魔術師 VS 暗黒騎士
――Abra cadabra。
消えてなくなれ。
恐らく世界で一番有名な呪文であり、憑りついた悪魔を祓う呪文。
古代ローマで使われていた呪文であり、語源は諸説あるが、ヘブライの知恵が有力だ。また、羊皮紙の上に三角形に文字を配列すると、お守りにすることもできる。
女悪魔に誑かされた裏切者の騎士に対する、皮肉を込めた魔術。
「開戦の狼煙としては地味だったかな」
聖なる稲妻は、二人を狙ったわけではない。ちょうど、太郎とアスタロトの中間に向けて放たれていた。
真羅の狙いは先制攻撃ではなく、二人の分断だった。
「上手くいったな」
狙い通り、太郎とアスタロトは、ちょうど大きく左右に跳んで躱していた。
「レイルシア。君は奴に借りがあったよな」
「……そうだね」
不敵な微笑みを浮かべる真羅に、レイルシアは同意して頷く。
「良い機会だ。全力で叩きのめして来なよ」
「……アイツは前より強くなっている。今のボクに勝てるかどうか……」
三千年間、太郎の魔力を吸って強大な力を得ているアスタロトに対抗するには、今の自分では役不足ではないかと、レイルシアは少し不安になる。
「レイルシア……気付いていないかもしれないが、契約して俺の魔力を得た君は以前より力が増している」
「え? ボクの力が増している?」
真羅の告げた自身が強くなったという事実に、レイルシアは実感が持てずに困惑する。
「ああ、まだ完全に馴染んではいないが、俺の魔力の質は、田中太郎なんかより遥かに高い。奴の三千年なんて一ケ月程度で追い越せる」
「そんな速度で!?」
「俺の魔力を信じろ。君は極上の魔力を得ているんだ。自信を持て」
真羅はレイルシアが自信を持てるように、彼女の背中を押す。
彼の言っている事ははったりではなく、根拠に基づいた事実であり、元々一般人である太郎の魔力など、女神の加護があろうと、その質は高が知れている。
その点、真羅の魔力は、幼い頃から鍛え抜いて洗練されたモノであり、血統的に見ても千年以上続く魔術師の一族の出身である。
その質には決定的なまでに差があり、年月程度では埋められない違いがある。
「あの暗黒騎士は俺が倒す。だからレイルシアは暗黒の精霊を頼む」
真羅は笑みを消して真剣な表情でレイルシアに頼み込む。
「……分かった。あの時の借り、ここで返してくるよ!」
契約者に太鼓判を押されたレイルシアは、頬を叩き気合を入れる。
その様子を見た真羅はただ一言、「任せた」と告げると、地面を蹴って太郎に向かって飛んでいく。
「今度こそ負けない! 勝負だ! 暗黒の精霊、アスタロト!」
不安を捨てたレイルシアは迷うことなく、暗黒の精霊に向かって飛んでいった。
「お前の相手は俺だ……」
レイルシアと別れた真羅は、魔剣を構えた暗黒騎士と対峙する。
「レイルシアが一緒じゃなくていいのか?」
二対二を想定していた太郎は、契約精霊と別れた真羅を小馬鹿にするように言う。
その声音には絶対の自信があり、自分が負けるとは微塵も思っていない様子だ。
「はっ、俺は精霊がいなくても戦えるんだよ。お前と違ってな」
「強がるなよ。若造が。魔法を覚えて数か月の奴に、私が後れを取るわけないだろう」
太郎は真羅が召喚されてから術を覚えたと勘違いしているようで、真実を知っている者からすれば滑稽だが、魔法戦ならば絶対に勝てると考えているようだ。
「貴様が使った要塞を守った魔法。初心者に毛が生えた程度の奴が使ったのは驚きだが、あの規模の魔法はそう簡単に起こせるモノではない。恐らく、大規模な儀式を必要とするはず。つもり、私との戦闘で行使することは不可能というわけだ」
「……」
太郎の考察を黙って聞いているが、真羅は内心で感心していた。
(百点満点中、六十点ってところか。素人にしては解っているな)
真羅は儀式を行わずに呪文詠唱のみで行使できるが、本来あの規模の魔術を行使するには大規模な儀式が必要になる。
正直に言うと、戦闘中でも頑張れば行使はできるのだが、それは真羅が規格外なだけである。太郎の考察は通常ならば正しい。
「ふんっ、どうやら図星のようだな」
黙り込んだ真羅の反応を肯定だと捉えた太郎は、更に饒舌に語り出す。
「そして、メガキャノンタートルを倒したあの魔法。あれは契約精霊であるレイルシアの力を借りて、火の精霊を呼び出して行使したと見た。レイルシアがいない以上、貴様一人では行使できない」
虹の境界の後、今度は“凰炎壊砲”の考察まで始める。
