闇の誘惑
「――トワ」
真羅がその名を告げた瞬間、世界が止まる。
風により揺れていた草木はしなったまま停止し、大地を駆ける動物は走る姿勢のまま空中で停止していた。
言霊から解放され、要塞の中で慌ただしく動いていた人々も完全に停止している。
文字通り世界の全てが止まっていた。
全てが停止した世界で唯一、真羅だけは平然と動いていた。
「【この一瞬を永遠に】――彼女は時間を止める」
全てが停止しており、言葉を聞きべき者も止まっている状態で、真羅はつまらなそうに呟く。
「時間が停止している以上、干渉する事も出来ないが、どんな事にも抜け道はあるもんだ」
真羅は二人の魔具精霊を手にしたまま、ゆっくりと停止している太郎に近づく。
「これが魔術である以上、この魔霊以上の力を持つモノは止められない。まあ、そんな奴はほとんどいないがな」
そう言いつつも、真羅自身は時間停止の影響を受けているのにも関わらず、平然と動いていた。
「【逢魔の杖】の強化は魔術の格――階位を上昇させる」
太郎の眼前に来た真羅は、静かに【霊刀水月・真打】を構える。
「つまり、この子に強化された魔霊ならば、時間が停止している状態でも干渉を可能にする」
太郎の首に向けて、真羅は刀を真一文字に振るう。
【霊刀水月・真打】は、【この一瞬を永遠に】の影響下にも関わらず、低位魔術崩壊現象を起こして、停止した物体に干渉する。
「まあ、止まっているお前に説明しても意味は無いけどな」
太郎は首を斬られたが、干渉したのは切断部だけなので、その首は落ちることなく、何事もなかったかのようにそのまま停止している。
「じゃあね。自称ランスロット卿」
それだけ言うと、真羅は踵を返してこの場を後にする。
向かうは自身の契約精霊であるレイルシアの下。
彼女は今まさにアスタロトの大鎌の餌食になろうとしていた。
「なるほど、アスタロトは光への耐性を獲得していたのか」
一目見て状況を理解した真羅は、静かにアスタロトの隣に行く。
「そして、時間は動き出す」
時間停止を解除すると同時に、真羅はアスタロトの脇腹に回し蹴りを放つ。
「――ッ!?」
突然の衝撃に、アスタロトは訳も分からず吹き飛ばされる。
「大丈夫?」
障害を排除した真羅は、レイルシアの身を案じるように問いかける。
「シンラ!?」
突如として現れた真羅に、レイルシアは困惑する。
「キミが助けてくれたの?」
「ああ、時間を止めてな」
「え?」
想定外の方法で助けられたレイルシアは、その事実を知って呆気に取られる。
しかし、残念ながらこれまでの経験で、彼ならば時間ぐらい操れるだろうと頭のどこかで納得できてしまった。
「くっ、やってくれるわね」
蹴り飛ばされたアスタロトが、脇腹を押さえながら戻ってくる。
「まったく……タロウはどうしたの?」
「ランスロット卿ならあそこで転がってる」
アスタロトが真羅の指差す方を見ると、そこには太郎の生首が転がっていた。
「そう……タロウは負けたのね。使えない……」
倒れた契約者に対して、アスタロトは冷たく言い放つ。
「おいおい、お前の相棒だろ? 少しは労ってやったらどうだ?」
「太郎が貴方に負けるのは分かっていたもの」
「ほーん。なら良く一人で戦わせたな」
「私が銀星を倒すまでの時間稼ぎぐらいはできると思ったのよ。まさかそれすらもできないなんて……それでよく打倒魔王なんて言い出したわね」
「酷い言いようだな……」
ボロクソに言われる太郎に対して、真羅は同情こそしないが哀れに感じる。
「まあ、どうでも良いが、契約者が死んだ以上、お前はそう長く実体を保つ事は出来ないはず。維持が出来る間に尻尾を巻いて逃げたらどうだ?」
面倒くさくなった真羅は、アスタロトに撤退を提案する。
この世界が地球と比べて霊力が高いとはいえ、神代と比べると低くなっているため、肉体を持たない精霊は、世界の魔力が薄い場所では実体を保てなくなる。
「……」
アスタロトは少し考えるような仕草をすると、持っていた大鎌を消す。
戦闘により魔力を消費した彼女は、真羅の言うようにそう長く実体を保つことはできない。これ以上の消耗は避けたかった。
「ねえ、貴方……シンラといったわね?」
「……」
名乗っていないはず本名を言われるが、真羅の顔に驚きはない。
大方、レイルシアが口を滑らしたのだろうと推測する。
「シンラ……私と契約しない?」
「な!?」
突然持ち出された契約の話に、真羅ではなくレイルシアが声を上げる。
「貴方と私が組めば、最強の魔王すら倒せる」
「……」
