皇宮内私室にて、その二
皇宮内、二ノ宮家私室にて。
伊吹の弟である伊穂が、妻の貴子と伊吹の結婚式の様子を、居間のソファーに座って眺めている。
貴子のお腹は大きくなっており、あとひと月ほどで第一子である女の子が生まれる予定になっている。
「仲睦まじいご様子が、ディスプレイ越しにも伝わって来るね」
「ええ、本当ですねぇ」
「僕らも、兄上から仲睦まじいと思ってもらえるような夫婦に見えているかな?」
「ふふっ。あの副社長にそう言って頂けたら、この上なく幸せな事ですわね」
「……絶対に兄上に対して副社長って言っちゃダメだよ?」
伊穂が貴子の手をそっと握った。
「ふふふっ。ええ、分かっております」
貴子は伊穂が嫉妬してくれているのを嬉しく感じ、伊穂の手を握り返す。
そんな仲睦まじい二人の私室へ、侍女が来客を伝えにやって来た。
「殿下、依子様がお見えなのですが……」
侍女からの報告を聞いて、伊穂の表情が強張った。
「今日が兄上の結婚式だって分かってて来ているのかな……」
伊吹と美哉と橘香の結婚式は、春咲山神社で挙げる事となったとはいえ、主催は皇宮である。
皇宮主催の祭事である以上、皇太子妃である依子は伊織の近くで結婚式の限定生配信を眺めるか、一ノ宮の私室で大人しくしているべきだ。
そんな依子が、わざわざ二ノ宮家の私室へと訪ねて来た。
自分の息子に会いに来たとはいえ、あまりにも目に余る行いだ。
「……応接室に通しておいて。
今は手が離せないと伝えて、お茶でもお出ししておいてほしい」
「分かりました」
侍女が依子の対応に戻ると、伊穂は小さくため息を吐いた。
「……せっかくの晴れの日が台無しだよ」
「伊穂様……」
貴子が伊穂の手を両手で包む。
「ごめん、つい心の声が出てしまった」
「ここは二ノ宮の私室です。
伊穂様はこの中だけは、私の前だけは、ご自分のお心のまま、ご自由になさって下さい」
「ありがとう。貴子、愛している」
「伊穂様……」
二人が見つめ合い、唇を重ねようとすると、居間の扉の向こうが騒がしくなって来た。
「お待ち下さいませ、何卒……」
「うるさいわね、私は息子に会いに来たのよ!」
依子が応接室を出て、この居間に入って来ようとしているのを、伊穂の侍女が必死に止めているのが伝わって来る。
そして依子は侍女を振り切り、居間の扉をノックもなしに開け放った。
「……伊穂様。いらっしゃるのならお顔を見せて下さいな」
「母上。ここは二ノ宮の私室です。
あまり勝手な事をされては困ります」
「そんな……、私は愛する息子に会いに来ただけなのですよ?
こうして、あなたの為に第二夫人候補のお写真と釣書をお持ちしましたの」
依子は侍女の制止も貴子の挨拶も無視し、ローテーブルに持って来た大量の写真と釣書を置き、自らは床に正座して、ソファーに座っている伊穂へとそれらを見せていく。
「こちら、私の実家である問屋田の本家の娘です。
歳の離れた私の従妹で、歳は十六歳。
どう? とっても聡明そうなお顔をしているでしょう?」
にこやかな表情を浮かべ、依子は伊穂へと上目遣いで語り掛ける。
しかし、伊穂の機嫌は悪くなるばかりだ。
「母上、今日は兄上の結婚式です。
配信越しであるとはいえ、私は結婚式に参加している最中なのです。
邪魔しないで頂きたい」
貴子に見せていた柔らかな表情からはがらりと変わり、伊穂は無表情で母である依子を見下してそう伝える。
あまりの声の冷たさに、貴子がぎゅっと伊穂の手を握り締めると、伊穂は優しく握り返して来た。
そんな二人の様子に気付く事もなく、依子がローテーブルの写真へと手を伸ばす。
「三ノ宮の結婚よりも、あなたの結婚の方が大事なのです。
お利口そうなお顔は好みではありませんか?
それではこちらの九十九のご令嬢はいかがかしら?
お歳は少し上ですが……」
「母上、いい加減にして下さい」
伊穂が依子の言葉を遮った事で、ようやく依子はその口を閉じた。
「今日は伊吹親王の結婚式です。
母上は皇太子妃として、一ノ宮家かおじい様の私室でか、父上と一緒に結婚式に参加しているべきなのです。
今すぐお帰り下さい」
伊穂の言う通り、本来であれば依子は伊織のそばにいるべきなのだが、依子は伊織に相手にされておらず、今日も伊澄の私室に呼ばれている事を伊織から聞かされていない。
依子は侍女に尋ね、伊織が伊澄の私室にいる事は教えられているが、招かれてもいないのに、依子が一人で伊澄の私室へ向かう事は憚られる。
要するに、依子はハブられているのだ。
なお、依子の姉であり伊織の第一夫人である佑子は、自分が妊娠した事も、毎晩伊織に抱かれていた事さえも、依子へは知らせていない。
「……そう仰らず、ね?
一刻も早く第二夫人を決めて、男の子をもうけないといけないでしょう?」
皇宮内でハブられている依子にとって、唯一の心の拠り所が、息子の伊穂なのだ。
「母上に決めて頂くつもりはございません。
写真と釣書はこちらでお預かりしますので、お帰り下さい」
そんな伊穂にすら冷たくあしらわれ、ようやく依子は貴子へと目を向けた。
「貴子さん、あなたからも伊穂様に言って下さらない?
早く男の子をもうけないと、三ノ宮に出し抜かれてしまうの。あなたなら分かるでしょう?」
そう依子が貴子へ話し掛けた事で、伊穂が貴子を背中へと隠し、依子を睨み付ける。
「貴子は今、大事な時期なのです。巻き込まないで下さい」
「大事な時期? 女を産むのに大事も何もないでしょう?
さっさと堕ろせば良かったのよ、そしたら次の子を……」
依子の言葉は、伊穂にとっての一線をはるかに超えてしまった。
「いい加減にしろって言っているでしょう!!」
伊穂は立ち上がり、依子に対して詰め寄る。
息子から初めて怒鳴られて、さすがの依子も固まってしまう。
声を荒げてしまった伊穂だが、貴子に余計な負担を掛けるべきではないと思い直し、努めて冷静に依子へと告げる。
「あなたには失望しました。二度と二ノ宮家の敷居を跨がないで下さい」
伊穂は執事に対し、依子を一ノ宮の私室まで送るよう伝える。
一部始終を見ていた執事は伊穂の意を汲み、戸惑う侍女達に対して指示を出しながら、自らも依子を抱えて居間を出て行った。
「……はぁ。
貴子、本当に」
「伊穂様、謝らないで下さい」
二人きりになり、母親のあまりの非礼に対して謝罪しようとした伊穂の顔を、貴子が胸元へと抱き寄せた。
「私は嬉しかったです。この子も、お父様が守って下さって、喜んでいるはずです。
決して謝るような事はございません」
「……ありがとう。
僕は貴子の事を好きになって、本当に良かったよ」
「そのお言葉が聞けただけで、嫌な事は全て消し飛びました」
そして、伊穂と貴子は再び見つめ合い、そっと唇を重ねたのだった。




