真羅の世界
まずレイルシアの目に映ったのは、虹色に輝く太陽だった。
その眩しさに思わず目を瞑ってしまうが、その輝きは目蓋程度では防ぐことはできなかった。
「ああ、悪い。その太陽を直視するのは危険だ」
そう真羅の声が聞こえたかと思うと、突如として視界が切り替わる。
レイルシアの目の前には、幻想的な雲海が広がっていた。
「空の上?」
海底の遺跡にいたはずのレイルシアだが、いつの間にか雲海の広がる空の上に一人で浮かんでいた。
「ここは?」
突然のことに困惑するレイルシアだが、その疑問に答えが返ってくることはなかった。
そして、状況を理解できないまま、彼女は自らの意志とは関係なく、身体が勝手に雲海の中に落ちていく。
「わー! 落ちる!」
身体は何か不思議な力によって自由が利かず、レイルシアは為すがままに落下していった。
雲を突き抜けると、彼女の目の映ったのは、青々とした草木に生い茂っている広大な森。
「これは……」
森の上を飛んでいたかと思うと、瞬きの間に目の前の光景が次々に切り替わっていく。
灼熱のマグマが噴き出す火山。
活気に溢れた昼の都。
厳かで静かな夜に包まれた街。
生命の息吹が失われた凍土。
そう、そこに広がっていたのは紛れもない一つの“世界”だった。
「これが俺の正体だ」
頭の中に真羅の声が響く。
「シンラ? どこにいるの?」
真羅の気配はすぐ近くに感じるが、どこにも彼の姿が見えない。
しかし、不安は感じない。
この場所は、まるで温かな日差しに包まれているように心地良く、レイルシアは懐いていた警戒心が薄れていくのを感じていた。
「ここは俺の世界。この世界自体が俺だよ」
世界への変質。
この世界こそが真羅であり、彼の身体はこの世界へと変貌していたのだ。
「分かったよ。世界に変質するってこと……」
レイルシアは直接その目で、この世界を見ることで、真羅の変質を理解した。
「キミは言葉通り、この“世界”になったんだね……」
身体が世界に変化する。これがとんでもないことであることは分かっているが、不思議と驚きはなかった。
この世界の在り方は自然であり、全くの違和感を覚えない。
まるでこれが本来あるべき姿であるとさえ思えてくる。
「そう、俺はこの精霊達の住まう世界そのものになったんだ」
その言葉に悲観はなく、真羅からは誇らしさすら感じた。
彼は歓喜に満ち溢れていた。
自身が世界になったことを。
自らの子である精霊たちを育んでいることを。
己が神秘の結晶になったことを。
この世界は彼の真理の探究の結果であり、魔術師としての成長の証とも言えた。
「より詳しく説明すると、この世界は七つの領域で構成されている。太陽の輝く“天空”。その下に広がる“雲海”。主に獣型の魔霊が住む“森林”。研究所とかがある“火山”。一番賑わってる“昼都”。暗い所が好きな子が集まる“夜街”。そして、現在は凍結中の“地底”」
パチンッと指を鳴らす音が響いたかと思うと、次の瞬間、レイルシアは再び雲の上に浮かんでいた。
「天空は前に紹介した“五色の御遣い”が管理しているが、その他の六つの領域を管理しているのは“六血”と呼ばれる魔霊。【幻血覚醒】の魔術を精霊化させた子達だ」
「六血……ライドが言っていた精霊だよね。魔霊たちの王様みたいな存在だって」
レイルシアは以前にドルフィーの町でライドに聞いた“六血”についてを思い返す。
ライドはあまり快く思ってはいない者たちだが、仲間である以上関係は持つべきだろう。
「ああ、その認識で問題ないよ。これも聞いているかもしれないが、結構個性的なのが多くてな……あんまり関わらない方が良い……でも、いずれ機会を見て紹介だけはするよ。まあ、一人は無理だと思うが……」
