皇太子妃依子
一ノ宮家の私室、玄関。
「どうして……、どうして……」
実の息子から二ノ宮家の私室への出入り禁止を宣言され、二ノ宮の執事と侍女達に引きずられて、依子は一ノ宮家私室の玄関へと帰された。
玄関にある椅子に腰掛けたまま、依子は未だ呆然としている。
依子とその姉である佑子は、二人の夫であり皇太子でもある伊織から冷遇されているので、侍女達は声を掛ける事はなく遠巻きに様子を窺っている。
「伊穂……、伊穂が私に……、あんな事を言うなんて……」
依子から見て、伊穂は真面目で思いやりのある青年だった。
母親である自分に対し、苦言を呈するような事はなかった。
しかしそれはあくまで依子から見た伊穂であり、伊穂は母親の言動が偏っている事に幼い頃から気付いていた。
伊穂は父親である伊織がいたからこそ、依子の事を客観的に見る事が出来ていた。
伊穂が依子に対して反抗的な態度を見せたのは、先ほどのあのやり取りが初めてではない。
声を荒げたのは初めてだったが、今まで何度も伊穂は依子の言動を咎めていた。
しかし、依子がそれに気付いていないか、もしくは記憶から都合良く抹消させていただけに過ぎない。
依子は自分が見たいものだけを見る系統の女性なのだ。
「いつから伊穂はあんな子になったのかしら。子供が出来たから? 貴子と結婚したから? あのアバズレ、絶対に許さないわ……。いえ、それだけじゃないはず。やっぱり三ノ宮のせいね。伊吹が現れたから。ずっと山奥でひっそりと暮らして、誰にも気付かれないまま死んでいけば良かったのに。それもこれも全て咲弥のせいね。多少強引にでも伊吹を産む前に殺しておくべきだったわね。くそっ、死んでも私の邪魔をするなんて許せないわ。どうすれば伊穂が素直で良い子に戻ってくれるのかしら。悪い影響を受けてしまったから……。一から育てるくらいの気持ちで伊穂に……。そう言えば、来月生まれる藍子との子も男の子だったはず。………………どうにかして二ノ宮に、いえ私の手元に置けないかしら。伊穂が伊吹の手に落ちた以上、以前の伊穂に戻すのは大変よ。それよりも、生まれたばかりの男の子を私の手で育てれば、きっと素直で良い子になるはずよね? うん、良い案だわ。新しい子を育てているのを見て、伊穂が思い直して戻って来てくれるかも知れないし。本来はとても良い子なのだもの。きっとそうなるはずよ。それはそれで良いわね。うんうんうん、そうしましょう。上手く行くわ、きっと絶対に上手く行く…………」
ブツブツと独り言を漏らし続ける依子の鞄から、スマートフォンの着信音が鳴り響いた。
依子は反射的にスマートフォンを取り出し、画面をタップしてから耳に当てた。
「もしもし?」
『依子様! 私のお見合い写真、伊穂殿下にお見せ頂けましたか!?』
電話の相手は、依子の従妹である問屋田鞠子だ。
二人は歳が離れているが、依子が鞠子を一ノ宮の別荘に招いたりする程度には親しい。
皇太子妃として嫁いだ事、そして何より伊穂という男児を産んだ事を自慢する相手として、鞠子のような身内を複数侍らせていた。
夫から相手にされていない分、依子はそうやって自尊心を満たす必要があったのだ。
「……えぇ、お見せしたわ」
自分から問屋田家へと声を掛けてお見合い写真と釣書を用意させた手前、依子は鞠子の事を無碍には出来ない。
『いかがでした!? 私、第二夫人になれますか!?』
「どうかしらね。実際に会わないと分からない事も多いでしょうし、写真だけでは何ともね。
伊穂様があなたを気に入れば、二ノ宮から問屋田へ正式に連絡が行くと思うから、楽しみに待っていなさいね」
『そうですか! 分かりました、ありがとうございます!!』
依子は事が上手く進んでいると勘違いしている鞠子に訂正はせず、そのまま通話を切った。
「……そうよ。実家の力を使って手を回せば良いんだわ!」
依子の実家である問屋田家は、着物を織る自動織機を開発し、それをきっかけとして様々な事業を展開して財を成して行った財閥である。
依子は実家の財力を使えば、いかに今をときめく副社長であれ、その発言力を無視出来ないだろうと考えた。
実家から圧力を掛けさせ、次に生まれる男の子を依子の養子として差し出させる。
すでに一人、男の子がいるのだから、簡単に手放すだろう。
何より自分はすでに伊穂という男児を育て上げている。
その実績があるのだから、三ノ宮家は喜んで次男を差し出すだろう。
依子は自分の考えがおかしい事には気付かず、実家の当主である母親へ電話を掛けた。
『もしもし、どうしたの? 今日は……』
「お母さん、来月に三ノ宮家に次男が生まれるの。藍子の子を手に入れたいから、何とか問屋田から圧力を掛けて奪えないかしら」
『なっ……!?
あなた何を考えているの!? 言って良い事と悪い事があるわよ!!』
「伊穂様が伊吹から悪い影響を受けているの! 伊穂は悪い子になってしまったわ!! 私には新しい男の子が必要なの!!」
『意味が分からないわ! あなたが何を考えているのか全く理解出来ない!!
訳の分からない事に問屋田家を巻き込まないでちょうだい!!』
「問屋田家の財力をもってすれば、三ノ宮家も無視出来ないはずよ」
『……あなた、誰を敵に回そうとしているのか分かっていないの?
藍子様のご実家は宮坂家なのよ!? 問屋田家ごときが相手になる訳ないでしょう!!』
「圧倒出来ないにしても、何とか……」
『それに伊吹殿下ご自身が世界有数の大富豪なのよ!? VividColorsとAlphadealの株だけで時価総額何十兆円規模か知らないの!?』
「それでも……」
『伊吹殿下が問屋田家と関わるなと言うだけで、取引停止になったり不買運動が起こったり、最悪の場合は国税や検察の特捜まで来るわ。うちなんてあっと言う間に消し飛ぶわよ!!』
「でも……」
『デモもシュプレヒコールもないわ! TOYADAの自動運転部門がVividColorsと提携して開発を進めているのよ。VividColorsとの関係が悪化すればどれだけの従業員が路頭に迷うか考えなさい!!』
「従業員なんて……」
『そもそも!! 問屋田家の当主は私なのよ。女なの!! 当主が女だと相続の際に莫大な税金が発生するのよ。うちには男性の跡継ぎがいないの。早く男の子をもうけるか養子に貰うかしなければならないの!! あんたのワガママを聞いている時間なんてないのよ!! 佑子の子が男の子だったとしてもうちの子には出来ないんだからね!!』
「……姉さんの、子?」
『ようやく佑子も一人前になれるのだと喜んでたら、直後にこんな迷惑な話を聞かされた私の身にもなってほしいわ!! 切るわよ!!』
ツー ツー ツー
依子はスマートフォンを操作し、母親へと電話を掛け直そうとするが、何度掛けても通話を拒否され、ついに着信拒否されてしまった。
「……姉さんが、妊娠?」
眼中になかった佑子の存在が、依子の中で急激に巨大なものになっていく。
未だ性別が分かっていないという事は、男性である可能性は皆無では、ない。
依子は立ち上がり、一ノ宮の私室を出て、フラフラとどこかへ向かって歩き出した。




