第6話 弟みたい
アデルは、コルと一緒に、ノークの町の様々な場所を回った。
同じベッドの中で目を覚ました彼女達は、互いに朝の挨拶を交わすと、身支度をしてから宿を出て、色々な種類の果物や野菜を置いている出店の通りを歩いた。コルは、目に付いた美味しそうな物を次々とアデルにおねだりして、それに対してアデルは、二人では食べきれる量でないと分かりつつも、財布の紐を解いて、紙袋を食べ物で一杯にしていった。なお、案の定、それらの買った食べ物はほとんどを食べきることが出来ず、余らせることになった。
それから、アデルは、色とりどりの花々を飾った花屋や、煌びやかなアクセサリーを陳列した宝石屋、用途不明の面白可笑しなマジックアイテムを売っている魔法店、そういった子どもの目を惹く店が並ぶ通りを案内した。コルは、目に入った綺麗な物や興味深い物に、顔を輝かせて飛び付いていった。アデルは、そんなコルの無邪気な姿を見守った。コルは、気に入った物を見つけては、嬉しそうにアデルに振り返り、アデルは、微笑みながら相槌を打つのだった。
アデル達が町の広場を過ると、先日そこで一緒にボール遊びをした男の子達が見えた。男の子達は、アデルの事を覚えており、通りかかった彼女らに手を振った。アデルとコルは、やる気満々の様子でローブを脱ぐと、彼らの遊びに混ざって行った。男の子達が、アデルと顔が似ているコルについて、「アデルの弟?」と訊ねたのに対して、アデルは、詳しい事情を話すのも面倒だったため「まあ、そんなところよ」と濁した。ただし、コルが男の子ではなく、女の子である点は訂正しておいた。
広場での運動を終えたアデルとコルは、次に、町の通りからやや外れた場所にある公衆浴場へと向かい、温かな湯で汗を流しに行くのだった。入浴中、アデルは、コルの裸に品定めするような真剣な眼差しを向け、特に胸の辺りを見ながら「やっぱり、少し膨らみが気になるわね……」と呟いた。対してコルは、アデルが裸に赤いリボンを付けて入浴している姿を、「アデル、変なの」と可笑しそうにからかうのだった。
入浴を終えた後、また町を散策し、日が暮れ始めてから、マグの魔法薬店へと向かった。店のカウンターの奥にはマグがいて、金髪の人形を抱えながら読書に耽っていた。アデル達は、軽く挨拶をして、今日一日のコルの様子について報告した。結局、コルが何か記憶を取り戻したという事もなく、その兆しもない事を伝えた。
「結局、今日はこの子と一緒に遊び回っただけになったわね」
そして、マグの魔法薬店で夕食となった。アデルは、カウンターに並んだ豪勢な料理を肴にワインを飲みながら、再度一日を振り返っていた。
「なるほどね。特にその子の正体が分かるようなことも無かったのね」
マグは、アデルとカウンター越しに対面して座り、傍らにワインを入れたグラスを置いて、頷きながらアデルの話を聞いていた。
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」
「コル、あなた、相変わらず凄い食い意地ね」
そして、アデルの横に座ったコルは、必死に目の前の食事に食らい付いていた。小さな口の中に、次々と肉や魚が頬張り込まれていく。体を前後するように動かして食事するその姿に、アデルは、苦笑を浮かべた。
「それにしても、アデル、随分とその子の事を気に入っているみたいじゃないか」
カウンターの隅に置かれたメメが、冷やかすように言った。
「気に入っている……のかしら?」
「僕にはそんなふうに感じられたよ。君が小さな男の子が好きなのは知っていたけど、実は女の子の方ももいけるんじゃないの?」
「んー……うーん……。……男装させれば、あるいはいけるのかもしれない。取り分け、美形の子については」
アデルは、腕を組んで、メメが冗談半分で言った言葉を深く考えた。マグは、そんなアデルの姿が何だか可笑しくて、くすりと笑ってしまった。
「美形と言うか、君の顔に似ているんだけどね。……なんというか、君、自分の顔好きだよね。そういうのもあって、その子の事を気に入っているのかな?」
「そう言うのってどういうのよ? ちなみに、私は、特に自分の顔が好きだというわけではない。客観的に自身の容姿の美醜を評価しているだけ」
「ハハハ」
「何笑ってんの、帽子野郎」
