうのか?」
低い、地を這う様な声。エリオスが私を鋭く睨む。冷たい瞳に恐怖で身体が固まった。次は貴方の番、と側室達に言われた言葉を思い出す。ーー殺される。本能的な恐怖に、私の身体が固まる。
「…あ…」
弱くなっていた涙腺が刺激され、私は顎を掴まれたまま、エリオスの前で泣いてしまった。ぽろ、と一粒目から溢れた涙に、エリオスが目を見開いた。
「私はつ、つまらないから…芸も、特に無いし…」
必死に口を動かしてそう言った。じっとエリオスがそんな私を見下ろす。
「俺はそう言っていない。誰かがお前にそう言ったのか?」
確かに、エリオスはよく不機嫌になるが、つまらない、とか退屈だ、とか言われたことはまだ無い。話はちゃんと最後まで聞いてくれるし、彼なりの感想も返してくれるので、少なくとも退屈では無いのかもしれない。
「そ、それは違います!ただ、私がそう思っただけで…」
告げ口みたいになるのが嫌で私は慌てて否定した。
「お前は、嘘が下手だな」
エリオスは私の頬を両手で包み込み、私の目の下にキスを落とした。柔らかい唇が、私の涙を拭い去る。
「…へ…?え…?」
今、何をされたのか理解が追いつかない。目を丸くして見上げる私をエリオスは笑うでもなく、無表情で眺めていた。
「変な女だ。俺を恐れないかと思えば、他人の言葉を気にして泣いている」
彼は独り言を呟きながら私の頬を指でなぞった。隠していたものを簡単にあばかれ、すべて見透かされている。
「お前の話がつまらなければ、とっくに殺している。他に出来ることが無いのであれば、殺されない様、語って楽しませろ」
私の言ったつまらない、芸が無いーーへのエリオスの返答だった。冷たく残酷で、なのに慰めの様に聞こえる言葉だった。彼は私の頬から手を離し、ベッドに寝転んだ。目を閉じ、眠たそうな声で私に言った。
「今日はもう良い。お前も早く寝ろ」
眉を寄せて不機嫌そうな表情だ。私は慌ててサイドテーブルのランプを消して隣に寝転んだ。エリオスのミントの様な香りがした。暗闇で良く見えないせいで他の感覚が鋭くなっている。隣にある体温に私は緊張しつつも、眠気を覚える。
安心出来る人じゃない。何を考えているのか分からない、恐ろしい人だ。
ただ、今日はあまりにも沢山のことがありすぎて疲労の溜まった私は眠気に抗うことなく、眠りに落ちた。
翌日。私は何だか騒がしい城の空気に気づき、目を覚ました。寝ぼけ眼で起き上がると、リエンが慌てた様子で部屋に入って来た。
「ステラ様!大変です!」
「どうしたの?」
リエンから聞いた話に私は目を見開いた。ーーエリオスが離れにいる側室達を殺そうとしていると。
「エリオス!側室達を殺したりしたら戦争になるぞ!?側室達を大量虐殺する王など聞いたことが無い!」
エリオスがいる広間に駆けつけると、震えて怯える側室達の前でジェードが必死にエリオスを止めていた。彼の手には、剣が握られている。
「そこをどけ。邪魔だ」
エリオスはジェードに冷たく答えた。ジェードが背中に側室達を庇いながら声を荒げた。
「民達は今のお前を賢王とは呼ばないだろう」
「王は御乱心だと言う言葉ならば聞き飽きた。今更、どうとも思わない」
ジェードの瞳に本物の怒りが宿る。ジェードは低い声を出した。
「お前は王の器だとまだ信じていた。だが、もうお前とはここまでだ」
エリオスが苛立ちに片眉を上げた。
「去るのであれば、引き留めはしない。好きにしろ」
私は慌てて二人の間に飛び込んだ。
「ステラ様!?」
リエンが驚いた声をあげる。私はそれに心の中で謝りながらエリオスに向き合う。
「殿下!側室達を何故、殺めようとなさるのですか!?」
エリオスは平坦な声で言った。
