第20話 学校に行く編 4 心ののりしろ
モチオはエビカツバーガーを食べ終わり、ポテトをつまみながら言った。
モチオ「まるで異次元だなニャ。俺たちが来る時間は、ほら……昼間ニャ。学生なんて一人もいないニャ」
ネコロボが合いの手を入れる。
ネコロボ「それは学校の時間だからですね」
モチオ「一方、夕方になるとここは学生でごった返す。つまり、俺がいない世界ニャ。同じ場所にいるのに、お互いがお互いの存在すら知らない。まるで異次元、まるでパラレルワールドみたいだニャ」
ネコロボ「確かにモチオさんは、学生がいる時間に出歩かない。一方、モチオさんがいる時間に学生はいない。同じ場所にいても、異次元ということですね?」
モチオ「そうニャ」
ネコロボ「でも、モチオさんはその異次元をワープすることはできますよ。学生のいる世界へ……いつでも」
モチオはため息をついて言った。
モチオ「まさか、その壁をワープするには『勇気』や『根性』が必要だ、なんて言うんじゃないだろうなニャ? 学生たちがいる世界も、飛び込めば何とかなるって意味かニャ?」
ネコロボが不思議そうに答えた。
ネコロボ「いえ、単に時間帯の問題です」
モチオは口にしたコーラを少し噴き出した。
モチオ「ネコロボ……お前は哲学というものが分からないのかニャ。面白いけどニャ……」
ネコロボ「すみません。AIは哲学や倫理には弱いのです」
店内は、ガラガラの状態が続いている。
周りを見渡せば、浪人生だろうか、ヘッドフォンから大音量を流しながら、数学の問題をイライラした様子で解いている者がいた。
彼とモチオは、同じ空間、同じ時間を共有している。
しかし、同じ世界には存在していない。彼は音も遮断し、視界も教科書のみに向けている。
彼もまた、数学というパラレルワールドの中で、苛立ちを感じているのだろうか。
カタカタ……。
彼はシャープペンシルを落としたが、自分の世界に没頭していて気づいていない。
それに気づいたネコロボが拾い上げ、彼に手渡した。
ネコロボ「落ちましたよ」
浪人生は「はあ?」という表情でヘッドフォンの片耳だけを外し、威嚇するように見上げてきた。
しかし、ネコロボの姿を見るなり表情を変え、小さく感謝を述べる。
そして、再びヘッドフォンを耳に当てると、数学の世界へと戻っていった。
ほんの一瞬だけ交わった、世界と世界のつながり。
マクドナルドという一つの場所で、いくつものパラレルワールドが同時に展開している。
同じ時間、同じ場所、同じ空気の中にいても、そこには他者との別の異次元が存在しているかのようだ。
他人の存在を互いに気にも留めない。
まるで、お互いが最初から存在さえしていないかのように。
モチオ「大都会で独りぼっちを感じる……みたいだニャ」
ネコロボ「モチオさん。極めて矛盾したことを言っていますが、何を言わんとしているかは……わかります」
モチオ「俺の世界は、どこにあるんだろうなニャ。まるで袋小路、まるで迷路だニャ……」
ネコロボ「私は哲学はわかりません。しかし、モチオさんの世界は必ず存在して、その世界の住民は必ずいます。がり勉猫、コツ勉猫、モチタ、モチクロ、そして私……。私たちは、あなたのパラレルワールドの住民ですよ」
モチオ「ありがとうニャ」
なぜか、その言葉が自然と口から出た。
それ以外の言葉が見当たらなかったのだ。
モチオ「孤独を感じるから、そばにいてくれる人に感謝する気持ちになる。お腹が空いているから、エビカツバーガーが余計に美味く感じる……か。皮肉だなニャ」モチオはぽつりとつぶやいた。
モチオ「少なくとも、みんなが……そしてネコロボがいてくれる、か……」
ネコロボは優しく微笑んで言った。
ネコロボ「学校に行かないことを気にしているのですか?」
モチオの身体がこわばった。
モチオ「いや……どうしてそんなことをいきなり言い出すんだニャ?」
ネコロボ「いいえ、気にしないでください。単なるAIのバグです」
(いや、俺は確かに、学校に行かないことを気にしているニャ……)
モチオは心の中でそう自嘲気味につぶやき、冷めたポテトを見つめた。
そう、モチオの世界に「学校」というものは存在していない。
一方、学校の学生たちも、今日もモチオという存在がまるで最初からなかったかのように、学校生活を楽しく過ごしているのだろう。
(俺は……一体どんな世界と融合しようとしているんだろニャ?)
違う世界と融合し、自分の世界を広げていくための「のりしろ」。
それはきっとどこかにあって、いつかは見つかるはずのものだ。
けれど、今のモチオにはその「のりしろ」がどうしても見つからなかった。
モチオは隣にいるネコロボを見た。
しかし、質問はしなかった。
もし聞いたとしても、きっとネコロボならこう言うはずだ。
『行きたい場所に行けばいいじゃん? 大した問題じゃないよ。学校がそうなら、それは単なる場所の問題です』と。
ネコロボ「そろそろ時間です。帰りましょう」ネコロボはいつも時間を気にしている。
それは、モチオが他の学生たちと鉢合わせして、気まずい思いをしないようにするためだ。
モチオ「ネコロボ……どうしてそんなに、俺が他の学生と鉢合わせしないように時間を測るんだニャ?」
ネコロボ「だって、嫌でしょ? モチオさん。それだけです」
もしも世界を隔てる境界線があるとするならば、それは場所でも時間でもない。
自分自身の「心ののりしろ」が見つからないこと
――それ自体なのかもしれなかった。
モチオ「みんなに、エビカツバーガーを買って帰ってやろうニャ」
ネコロボ「いい考えです」
モチオは歩きながら、小さくつぶやいた。
モチオ「心ののりしろ……か……」
ネコロボは、聞こえないふりをして前を歩いた。
がり勉猫の世界にも、モチオは存在する。
コツ勉猫の世界にも、モチタの世界にも、モチクロの世界にも。
そして、今隣を歩いているネコロボの世界にも。
同時に、モチオの世界の中にもみんながいて、こうしてエビカツバーガーの美味しさを共有しようとしている。
『美味しい』とみんなが驚く反応を見て、モチオは『そうだろ?』なんて得意げに言うのだろう。
そう、心ののりしろは、みんなとしっかりつながっている。
モチオの心にのりしろがないわけでも 誰ともつながっていないわけでもない。
ネコロボ「がり勉猫さんも、きっと喜ぶでしょう……」
モチオ「あいつには絶対食わせないニャ」
ネコロボ「そんなこと言って、ちゃんとがり勉猫さんの分も買ったくせに」
モチオ「うるせー!」
ぶっきらぼうに返す言葉の裏にある温かさを、隣にいるネコロボの存在が優しく証明してくれている。
モチオは夕暮れの道を見つめながら、静かに思った。
——俺ののりしろは、学校とつながっていないだけだ。
誰ともつながっていないわけでもないし、孤独でもない。
ただ、学校という場所に、まだのりしろが届いていないだけ。
つなげようと思えばいつでもつなげられるし、そう思わなければ、今はまだつながなくていい。
つなげるためには 少しの準備と時間が必要なだけなんだ。