アデルは、鋭くメメを睨み付けた。
「まあ、それはともかく__話を戻すけど、やっぱり、僕には、君がその子に対して随分と優しかったように見えたよ」
「優しかったかしら?」
「うん。君にしては、不思議なくらいね。自覚がないのかい?」
「……そうねえ……」
アデルは、頬杖をついて、食べる事に忙しそうにしているコルを見つめる。自分が一体、この小さな女の子をどう思っているのか、考える。彼女自身、自分のコルに対する感情を上手く整理できないでいた。ただ、何故か、胸の奥に妙なざわめきを感じるのだが。
__自分に似たコルの顔。短い髪のせいで、角度によっては本当に男の子に見えなくもない。この胸の奥のざわめきは、コルの顔が自分に似ている所為なのか、コルが美形の男の子に見えるからなのか、あるいは、また別の琴線に触れているからなのか……。
「まあ、これで本当に男の子ならなあ……とは思うわね」
アデルは、聞こえるか聞こえないかの声で、そう呟いた。その声には、彼女の強い願望を思わず吐露したような、切実さがあった。
「ねえ、アデル、私もそれ飲みたい!」
食べる事に夢中だったコルは、口の中の食べ物を豪快に嚥下すると、急に顔を上げて、アデルの手元を指差した。アデルは、急に話し掛けられて、どきりと肩を震わせる。
「“それ”って……ワインのこと?」
アデルは、手元に置いてあったワインのグラスを小突く。コルは、「うん、私もワイン飲んでみたい」と頷く。
「ええ、良いわよ。飲んでみる?」
「アデル、あんまり小さい子にお酒を勧めるのはどうかと……」
「まあ、一口くらいは良いじゃないの」
メメが注意するが、アデルは、ワインの入ったグラスをコルに差し出す。コルは、差し出されたグラスを嬉しそうに手に取って口に付け、ワインを少し啜った。
「……ぶっ!?」
そして、ワインを口に含んだ途端、コルは、勢いよく噴出した。アデルは、びっくりして身を引く。
「まっ……!」
「ま?」
「まずいっ!」
「それは随分な評価ね」
アデルは、コルが率直に言い放った言葉に苦笑する。コルは、グラスを置くと、涙目でアデルに振り返る。
「アデル、これ不味いよ……。苦くて、つんつんする……。アデルは、何でこんなもの美味しそうに飲めるの……?」
「私には美味しく感じられるからよ」
「えー、嘘だー。不味いよー」
「あなたの舌がまだまだお子様なのよ。私のような立派な淑女になれば、ワインの味の良さが分かるものなの」
「こんなの、いつになっても美味しくならないよ……」
「まあ、人の好みも様々だしね。私達、顔は似ているけど、好みは全然違うのかも」
「むー……」
コルは、頬を膨らまし、もう一度ワインの入ったグラスを手に取り、口に運ぼうとする。「ちょっと……」とアデルは止めようとしたが、コルは、目を力強く思いっきり瞑って、ごくりとワインを一口飲み込んだ。
「んっ……ぐっ! ごほっ、ごほっ……!」
コルは、グラスを置いて激しく咳き込む。アデルとマグは、二人して立ち上がり心配そうにコルの背中を摩った。
「もう。何で飲めないものを飲もうとするのよ……」
「アデルが変に焚き付けるからじゃない? 悪いお姉ちゃんね」
「えー……私のせい? それに、お姉ちゃんて……」
マグがくすくすと笑う。アデルは、呆れた顔でコルの背中を摩り続ける。
「……アデルと……」
「ん? 何?」
咳き込みが収まってきたコルがぼそりと呟き、アデルは、耳を傾ける。
「アデルと、同じものを好きになりたかったから」
コルのその言葉に、アデルは、やや困った顔をする。取り合えず水を飲ませ、それから口直しに、コルが好きそうな甘い食べ物を勧めるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌日も、アデルとコルは、ノークの町を一緒に遊び回った。
アデルは、この町の気に入っている場所や店を案内していった。歩いている最中に、コルが興味を惹かれた店に立ち寄っていき、一緒に店内を見学したり、コルがおねだりしてきた物については、アデルが買ってやったりもした。
コルは、アデルの前でよく笑った。アデルも、コルの笑みに優しい眼差しを返していた。傍から見れば、彼女達は、本当の姉妹のようにも映った。__あるいは、姉弟のように。
「君の弟とも、こんな感じだったのかな」
