第7話 幼女の謎
ノークの町の空に夜暗が訪れている。その夜暗に小さく穴を開けるかのように、星々が微かな輝きを放っている。そして、その微かな煌めきに、魅せられている小さな女の子がいた。
コルは、マグの魔法薬店の窓際から、両手で持った小さな望遠鏡を覗き込んで、夜空の星々を眺めている。傍らでアデルとマグがある事で話し合っているのも忘れて、星々の輝きに魅入っている。
「コル、お星様を見ているのは楽しい?」
会話を終えたアデルが、望遠鏡を覗き込んでいるコルに訊ねる。コルは、望遠鏡を下ろしてアデルに振り返る。
「うん、楽しい! これで見ると、もっときれいにお星さまが見れるよ! 買ってくれてありがとう、アデル!」
「そう。それは買った甲斐があったわね」
コルは、アデルに買ってもらった望遠鏡を、嬉しそうに抱えている。
「なあに、コル。あなた、星を見るのが好きなの?」
マグが白いローブを揺らし、微笑みならがコルに訊ねる。
「大好き! だって、とってもきれいだから!」
「そうね、とても綺麗ね。私も、星空を見上げるのは好きよ」
マグがそう返すと、コルは、仲間を見つけたと思い、顔を輝かせる。
「そうだよね! きれいだよね! マグはわかっている!」
コルの嬉しそうな反応に、マグは、思わず「ふふ……」と笑い声を漏らす。
「やっぱり小さな子は、星を見るのが好きなのかしらね? あなたと似たような子を知っているわ。その子に、直接会ったことはないけれど」
「……? 誰のこと?」
「あ……いえ、こっちの話よ。気にしないで」
コルが首を傾げたのに対して、マグは、不自然な誤魔化し方をする。
「なーに二人してお星様の話で盛り上がろうとしているのよ」
と、アデルが割って入った。
「あら、アデル、仲間外れで寂しい?」
「何で嬉しそうに言うのよ、マグ?」
「だって嬉しいんだもの。アデルが寂しそうにしているのが」
「それ、どういう意味よ? ……それに、別に、寂しいってわけじゃない」
アデルは、マグの奇妙な笑みに眉を曲げる。
そんなアデルの表情が可笑しかったのか、コルは、にやにやとアデルに白い歯を見せて、
「えーアデル、寂しいの?」
「コル、あなたまで……」
アデルは、呆れた様子で肩を竦ませる。
「大体、この町から見える星なんて全然綺麗じゃないでしょ」
「むっ。そんなことないよ。きれいだよ」
コルは、アデルに意地悪を言われたと感じて、頬を膨らませる。
「いいえ、この町からでは星を綺麗に見れないはずよ。この町は、他の地域と比べて特に魔力が渦巻いている。その所為で空気が澱んでいるから、星の光が届きにくい。魔力が異常な今年なんかは特にそうだわ」
「……そうなの?」
コルは、アデルの言った内容が正しいのかを確認するために、マグに顔を向ける。
「そうねえ……確かに、この町からではあまり綺麗に星の光は見えないわね。空気に混じり気が多すぎるもの」
「そうなんだ……きれいじゃないんだ……」
「他の場所よりは綺麗に見えないってだけよ。逆を言えば、ここの町のものよりも、もっと綺麗な星空が見れるってこと。……そうだわ! アデルに頼んで、もっと綺麗な星空を見せて貰えばいいじゃない? 彼女は、なんたって万能の魔女なのよ」
がっかりした顔を見せたコルに、マグがそう提案してみる。すると、コルは、無言で期待の眼差しをアデルに向けた。もっと綺麗な星空を見せて欲しい、という願いが籠った眼差しだ。
「いや……そんな事言われても……」
コルの眼差しを受け、アデルは、困った様子で口の端を曲げる。
「コルにとっておきの星空を見せてあげなよ。万能の魔女には造作も無い事だろう? 君、随分とその子を気に入っているみたいだしさ」
カウンターの端に置かれた魔法の帽子メメが口を出した。その声色には、不機嫌さと、露骨な皮肉が込められていた。
