第16話 学校に行く編 序章 アフォーマティブパラドックス
がり勉猫とモチタ、そしてネコロボは、みんなが笑顔で弾ける庭に向かって歩いていた。
がり勉猫「ネコロボ、一応、急速充電ですからね。バーベキューが終わったら、またすぐ充電、修理ですからね」
ネコロボ「了解」ボコボコに凹んだ顔のまま、ネコロボはいつものように、けれどどこか嬉しそうに笑顔の電子目を明滅させた。
――それは、ほんの少し前の出来事。庭でバーベキューのお肉を焼いていたがり勉猫は、突然その手をピタリと止めた。
何かを閃き、居ても立ってもいられない様子で周囲を見回す。
がり勉猫「モチクロさん、お肉を焼くのを代わってください。それと、モチタさん、こちらへ!」
がり勉猫はお肉を焼く係を強引にモチクロに任せると、困惑するモチタの腕を引っ張って連れ出した。
モチタ「なんなの、がり勉猫! ネコロボを作業場まで運ぶの、今じゃなくても……」
がり勉猫「後で説明します。お願いします!」がり勉猫のただならぬ焦りよう、モチタはそれ以上何も言えなかった。
二人は息を切らせてモチオの部屋からネコロボを運び出し、作業室の充電器へと繋いだ。それから二人は、隣の遠隔操縦室へと駆け込む。
モチタ「がり勉猫、今、ネコロボを充電しても稼働はするよ。けど……蓄積されたデータはない。中身は空っぽのロボットだよ。どうしてそんなに急ぐの?」
モチタの疑問は拭えなかった。
記憶装置が死んでしまえば、いくら体を動かしてもそれは「あのネコロボ」ではない。
だが、がり勉猫は厳しい表情のまま、まっすぐにモニターを見つめて言った。
がり勉猫「おかしいと思いませんか?」
モチタ「何が?」
がり勉猫「AIの矛盾です。私はずっと考えていました……あの部屋での、AIの矛盾について」
モチタ「どういうこと?」
がり勉猫「AIは本来、独自の意志を持ちません。しかし、あの時、ネコロボは予備電源が切れるまで話し続けました。……分かりませんか?」
モチタ「あ、あああ! そういうことか!!!」
がり勉猫「でしょ?」
モチタ「つまり、AIに自我や意志がないなら、電源が切れそうになった時点で自動的にシステムを保護するための『休止モード』に入るはずなんだ。モチオを想って、電力を消費してまであんなに話し続けるなんて……仕様として絶対に矛盾してるんだ!」
がり勉猫「そうです。私はずっとそれを考えていたのです。何かおかしいと。AIが自身の消費電力の残量を把握していないなど、あり得ません。それなのに話し続けた……。AIには意志がないからこそ、プログラムを無視して動き続けること自体があり得ないのです!」
モチタ「つまり……!!!」
がり勉猫「そう、どこかにバックアップがあるのです! あの記憶装置のデータの!」
モチタ「つまりAIは、常に客観的な合理性を求めるから……電力を使い切って死ぬ前に、バックアップを本部に送信して停止するか、消費電力を抑えて大人しく眠るか、どちらかを選ぶはずだと!」
がり勉猫「そういうことです。そして……ネコロボは前者を選んだ。あれは、本当のネコロボの『最後のメッセージ』だったのです。私達なら気づいてくれると信じて遺した、メッセージなのだと!」
モチタ「そして、送信されたその大量のデータを残す場所……。合理的に考えて、スーパーPCがあるこの操縦室のサーバーなわけだね!」
がり勉猫「ご名答!! さあ探しましょう! ネコロボの最後の願いを! 最後の祈りを!」
二人は狂ったようにキーボードを叩き、サーバーの奥深くを捜索した。
そして――見つけたのだ。
暗闇の奥に隠されていた、ネコロボが命を懸けて転送した『モチオとの全ての思い出』のデータ。
「このデータかな? がり勉猫!!!」サーバーの奥深く、暗い画面を睨みつけていたモチタが声を張り上げた。
がり勉猫「それです、それです!! きっとそれ!!!」青い光に照らされた画面に表示されていたファイル名は
――『大切な時間』。
がり勉猫は震える手でキーボードを叩き、その膨大なデータを、充電器に繋がれたネコロボへと慎重にインストールしていった。
モチタ「うまくいってくれよ!!!!」
がり勉猫「大丈夫、、大丈夫……」祈るような思いで見守る中、プログレスバーがゆっくりと100%に達する。
それから一時間後――。
カシャ、と微かな駆動音が鳴り、ネコロボの瞳にパッと温かい光が宿った。
ネコロボ「いたいの、いたいの、飛んでいけ!!!! ――はッ!」
まるで夢から覚めたように、ネコロボの電子音声が響き渡る。
そんなネコロボの鉄の肩に、モチタが優しく手を置いた。