真羅は答えない。その顔に表情はなく、何を考えているかも分からない。
契約の話に、レイルシアは自分が捨てられるのではないかと不安を覚える。
「そんな弱っちい精霊よりもずっと貴方の力になるわよ? どうかしら?」
「……」
無表情で黙り込む真羅だが、レイルシアがこちらを不安げに見詰めていることに気付くと、徐に口を開いた。
「お前の本当の目的は何だ? いや、そんなの聞くまでもないな」
意味の無い問いだったと質問を撤回すると、真羅の鋭い眼光がアスタロトに向けられる。
「お前の――いや、闇の精霊たちの目的は魔神の復活。それ以外にない」
真実を告げられた闇の精霊の顔に不敵な笑みが浮かぶ。
それに対して、光の精霊の表情は優れなかった。
「魔神の復活……」
レイルシアが呟く。その顔に驚きはなかった。
ある意味当然の目的である。
魔神は女神たちに敗れて封印されている。魔神の眷属であるアスタロト――闇の精霊がそれを復活させようというのは、至極当然のことであるからだ。
「ええ、その通りよ。なんなら、貴方も手伝ってくれない? 貴方ほどの人物なら、きっと魔神様にも気に入られると思うわよ?」
悪びれる様子もなく、アスタロトは真羅を勧誘する。
「闇の魔神か……興味はあるがな……」
前向きそうな返答をする真羅だが、決してその首を縦に振ることはしない。
「生憎だが、俺にはレイルシアがいるんでな。その御誘いは断らせてもらうよ」
真羅の偽りのない言葉に、レイルシアの顔には安堵の表情が浮かぶ。
「シンラ……」
「不安にさせたみたいだな。心配するな。俺がレイルシアを見捨てる事は無い」
真羅の結社における役割は主に精霊の保護である。その役割を与えられたのは、彼が精霊に対して誰よりも誠実に対応し、誰よりも精霊を愛しているからだ。
そんな彼が、一度契約した精霊を見放すなど、決して在り得ないことだ。
「そう……残念ね」
勧誘には自信があったようで、フラれてしまったアスタロトが残念そうに肩を落とす。
「でも、トドメも刺さない。俺は人間には優しくないが、精霊には甘いんだ。とっとと行きな」
希少な精霊を消すような愚かなことはしない。
精霊と自然や概念の化身だ。それを滅ぼすということは、その自然や概念を破壊してしまうのと同じであり、世界にどのような影響が出るか分からない。
そもそも、神代で敗れた精霊たちも完全に消滅したわけではい。彼女らは力を失ったり、深い眠りについてこそいるが、その存在が消滅することはないのだ。
精霊とは生物と異なり、基本は不滅の存在なのだ。
「……フラれてしまったし、私はお暇させてもらうかしらね」
真羅が刃を収めることを確認すると、アスタロトは踵を返す。
「ああ、そう言えば言っておくことがあったわ。銀星――」
アスタロトは振り返ることなく、レイルシアに言葉を告げる。
「――いずれ貴方の前に“七罪”が現れる」
「――ッ!?」
その言葉を聞いた瞬間、レイルシアの体が震え出す。
「――またね」
それだけ言うと、アスタロトは霊体化して姿を消してしまう。
「七罪ね……」
アスタロトが残した言葉に、真羅は以前にレイルシアから聞いた、闇の最高位精霊のことを思い出す。
「七罪が、復活する……」
レイルシアから発せられる声は、その体同様に震えていた。
「そんなにヤバイのか?」
ただならないレイルシアの様子に、真羅が闇の最高位精霊について興味を持つ。
「ヤバイなんてものじゃないよ。魔神を除けば最も――いや、下手をすれば魔神以上に厄介な存在だよ」
魔神以上の脅威。
その言葉に真羅の興味が大変そそられる。
「そんなに強いのか?」
「強いけど。厄介なのは力じゃない。アイツら存在自体だよ」
「?」
レイルシアの言い回しに、真羅は疑問を覚える。
彼女の声音からは恐怖だけでなく、明確な憎悪が含まれていた。
「魔神はボクたちの敵ではあるし、闇と混沌を司っている危険な存在だけどね。決して邪悪な存在ではない。でも、七罪は違う。ヤツらは滅ぼすべき邪悪なんだよ」
「――そうか、七つの大罪か」
滅ぼすべき邪悪。
その言葉に真羅は、七罪の正体が“七つの大罪”であると見抜く。
――七つの大罪。
それは七つの死に至る罪。キリスト教における主にカトリック教会における用語であり、人間を罪へと導く七つの欲望や感情のこと。
「恐らくだが、その闇の精霊ってのは、それぞれ、憤怒、嫉妬、強欲、色欲、暴食、怠惰、傲慢を司る精霊だな?」