「メメ、あなた、まだ機嫌を直していないの?」
「別に……」
「何が、別に、よ。言いたいことがあるなら言いなさい」
「……アデルには、僕の事より、落としたお菓子の方が大事なんだなって。まあ、それも仕様が無いよね。アデルには、その子の事が大切で、ついでに、その子が落としたお菓子の事も大切なんだから」
「メメ、女々しい。言い方が鬱陶しいわよ」
メメの機嫌が悪いのは、アデル達が悪霊から逃げる際に町の何処かに落としてしまった彼を、直ぐに探しに行かなかったからだ。悪霊から逃げる際、コルが金平糖の入った小瓶をうっかり落としてしまったのだが、彼女達は、まずそちらの方を探しにいってしまったのだ。コルにとって、アデルに買ってもらった金平糖の小瓶は、とても大切な物であったため、彼女達に特段悪意があるわけではなかったのだが、メメの捜索よりも優先されてしまったのだ。
結局、金平糖の小瓶は見つからず、アデル達は、諦めて新しい金平糖を同じ店で買い直す事になった。そして、その後、アデル達は、メメを探さなくてはいけないことを思い出し、慌てて町の何処に落ちている彼を探す事になった。最終的に、アデル達がメメを見つけたのは、日が暮れる直前となってしまった。
メメとしては、所詮は新しく買い直せば良いに過ぎないお菓子の方が、自分より優先されるとは思っていなかった。随分と自分が蔑ろにされていると感じ、不満だった。
「ごめんね、メメ……。直ぐに探しに行かなくて……」
そう謝るのは、コルだった。申し訳なさそうに眉を下げている。
「君は優しいね、コル。でも良いんだ。それだけアデルにとって、君が大事だってことだよ。アデルが他人を大事に思えるなんて、人間として凄い成長をしていると思うんだ……。僕は、それが嬉しいよ」
「何言ってんのよ、帽子野郎。気持ち悪いから、教育者ぶったこと言わないで」
「僕は、君の教育者のつもりだよ」
「帽子に人間の教育者は務まらないわ」
アデルは、ふん、と鼻を鳴らす。
「で、どうなんだい? その子の為に最高の星空を見せてあげるのかい? 確か、君の魔法は、まだ一つ残っていただろう? その子が大事なら、是非使ってみるべきじゃないかい?」
「皮肉も大概にしなさいよ、メメ。全く、馬鹿らしい……。それより__」
アデルは、話題を切り替える。アデルは、コルを呼んでその肩をそっと掴み、マグの前に出す。
「コル、さっきまで、あなたについてマグと話していたの。今日襲ってきたあの黒い奴と、それから、あなたの魔法について」
コルが望遠鏡を覗き込んでいた間、アデルは、今日起こった出来事についてマグに報告していた。町の中を歩いていたところ、再び悪霊に遭遇した事。そして、襲い掛かって来たその悪霊を、コルが魔法らしきものを使って撃滅させた事。
「あなたの魔法、もう一度見せてくれるかしら? マグにも見てもらいたいの」
「別にいいけど……」
「お願い。威力は加減してね」
コルは頷いて、人差し指を立てた。その小さな口が呪文を紡ぐ。そして、空気が変わる。魔力の波動が、サイズの合わないコルのローブの袖を微かに揺らした。その次の瞬間、彼女の指先に紫色の光が灯る。
その指先の光に、マグの瞳が一瞬揺らいだ。
その光は、魔法の光だ。アデルとマグが注目する中、その光は、コルの呪文と共に輝きを増していき、そして、バッチと音を立てて小さく稲光を放った後、徐々に空気に溶けるように消えていった。
その魔法を披露したコルは、これで良いのか、と確かめるようにアデルを見上げる。アデルは、「ご苦労様、コル」と頷く。
「と、まあ、言った通りよ。この子、魔法が使えるみたいなの。でも、何処で魔術を習ったのかは覚えてないみたい」
「……。……なるほど」