「これまでは生かしてやっていたが…もう目障りだ。媚びへつらい、果てには俺の今の暇つぶしを潰そうとした」
エリオスが剣先を側室達に向けた。彼女達は一斉に青ざめた。
「お、お許しください殿下…」
震える声で古株の側室が言った。彼女達は皆、目に涙と恐怖を浮かべている。
「ステラ嬢が、傷つけられたから怒っているのか…?」
ジェードが困惑混じりに呟いた。
「か、彼女達を殺めるのは、どうかご容赦ください!私が理由なのであれば、どうかお願いします」
私が理由で側室達を殺そうとしているなら辞めて欲しい。私は震える足を奮い立たせながら、エリオスの前に立ち続けた。
「何故、お前が止める?」
エリオスは心底不思議そうに尋ねた。
「私が理由で人が死ぬのが嫌なんです」
正義感と言うより、単純に夢見が悪くなるからやめて欲しかった。彼女達を心配しているわけじゃない。でも、彼女達の気持ちや立場には同情も理解も出来る。
「お前も、一緒に殺されるとは思わないのか?」
エリオスの言葉に私は目を見て答えた。
「思います。でも、ここを退きたくありません」
自分のせいで誰かが死ぬなんて嫌だ。その思いだけが私をその場に居させ続けた。きっとここを退けば、後悔する。
「…怯えているのに、引かないか」
エリオスが剣を下げた。彼は側室達に告げる。
「ここを出て行け。二度と俺の前に現れるな」
側室達は皆、王宮を追い出された。ジェードが私に話しかける。
「あのエリオスに意見して一歩も引かないなんて…君はやっぱりすごいね!」
ジェードは笑顔で私にそう言うとエリオスを睨んだ。
「ステラ嬢が理由なら、先に言えよ。何も殺すまでしなくも…でも、そんなに怒る程、大事だったんだな」
ジェードは嬉しそうに笑った。ジェードの中でエリオスが私を溺愛している事になっている気がする。暇つぶしとか言ってましたよ、この人?エリオスは笑顔を浮かべるジェードの誤解を特に解くわけでもなく、鬱陶しそうに見ていた。
「もう見切ったのではなかったか」
「ステラ嬢を見ていたらお前が変わる気がしていたんだ」
ジェードは期待に満ちた目で私を見ていた。
「でも、もう変わっていたんだな。誰かの為に怒るなんて今まで無かったじゃないか。だからまだ、お前が人間性を取り戻せると信じるよ」
エリオスは黙ってジェードの言葉を聞いていた。彼はジェードを拒絶しなかった。リエンが私の元に駆け寄り、私の無事を危機迫る表情で確認する。
「ステラ様!お怪我はございませんか!?」
「大丈夫よ、リエン。何とも無いわ」
私がそう言うと、リエンは安心したように胸を撫で下ろした。
「生きた心地がしませんでした…!ご無事で良かったです」
とても心配をかけてしまった。私達が話していると、ジェードがエリオスに進言した。
「エリオス、ステラ嬢と食事を一緒にしたらどうだ?夜に過ごすだけでは、あまり話せないだろう。」
ジェードはワクワクした表情でエリオスに提案している。夜に一緒に過ごすだけでもお腹いっぱいなのに、食事まで一緒にするの?恐怖と緊張でご飯の味が分からなくなりそう。
「殿下はステラ様のことが大事だったんですね!さっきもステラ嬢を傷つけなかったし!」
リエンはジェードの言葉を信じちゃったみたいだ。
「食事を共に?」
エリオスは怪訝な顔をした。しばらく黙って考えていたが、彼は頷く。
「食事の邪魔にならないならいい」
エリオスは提案を受け入れてしまった。ジェードも乗り気だし、逃げ場が無い。唯一の味方であるはずのリエンも嬉しそうにしている。
「殿下とお食事をすれば、もっと仲良くなれますよ!」
重い空気の空間になる予感しかしない。私は乾いた笑みを浮かべた。