これも黙って聞いていた真羅だが、今度は顔が渋くなる。
(これはニ十点ってところだな)
今回の採点は辛辣だった。
リンネは火の精霊とも言えなくもないが、レイルシアの力は借りていない。一人で行使できないという点も、その気になれば【幻血覚醒】の魔術で、“凰炎壊砲”は放つことができる。
それは幻血を宿す真羅だからこそできる芸当であり、太郎の推測自体は悪くないが、この魔術師を通常の枠に収めて考えるのは大分無理がある。
「弱い者イジメは趣味じゃない。真の魔法――神話魔法で一気に片を付けてやろう!」
「神話魔法?」
かつて一度だけ耳にしたことのある魔法に、真羅の耳がピクリと動く。
しかし、その間にも太郎の魔力は高まっていき、呪文の詠唱を始める。
「――真の闇よ! 全てを呑みこめ! ――――暗黒濁流!」
顕現と共に、田中の掌から闇色の濁流が放たれる。
全てを呑みこむ濁流が襲いかかってくるが、真羅は冷静に魔法を行使する。
「――光よ! ――――セイクリッドフィールド!」
短い二節の呪文で、魔法が顕現する。
真羅に向かって襲い来る闇の濁流を、彼は光属性の上級魔法による光の領域で相殺した。
「ほう」
太郎が感心したように声を漏らす。
「まさか、たった二節の短い呪文で上級魔法を使うとは……しかも勇者以外に使えなかった希少な光属性を……貴様、天才だったか」
その言葉には僅かな嫉妬と羨望が混じっていた。
「魔人になった私には不可能な芸当だ。だが、その程度で私の攻撃を防ぎ切るのは不可能だ」
再び太郎の魔力が高まっていく。
「――真なる闇よ! 全てを侵し染め上げろ! ――――暗黒雷雨」
顕現と共に、今度は漆黒の雷雲が複数同時に顕現する。
「重複詠唱か」
一度の呪文詠唱で、同じ魔術を複数顕現させる技法。
一流の使い手でなければ行えない高度な技を、太郎は難なく披露する。
「知っていたか。新米のくせに中々詳しいな」
「そりゃ、当然。俺は魔術オタクって呼ばれてるからな」
闇の雷雲に囲まれるも、真羅は余裕を崩さず、呪文の詠唱を開始する。
「――沢山の光よ! ――――光矢×千!」
その場で考えたような適当な呪文に反し、神秘は力を持って顕現する。
真羅の周囲大量の光の矢が現れ、それらが一斉に放たれる。
「喰らえ。数の暴力だ」
解き放たれた千本の光の矢は、闇の雷雲を数の力で圧倒する。
本来ならば、階位の低い魔術は高位の魔術とぶつかると低位魔術崩壊現象が起きてしまうのだが、いつの間にか真羅の左手には、魔術の格を上げて強化できる【逢魔の杖】が握られていた。
この力によって格を底上げされたため、下級魔法は上級魔法に匹敵する太郎の魔法を撃ち破るに至ったのだ。
「ちっ、なんて数だ!」
雷雲を突き破り、自身にまで襲い掛かってきた光の矢を、太郎は構えていた魔剣で撃ち落とす。
そんな最中、真羅は水月を右手で抜刀すると、光の矢に紛れて太郎に襲い掛かった。
――ガキンッ!
魔剣と水月が衝突し、鈍い金属音が響くと、そのまま鍔迫り合いが発生する。
その際、太郎は水月の刀身が不可視であることに気付く。
「見えない剣だと? 武器を隠すとは何事かッ! 正々堂々と斬り合え!」
「何でだよ……そもそも隠してねーよ。馬鹿には見えないだけだ」
正々堂々など言う言葉は、魔術師の間ではあってないようなものだ。
それにこれは誇り高き騎士の決闘ではなく、単なる殺し合いだ。
武器を隠したとしても何も悪くないし、そもそも水月は隠しているわけでも、透明になっているわけでもない。
水月の止水形態は、刀身が鏡のように光を反射して周囲に溶けんでいるだけで、注意深く見れば見切ることはできる。
というか、水月は魔力の塊である魔具なので、真羅の魔眼には止水状態でもはっきりと見ることができる。
「それはそうと……見えたぞ。神話魔法の正体」
文句を言われて面倒くさくなったのか、真羅が話題を変えるように呟く。
「その神話魔法とやらは、精霊の技の模倣。神代に体系も階級もなかったろうからな。その魔法は、お前が精霊から教わった魔法だろ?」
「……」
確信を衝いた真羅の考察に、太郎は鍔迫り合いの状態のまま黙り込む。
「沈黙は肯定と取るぞ」
そう言うと、真羅は左手の【逢魔の杖】を太郎に向け、渾身の力を籠めて繰り出す。
「魔剣よ!」
杖が脇腹に直撃する瞬間、太郎の姿が突如として消える。
「ん」
空振りに終わったにも関わらず、真羅は特に驚くことなく、背後に振り向きざまに水月を振るう。
――ガキンッ!