マグは、顔にローブの影を落として、指を顎の上に置く。白いローブの奥の緑色の瞳が、じっとコルを観察する。そのマグの視線に、コルは、思わず緊張を覚える。感情の失せたような、ほんの少し冷たい視線だった。そして、数秒の間があった後、マグは、質問をする。
「コル、どうして魔法が使えるようになったのか分かる?」
「うーん……」
「それじゃあ、他に魔法は使える?」
「……分からない」
「今の魔法しか使えないって事?」
「うん。多分……」
コルは、困ったように唸る。彼女自身、何故自分が魔法を使えるのか、分かっていないのだ。
「頑張れば、他にも魔法が使えそう?」
「……よく分からない」
「じゃあ、もともと自分が魔法を使えていたかどうかは分かる? つまり、あなたが記憶喪失になる以前も、魔法が使えたのかは?」
「……分からない」
「記憶が特に戻ったという訳じゃない?」
「……うん。ごめんなさい……」
コルは、少し涙目になって答えた。マグは、慌ててコルの前に屈んで、「いえ、コルは何も悪くないのよ」と言いながら彼女の頭を優しく撫でた。
「マグ、何か分かったりする? 今の魔法や、この子の正体について」
アデルは、コルの頭を撫でているマグに問い掛けた。
「……」
「……マグ?」
「分からないわ」
僅かな沈黙の後、マグは、そう返した。
「独特な魔術を用いているようだけど、それだけで何か断定できるわけじゃない。だから、この子の正体については分からないまま」
それは、何処か突き放すような言い方だった。アデルは、その言い方に少し怪訝となる。
「でも、焦る必要はないわ。少しだけど記憶が戻っては来ている、ってことじゃない? だから、徐々に色々と思い出して来るんじゃないかしら」
「そうかしら……」
「そうよ。だから、焦る必要はないわ」
「……ええ」
アデルは、マグの態度に疑問を覚えつつも、頷いた。
「ねえ、マグ! 少しお願いがあるんだけど!」
すると、今まで話がひと段落ついたと見て、コルが明るい無邪気な声でマグに呼び掛ける。マグは、頭を傾げてコルに微笑む。
「どうしたの、コル?」
「魔法を教えて欲しいの! 私、魔法が使えるみたいだから、他の魔法も使いたい!」
「魔法を? ……それに、私に教わりたいの?」
「うん。魔法を教わるならマグがいいって、アデルが言った。マグは、“けんじゃ”さまだからって」
マグは、じろりとアデルを横目で見てから、コルに向き直る。
「その呼ばれ方は好きじゃないの。でも、私で良ければ、ほんの少しだけの間なら、先生になってあげられるわ」
「わーい、マグ先生!」
「その呼ばれ方は嫌いじゃないわね」
ふふっ、とマグは笑った。
「本当に良いの、マグ? そんな面倒な事を約束して」
と、横で話を聞いていたアデルが口を出す。
「私は構わないわ。面倒な事だなんて思わないし」
「そう? それなら良いけど」
「それに__」
マグは、ローブの奥の瞳に影を落とし、コルを見つめて、呟く。
「私、気になるもの、この子の魔法」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その後、いつものようにマグから豪勢な食事が振るわれた。コルは大いに食べ、アデルは遠慮なく飲み、マグはそんな客人二人と微笑みながら食事を共にした。
__そして今、アデルとコルは、自分達の宿に帰る途中。
「コル、上ばっかり見て、危ないわよ」
家屋の灯りも微かなノークの町の夜道を、二人で手を繋いで歩いていた。コルは、夜空を見上げ、暗闇に小さく灯る無数の星々の光に目を凝らしていた。
「アデル、やっぱりお星さまきれいだよ」
「本当に好きねえ……」
「どれだけあるんだろう。お星さま、すごい数」
「試しに頑張って数えてみれば?」