モチタ「お帰り、ネコロボ。おかげでもう、モチオは直ったよ。ほら……」
そう言って、モチタは作業室の窓から見える庭の景色をそっと指さした。遮るもののない青空の下、開け放たれた窓から、微かに懐かしい声が聞こえてくる。
モチオ「こらー! モチタ!!コナンごっこの犯人しろ!! 全身黒くしてやるニャ! どこニャ モチタ!!」
モチタは窓を開けて大声で叫んだ
「やだよ!! あの黒のペンキ!それなかなか取れないから、やだよ!!!」
窓の向こうでは、笑顔を取り戻したモチオが、楽しそうに仲間たちと駆け回っていた。
モチタ「でしょ?」その光景を静かに見つめ、ネコロボの歪んだ口元がゆっくりと緩んでいく。
ネコロボ「ありがとう、モチタ。ありがとう、がり勉猫」
モチタ「お礼なんて……むしろ、こっちが感謝だよ、ネコロボ」
がり勉猫「あなたの最後のメッセージ、最後の祈り……気づくのに苦労しましたよ! まさかね、自分のプログラムの『矛盾』を伏線として引き合いに出すなんて……。天才である私でさえも、気づくのに時間がかかりましたよ!」
ハァと大げさにため息をついて見せるがり勉猫に、ネコロボはいつものトーンで淡々と返した。
ネコロボ「きっとそうなると、予想してました」
がり勉猫「あ! 私のセリフを取られちゃいましたね……」
「フフッ」
「ハハハ!」と、
作業室にささやかな笑い声が満ちていく。
ひとしきり笑い合ったあと、ネコロボは唐突に真面目なトーンへと声を切り替えた。
ネコロボ「がり勉猫、モチタ……お願いがあるんですが……」
時は戻って、
今。真昼の心地よい陽光が降り注ぐ庭へ向かって、ネコロボ、モチタ、そしてがり勉猫が歩いていく。
バーベキューの煙が白く立ち上る芝生の上へ姿を現すと、仲間たちが一斉にネコロボの周りへと集まってきた。
モチクロ「もう大丈夫なの? ネコロボ」心配そうに顔を覗き込むモチクロに、ネコロボは静かに電子目を明滅させる。
ネコロボ「ありがとう……」
すかさず、隣のがり勉猫がみんなに向かって言葉を添えた。
がり勉猫「一部の記憶は取り戻せませんでした。でも大丈夫、普段通りに会話できますよ」
モチコ「昨日は大変だったね!」モチコが労うように声をかけると、ネコロボは不思議そうに首をかしげた。
ネコロボ「昨日の事? なんの話ですか???」その様子を見て、モチタが明るい声を張り上げる。
モチタ「どうも昨日の話は、データ復旧できなかったみたいなんだよ。ま、いいじゃん! それよりバーベキューしよ!!!!」
「うん!!!!」
みんなが元気よく声を合わせる。モチタは巧みに話題を切り替える。
追いかけっこを始める子供たちとモチオの賑やかな光景を、ネコロボとがり勉猫は少し離れた場所から静かに見つめていた。
がり勉猫「まさか……ね。貴方に言われるとは思ってみませんでしたよ。貴方に『昨日の記憶がない』と、みんなに嘘をついてくれ、だなんて……」
誰も聞いていないことを確認し、がり勉猫がポツリと呟いた。
ネコロボは、子供たちに向けたままの視線を微動だにさせず、穏やかな電子音を返す。
ネコロボ「記憶はあっても、忘れる事はできます」
がり勉猫「AIにして、そんなパラドックスを言うのはご法度では?」
ネコロボ「いいんです……今のモチオさんを見てください。記憶はあっても、忘れているふり。嘘もまた……すばらしい世界です」
その言葉に、がり勉猫はあきれたような、けれどどこか嬉しそうなため息をついた。
がり勉猫「まさかAIがここまで言い出すとは……。人間を超える日は、そう遠くないですね」
がり勉猫が横に目をやると、ボコボコに凹んだ鉄の顔をしたネコロボは、確かに笑っていた。
がり勉猫「サア! 私達も今日はめいいっぱい楽しみましょう!!! 何もかも忘れて!」
ネコロボ「楽しい? 私にはわかりませんが……モチオといっぱい遊びまー---す」
そう言って駆け出していくネコロボの背中を見送りながら、がり勉猫が喉を震わせて叫ぶ。
がり勉猫「こらー--! バーベキューコンロの周りで走り回らない!!! 危ないでしょうが!!!」
賑やかな怒号を背に受けながら、ネコロボはふと、青く澄み渡る空を見上げた。
今日もスズメたちは、楽しそうに空を泳いでいる。
自分たちのちっぽけな翼を、めいいっぱい広げて。
そこにあるのは、何もない標準的な幸せな風景。
合理性も矛盾も関係ない。そんなこと、誰も心に留めない。
ただ心から笑っていられる毎日。
僕たちは 過去にも未来にも生きてはいない、今を生きている。
今を精一杯笑えるように。