アデルがコルと町を歩いている中、唐突にメメが呟いた。アデルが、その唐突な呟きに眉をひそめる。
「私の弟? いきなりどうしたの?」
「君には弟がいたんだろ。だから、今の君とコルみたいに、楽しそうにしていたんじゃないのかなって、思っただけだけど」
「あら、どうして私に弟がいた事を知っているの?」
「いや……以前君が言っていたじゃないか。君には弟がいた事があるって」
「そんなこと言った?」
「言ったよ。なんか意外な事実だったから妙に覚えているんだけど」
「そうだっけ? ……まあ、私にとってはどうでも良い事実だし」
「どうでも良いって……、君の家族の話じゃないか」
メメは、呆れ気味に言った。
「家族の事なんてどうでも良い事じゃないの。正直、大して家族との思い出も無いし、思い入れも無い。両親が馬鹿だったことと、弟が影の薄い奴だったことぐらいはなんとなく覚えているけど」
アデルは、肩を竦ませて、感情の籠らない声でそう返した。
「ところで、あなた、それ食べないの?」
アデルは、視線を落とし、自分の横にぴったりくっついてきているコルに訊ねた。コルは、赤、青、黄、白色の様々な色の金平糖が入った小瓶を片手に持ち、もう片方の手で金平糖を一粒摘み、それをまじまじと眺めている。
「綺麗だから、食べるのがもったいないなって」
「食い意地の張っているあなたにしては珍しいわね。そんなにその金平糖の見た目が気に入ったの?」
「うん。お星さまみたい。色のついたお星さま」
コルは、摘まみ上げている金平糖を天にかざした。淡い紫色の瞳が、無邪気に輝いている。
「ふーん、お星様ねえ……。で、ずっとそうしていて楽しい?」
「うん。お星さまに触っているみたいで楽しい」
コルは、金平糖を指先と指先の間でころころと転がし、遊んでいる。金平糖の突起の感触を楽しんでいるようであった。
「コルは、お星様が好きなの?」
「大好き。だって、きれいだもん。きらきらしていて、見ていて楽しい。アデルは好きじゃないの?」
「私は、別に。あんなものは、ただきらきらしているだけじゃないの。それに、きらきらしたものなら、他にもいっぱいあるでしょ。ほら、さっき立ち寄った宝石屋とかでもいっぱい。金、銀、宝石、私はそういった物のほうが良いわね」
「でも、お星さまもきれいだよ。すごくきらきらしている」
コルは、アデルが共感してくれないことに不満のようだった。
「まあ、きらきらはしているけどねえ……私の趣味ではないわ」
「えー、アデル、何で? あんなにきれいなのに……」
「やっぱり、私達、趣味が合わないわね」
「むー…またそんなことー……」
コルは、頬を膨らませた。アデルは、肩をすくませて、苦笑いを返した。それからアデルは、「早くそれを食べちゃいなさい」と、コルが摘まみ上げている金平糖を指差した。コルは、むきになったように「きれいだから食べない」と言って、指先の金平糖を離さずに眺め続けた。
そこへ、
<……ヴァ、ガギィ、ォ……、ガァア、グァ……!>
突如、頭上から、悍ましい怨嗟の声が響いた。
アデルは、声がした上空を素早く見上げる。すると、彼女のちょうど真上にそれはいた。__黒い影が、町の明るい空から浮き立って、狂ったように宙を旋回している。自身の憎悪感情を表現するかのように、禍々しい黒い体を蛇のように激しくくねらせている。
それは、先日遭遇した、コルに襲い掛かって来た悪霊であった。
「あいつ……!」
アデルは、コルを抱き寄せる。コルは、怯えたようにアデルのローブに顔を埋めた。
「僕らに敵意を向けている! 逃げよう、アデル!」
「分かっているわ!」
メメの警告に、アデルは、直ちに行動に移す。
「__来て、『ノノ』!」
アデルは、魔法の箒ノノを呼ぶ。主の声に応えて、虚空から一条の光がアデル達の元へと伸び、町の通りに突如暴風を巻いて、彼女達を地上から攫う。そうして、アデルは、コルを抱きかかえた状態で、魔法の箒ノノで町の空へと飛翔していった。
アデルの脳裏に一瞬、“暫くの間、ノノは使わない方が良い”というマグの忠告が過ったが、今はそれどころではない。
アデルは、コルの体を片腕で支え、もう片方の手で箒の柄を握り締めながら、背後を振り向く。そして、風で鬱陶しく乱れ靡く髪の隙間から、追跡者を確認する。
「やっぱり、来ているわね……!」