アデルが何気なくそう言うと、コルは「やってみる!」と頷き、夜空に人差し指を向けて星を数え始めた。「いち、にい、さん、しい……」コルが星を数えるあどけない声を耳にしながら、アデルは、コルの手を握って夜道を進んだ。アデルは、コルが星を数えるのを邪魔することなく、口を閉ざして彼女を見守った。
アデルは、何故だか懐かしい気持になった。随分と昔、自分も今のコルみたいに瞳を輝かせて、夜空を見上げた事があったような気がした。不思議にも、そんなような気がした。自分には、星空を眺める趣味なんてないはずなのに。そんな無意味なお遊戯をする趣味なんてないはずなのに。けれども、何故だか、胸の奥が騒めく。確か、昔__
「__そう言えば、アデル」
星を数え続けていたコルが、数えるのを中断し、アデルの顔を見上げる。少しばかり呆け気味であったアデルは、吃驚して「どうしたの?」と返す。
「さっき言ってた、この町の星はきれいじゃないって」
「ええ、そんなこと言ったわね。この町では魔力の所為で空気が澱んで、星の光が綺麗に届かないから」
すると、コルは、握り締めたアデルの手を軽く引っ張る。
「アデルは、実はすごい魔法使いなんでしょ?」
「実はというか、見ての通り凄い魔法使いよ。万能の魔女『赤リボンのアデル』なんて呼ばれているんだから」
誇るように胸に手を置いたアデルに対して、コルが淡い紫色の瞳を輝かせる。そして、コルは、繋いだ手を可愛らしく上下に振って、アデルの体を揺らした。
「じゃあ、お願いがあるの、アデル。綺麗な星空を見たいの。アデルと一緒に」
__……アデルと星空を見ていたい
「……っ!?」
その時、不意に、立ち眩みがアデルを襲う。彼女の赤い瞳に暗い暗い影が落ちる。
誰かの声がした。
知らない小さな男の子の声。知らないはずの声。誰かの声だった。けれど、誰の声だったかは覚えていない。
__星空を見ていたい。いつの時か、そんなお願いをされた覚えがあった。けれど、そんなつまらない願い事、いつ誰から受けたのか覚えていない。
……そう、それはつまらない願い事のはずだった。そして、簡単な願い事のはずだった。星なんて、夜になって空を見上げればいつだって見れるものだ。今日も、明日も、いつだって見れるはずのもの。今日も、明日も、明後日も、その次の日もいつだって、永遠に、ずっと続く幸せだ。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと続く幸せのはずだ!
それは、魔法を使うまでもない、簡単な願い事のはずだ。……それなのに、その時は、深い暗闇に突き落とされるような、どうしようもない気持になったような気がした__
「アデル、大丈夫?」
頭上からのメメの声で、アデルは覚醒する。アデルは、いつの間にか、地面にうずくまっていた。コルは、アデルの手を握り締めたまま、アデルの顔を心配そう覗き込んでいる。
アデルは、「大丈夫よ」と言って、よろめきながら立ち上がる。全身に訳の分からない倦怠感が伸し掛かっている。頭を振り、夜空を仰いで息を吸い、調子を整えようとする。
「綺麗な星空を見たいのよね、コル?」
アデルは、ノークの町の夜空を仰いだまま、コルに訊ねた。
「う、うん……」
様子が変なアデルに戸惑いつつも、コルは頷く。
「全く、そんなつまらないお願い事をこの『赤リボンのアデル』に頼むなんて、無邪気な子どもだからこそ出来る事ね」
アデルは、夜空の星々の輝き一つ一つを吟味するように、見つめている。瞬きもせずに夜空を見据え、嘲るような笑みを、薄く浮かべている。
「全く馬鹿げているお願い事だと思うけど__」
アデルは、溜息を吐いてから、
「良いわ。叶えて上げる、その願い」
コルに顔を向けないまま、まるで独り言のように呟いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