再び鈍い金属音が響く。
真羅の背後には、いつの間にか太郎が移動しており、その魔剣で斬り掛かって来ていた。
「……」
真羅は無言で斬り結ぶが、しばらく打ち合っていると、再び目の前から太郎の姿が消える。
今度も真羅は焦ることはなく、すぐさま地面を蹴って宙に舞う。
その一拍遅れて太郎の魔剣が真羅のいた場所で空振る。
「短距離の転移……」
「ほう、よく分かったな」
真羅が着地しながら漏らした呟きに、太郎は素直に感心する。
この数回の打ち合いで、彼は魔剣の能力を見切っていたのだ。
「私の魔剣、アロンダイトは短距離ならば転移ができる」
「ランスロットの事、好きだねえ」
自慢げに魔剣を見せつける太郎に対して、真羅は呆れまじりの溜息を漏らす。
アロンダイトは伝説におけるランスロットの持つ剣の名だ。アーサー王の持つ聖剣エクスカリバーの兄弟剣とも言われる名剣だが、目の前の田中太郎の持つ剣は名剣と言うには禍々し過ぎる。
「だが、分かったところでなんだ。連続した死角からの攻撃に対処など不可能だ。それに貴様の付け焼刃の剣術など、百戦錬磨の私には通用しない」
「……」
それなりに打ち合ったにも関わらず、太郎は真羅が剣術の素人だと勘違いしているらしい。
敵に過小評価される分には一向に問題ないのだが、彼の自信はいったいどこから来るのやら。
真羅は再び呆れまじりの溜息を吐く。
(こいつ、本当に最強の魔将なんだろうか?)
真羅は内心疑問に思う。
実際、魔法も剣術も粗削りではあるものも、十分手練れというに相応しいもので、数々の実戦で磨いたことが分かるのだが、彼の心にある驕りと慢心は大分問題がある。
恐らく、闇の精霊の力で急激にパワーアップした影響だろうが、この驕りと慢心は、確実にいつの日か彼の足元をすくうだろう。
(尤も奴に未来は無いのだが……)
真羅は占いによって太郎の未来を見てしまっている。占いが絶対ではないといえ、彼は魔王と敵対した時点、いや、真羅と対峙した時点に終わりが確定してしまった可能性が高い。
つまるところ田中太郎という男は、力を手にしてしまっただけの平凡な人間なのだ。
周囲と馴染めず孤立し、コンプレックスを抱えていた弱者が、身に余るほど力を手にして、増長した結果、調子に乗ってしまっている。
彼は勇者に選ばれなかった人間。巻き込まれて召喚されただけの凡人。力を持つに相応しい器ではないのだ。
魔王を倒すという目的も、次の魔王になるという目標も、所詮、彼の自己満足でしかない。
(これ以上は見るに堪えないな)
田中太郎という男の本質を見抜いた真羅は、彼への興味を完全に失う。
「遊びは終わりだ」
真羅は水月を消すと、魔眼に光を灯す。
「む? 瞳が瑠璃色に変わった?」
瞳の変化に気付いた太郎は疑問を口にするが、真羅が答えることはない。
「はっ、魔眼か! だがいかなる魔眼であろうと、私の魔法と魔剣には――」
「――もう黙れ」
真羅の力ある言霊に、太郎の口が強制的に塞がれる。
「――っ!?」
「聞こえねーよ」
声が出せなくなり困惑する太郎に対して、真羅は冷たい言葉を吐き捨てる。
「――ベルリ」
声を出せない太郎を尻目に、真羅の口から親愛の籠もった名前が告げられる。
「やれ」
真羅の短い指示と共に、彼の身体から光の波動が放たれる。
光の波動に触れた田中は声が出せぬまま、力なく崩れて落ちて膝を着く。
「――ッ!?」
声が出せず、力まで抜けていく状況に、太郎は慌てふためく。
「力が入らないか? それがお前本来の力だよ」
真羅の言葉に対して、太郎は言葉は発せられないが、瞳で「どういうことだ?」と訴えかける。
「【初心帰り】。お前の女神の加護を消した。裏切り者のお前には相応しくないだろ」