案の定、付いてきていた。
<……ヴァ、ガギィ、ォ……、ガァア、グァ……!>
悪霊の黒い影が、怨嗟の声を轟かせながら、宙を駆け、猛然とアデル達に迫ってきている。その迫り来る速度は、ノノの飛行速度を上回っている。悪霊は、疾風のような速さで、アデル達との距離をあっという間に縮めてきた。
黒い影が、ノノの毛先に触れそうになる。
「ノノ! お願い、逃げ切って! 限界まで速度を上げて!」
アデルが指示を飛ばすと同時に、ノノから光の粒子が勢いよく噴射される。そして、次の瞬間、凄まじい風圧がアデルに襲い掛かる。髪先やローブの端が暴れるようにはためく。魔法の帽子メメが、アデルの頭から外れ、吹き飛ばされる。全身が殴打されたような感覚に、アデルは身を竦ませ、息が出来なくなる。__ノノがアデルの指示通り、限界まで速度を上げたのだ。
一瞬混乱状態に陥ったアデルだったが、それでも、箒の柄は握り締め、コルを離さないように奮闘する。しかし、それも長くは続かない。凄まじい風圧の暴力に、アデルの握力は耐えきれず、遂に彼女は、ノノから手を離してしまう。
アデルは、疾走するノノから吹き飛ばされ、町の空を舞う。ノノから離れたアデルであったが、それでも片腕で抱いたコルは離さないままでいた。
「……ぐっ! ノ……、ノノ、戻って!」
空から落下しながら、アデルは、ノノに対する命令を喉の奥から迸らせた。
主の命令を受け、彼方へと疾走していたノノは、一条の光と化して宙返りし、地上へと落ちていくアデル達を拾い上げた。
アデルは、ノノが拾い上げてくれたのを感じ取ると、再び箒の柄を握り、ほっと一息を吐く。
「……全く、速度上げ過ぎよ……」
アデルは、乱れた前髪を触りながら、ノノに不満を漏らす。
「コル、あなた、大丈夫だった……?」
「う、うん、何とか__」
アデルが、片腕に抱いたコルの様子を確認しようとした時、彼女達にあの怨嗟の声が覆い被さる。
<……ガァゲェ……、ィブェ……!>
アデル達が、声のした上空を見上げた瞬間、黒い影が大きく口を開けるように、その黒い体を広げて迫ってきた。彼女達を執拗に追いかけてきた悪霊が、襲い掛かって来たのだ。
「しまっ__」
アデルがノノに命令を発しようとしたその瞬間には、黒い影はもう、彼女の目と鼻の先。やられる、と彼女は思った。
しかし、迫り来る悪霊に向かって、紫色の鋭い閃光が迸る。
雷鳴のように耳を劈く轟音と共に、放たれたその紫色の閃光は、悪霊の黒い体を穿つ。その閃光を受けた悪霊は、痛みに悶え苦しむように体を捩じらせて、宙を暴れ回る。
アデルは、目を見開き、その紫色の閃光を放った人物に振り返る。
「コル……、その光……」
アデルの片腕に抱かれていたコルは、恐怖に目を瞑りながらも、人差し指を悪霊に向けて突き出していた。その指先には紫色の光が灯っている。それは、魔法の光だ。
「私……」
コルは、恐る恐る目を開き、宙でのたうち回っている悪霊を見据える。そして、彼女は、静かな声で呟く。
「……分かるかも」
「分かる? 何が?」
アデルは、コルの気配の変化を感じ取る。
「あいつの倒し方」
首を傾げるアデルを他所に、コルの口先は小さく動き、魔法の呪文を紡ぐ。
コルの体から魔力が溢れる。魔力の波動が、旋風のように辺りを巡る。指先の魔法の光が、その輝度を増し、そして、強く閃く。次の瞬間、指先から紫色の稲光が放たれ、その稲光がのたうち回る悪霊へと疾駆し、その黒い体を縛り上げるように絡みつく。
<イギャギャギャギャギャギャギギギギギギギギギギギギ……!>
爆ぜる紫色の稲光の中、悪霊が悲鳴を上げる。煙のような黒い体を気色悪く振動させる。紫色の稲光から必死に逃れようと、体を触手のようにして周囲に伸ばすも、紫色の稲光が脱出を許すことはなく、容赦なく締め上げられ続ける。
アデルは、悪霊がそのように紫色の稲光に捕らえられて苦しみもがく様を、唖然と見ていた。
コルは、指先から紫色の光を放ち続ける。その幼い瞳は怯えながらも、魔法の光と、それによって悶え苦しむ悪霊を見据えている。その攻撃に、一切の仮借は無い。
そして、悲鳴を上げ続けていた悪霊は、やがてその声と体を縮めていき、完全に消滅したのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