この七つの大罪は悪魔とも関連付けられ、それぞれ、憤怒は“サタン”、嫉妬は“レヴィアタン”、強欲は“マモン”、色欲は“アスモデウス”、暴食は“ベルゼブブ”、怠惰は“ベルフェゴール”、傲慢は“ルシファー”が司っている。
七罪の精霊とは地球におけるその悪魔たちに相当する闇の精霊だと、真羅は推測する。
「よく知ってるね……伝承にも残ってないのに……」
「向こうにも似たような概念があったからな。しかし、闇の精霊も沢山出て来ると、名前が無いってのも不便だな」
名を持たない闇の精霊に対し、真羅は識別するのを不便に感じる。
「取り敢えず、常闇の精霊は……内面が墨みたいに真っ黒な精霊だし、“スミレ”とでも仮称するか」
「えー? あんなヤツに名前なんていらないでしょ」
仮とはいえ、宿敵に名前を送ることに、レイルシアはかなりの抵抗を感じる。
「名前ってのは重要だよ。知っていれば相手を祓ったり縛る事が出来る。俺が戦闘前に本名を名乗らないようにしてるのは、そういった意味も含まれている」
「勝手につけたものでも意味はあるの?」
「気休め程度にはな。まあ、多くの者がその名で呼ぶようになれば影響は大きくなるけど……でも、そうなる前には対峙する事になるだろうな」
常闇の精霊――スミレとの再戦を想定し、真羅の顔には不敵な笑みが浮かぶ。
「……楽しそうだね」
「そりゃな。次は隠さずに魔霊を使ってコテンパンにしてやるさ」
「……それはちょっと可哀想な気がしちゃうな」
数の暴力で圧倒する真羅を思い浮かべて、レイルシアはスミレに対して同情する。
「それはそうと、タロウは殺しちゃったの?」
戦いの結果は真羅が勝利したようだが、レイルシアはかつての仲間でもある太郎のことを気にかける。
「首を落としたからな。死んだろ? ――ん?」
真羅は何気なく太郎の生首の方に視線をやると、彼の口が僅かに動いていることに気付く。
「へー、まだ息があるのか。凄い生命力だ。魔人族に変質した影響か、それとも薄っぺらい執念か……」
真羅は太郎の生命力の高さを、興味なさげに適当な考察をする。
太郎は首だけになったが、まだ生命の息吹を失ってはいなかったのだ。
「……ねえ、シンラ……彼を助けてあげられない? このままじゃ可哀想だよ」
虫の息の太郎に対して、心優しいレイルシアは彼を助けることを望んでしまう。
「ん? トドメを刺すって事か?」
真羅は最も簡単な救済法を提案する。
「いやっ、そうじゃなくて! タロウの身体を治してあげられないかな?」
「出来るけど……奴は感謝なんてしないと思うし、下手をすれば、逆上してまた襲い掛かって来るぞ?」
自己中心的な太郎の性格を考えるに、助けたところで彼は礼など言わないだろうし、再び敵対する可能性すらある。
また、治すこと自体は可能だが、真羅からすれば助ける理由などない。
「彼はもともと、無理やり呼び出されて戦わされただけなんだ。このままじゃ、報われないよ……」
「……」
田中太郎は元々ただの一般人だ。
勇者の素質を持った者の召喚に巻き込まれただけの凡人。元々、悪人と言うような悪事は働いておらず、かと言って善人と言えるほどの善行も積んでいない、ごく平凡な男。
別に助ける意志はなかったが、相棒の想いを汲み、真羅は太郎に歩み寄る。
「――ちく、しょ……う……」
太郎からは今にも尽きてしまいそうな擦れるような声が漏れていた。
「……こん…ど、こそ……おれが……ゆうしゃに……しゅじんこう……になる…はず……なのに……」
これが太郎の本心からの望み。
彼は勇者に――物語の“主人公”になりたかったのだ。
魔王を倒し世界を救うという、最高の栄誉を欲していた。
「聞け。田中太郎……」
真羅は憐れみを含んだ冷たい声音で言葉を紡ぐ。
「このままでは、お前は確実に死ぬ。だが、新たに二つの道を用意してやる」
そう言うと、真羅は右手の人差し指を立てる。
「一つ目は、力を失いただの人間として蘇る道……」
真羅は人差し指に続き、右手の中指も立てる。
「二つ目は、魔物として更なる力を得て蘇る道……」
濁った眼で太郎は真羅に視線をやる。
その瞳にもはや正気の色はなかったが、その言葉だけは聞き取れたらしく、微かな声で返答を紡ぐ。
「……ちから……ほし…い……だれに…も……まけない……ち…か…ら……」
その言葉を聞き、真羅は呆れた表情になる。
元のただの人間に戻れる機会を与えたのに、太郎は迷わず力を得る道を選んだ。
力を失うことを受け入れられない以上、もう彼はただの人間には戻れない。
「……分かった。力をくれてやる」
そう言って真羅は、懐から禍々しい宝玉を取り出すのだった。