声を出せずにもがいている太郎を見て、その様を見苦しく感じた真羅はパチンッと指を鳴らす。
「――はっ!? 声が戻った!? 貴様何をした!?」
声が戻った途端に騒ぎ立てる太郎に対し、真羅は冷ややかな視線を向けつつも仕方なく答える。
「分かりやすく言うとだな……お前はゲームで言うレベル1の状態だ。変質――種族までは戻せないが、今のお前は召喚される前と大して変わらない」
【初心帰り】
加護や強化と消し去り、初期状態に戻してしまう魔霊。
変質までは治せないが、相手をリセットしてしまう力を持ち、彼の波動に触れた者はすべからず、初期の状態に戻ってしまう。
この魔霊の影響で、太郎は加護によって得た力――魔力に限らず、身体能力や言語理解の力までも失った召喚される前の状態に戻ってしまっている。
「クソッ! 変な魔法をかけやがって! デバフなんて姑息な手を使うんじゃねえ!」
「はっ、それが本来の姿。いや、変質分は強くなってんだ。本当の最初期よりはマシだろ?」
「ふざけんな!」
女神の加護による力を失った太郎は、怒り任せに立ち上がり魔剣を構える。
「たとえ、加護がなくなっても、俺には魔剣がある! こいつの力なら――」
「――テレク」
再び告げられる親愛の籠った名前。
真羅がその名を告げた瞬間、彼の身体から黄色のスライムのような物体が飛び出し、太郎の魔剣の呑み込んで溶かしてしまう。
「なっ!?」
いとも簡単に愛刀が溶かされてしまい、太郎は思わず絶句してしまう。
【装備品破壊】
元は相手の装備品を壊すだけの魔術だったが、魔霊になった結果、非生物全てを溶かすスライムのような姿になった。例え、オリハルコン製の魔導品でも、彼女にかかれば問答無用で溶かしてしまう。
「これで武器もなくなったな」
真羅の言葉にハッと我に返った太郎は、怒りに震えながら魔力を高める。
「加護を失おうとも! 武器を失おうとも! おれには培ってきた技術がある!」
魔人族になった影響で、人間だった頃よりも魔力量は多い。
太郎はそのなけなしの魔力を拳に集める。
「おれの魔拳は一流だ! キサマごとき! この拳で粉砕してやる!」
「ほう、まだ吠えるか」
これだけ力を失っても闘志は失われていない。
この点に関しては、真羅も素直に感心する。
「良いだろう。お互い素手で殺ろう」
「ほざけーッ! このド三流がッ! おれの一流の魔拳をくらえッ!」
殴り掛かってくる太郎に対して、真羅は静かに拳を手刀の形で構える。
「――暗黒爆裂滅砕拳ッ!!」
「――極みの一刀」
太郎の拳と、真羅の手刀が激突する。
「ぐああああああっ!?」
太郎の絶叫が響き渡る。
衝突の結果、拮抗することも無く、真羅の手刀が太郎の拳をいとも容易く切り裂いた。
「生憎と、俺のは超一流でね」
勝ったのは、真羅の超一流の技だった。
「あああああああっ!?」
切り裂かれた右拳を左手で押さえながら、太郎はのた打ち回る。
そして、一頻り転がり回ると、少しは冷静になったのか、拳を押さえながら立ち上がる。
「まだだ! まだアスタロトがいる! 二人がかりならキサマなんて簡単に倒せる!」
「……まだ言うか」
もはや、戦う術を失った太郎は、口だけは元気であった。
しかし、彼が言う通り、闇の精霊であるアスタロトは厄介だ。
真羅は気になって精霊たちの方を見る。
「レイルシアが押されているな……こっちは決着をつけるか」
レイルシアが劣勢になっていることを確認すると、真羅はこちらの戦いを終わらせるべく、右手に【霊刀水月・真打】、左手に【逢魔の杖】を呼び出すと、両手の二人を交差させる。
「さて、これで終わりにしよう――トワ」
そして、真羅はこの戦いにおける最後の魔霊を呼び出すのだった。