「ライドも言っていたけど、その一人は関わることはないって、どういうことなの?」
「うーん……その子なんだけどな。元々、“地底”を管理していたんだが、今は訳あって封じられているんだ。だから関わる事もないだろうし、解放する予定もない。まあ、俺は別に自由にしてやっても良いと思ってるけど、六血や八戒の子たちが決めたことだし、干渉するつもりはないよ」
「――はっかい?」
“八戒”という聞き慣れない単語に、レイルシアは首を傾げる。
「あー、それは聞いてないのか……八戒っていうのはな、六血とは異なる特殊な役割を持つ魔霊で、元々は六血が暴走しないように戒める目的で生み出したんだが、子供たちが増えた今じゃ、魔霊全体を監視する存在になってるな」
「監視? えーと、人で言う……警察、っていう者みたいなの?」
「簡単に言うとそうだな。魔霊たちの掟――法を守る番人みたいなものだ。まあ、役割はあっても魔霊たちに上下の関係はない。自分たちの意志でリーダーや部下をやっている子もいるが、そういうのは珍しいな」
「あれ? 六血が王様なんじゃないの?」
魔霊同士に主従関係はない。
それでは魔霊たちを管理している王である六血の存在が矛盾してしまう。
「六血ってのは最初に生まれたからまとめ役になってるだけで、別に後から生まれた子が部下って訳ではないんだ。王様と言っても何か特別な権限を持ってる訳じゃないし、あくまでも魔霊の主は俺なんだ。彼らは平等であり、全員対等ではあるんだよ」
そう、あくまでも魔霊たちのとっての主は真羅ただ一人だけなのだ。
六血だからといってそれに従う義務はなく、皆自由に生きている。
「話を戻すが、八戒もまた、六血と同じで幻血を基にした魔術から生まれているんだ。だからその分一般の魔霊よりも力が強い」
「ん? シンラが使えるのは六種類だけっていってなかった?」
真羅の説明を聞いていたレイルシアは、ふと幻血について疑問に思ったことを尋ねる。
先の説明では、真羅が幻血の濃い六種にしか【幻血覚醒】では変身できないと自ら言っていた。
六血が【幻血覚醒】ならば、八戒も幻血を基にしているとはどういうことなのか。
真羅はしばらく黙り込むと、考えがまとまったのか徐に存在しない口を開く。
「……あくまで【幻血覚醒】の魔術で変身する事が出来るのは、血が濃いモノに限るってだけで、それ以外にも結構な数の幻血が流れているんだ。薄い幻血も変身は出来なくとも、魔術に取り入れる事は出来る。どのくらい種類があるかは、正直研究中で、自分でも正確には分かっていないけどね……」
「……そうなんだ……よく人間でいられるね」
「まあ、濃い薄いと言っても、結局は幻の血だからな。魔術で掘り返さないと影響なんて全く出てこないよ。その代わりに魔術に取り入れると、その格を数段高めることが出来る。だから、幻血を取り入れた魔術から生まれた八戒は強力なんだ」
「ふーん。そうなんだ。ところで、その子たちは紹介してくれるの?」
「あー、うん、それな……」
どういう原理なのかは分からないが、何故か言いにくそうに口籠った声がレイルシアの頭に響く。
「半分ぐらいはまともだから……まあ、機会があればね……紹介するね……」
「なんでそんなイヤそうなの?」
「嫌っていうより、あの子らも性格に問題が……」
「あー、その子たちもなんだ……」
レイルシアは何となく事情を察する。
話に聞く限り魔霊は問題児が多いようで、この真羅を見ればいかに教育が行き届いていないかは簡単に想像がつく。
「その六血や八戒は分かったけど、他にはどんな精霊がいるの?」
「うーん、そうだな。他にも有力な子だと、外部からの攻撃に対処する“七守”や、俺が愛用している魔具の“十装”なんかがいるな」
「その子たちは紹介できそうなの?」
「あー、七守は忙しそうだからあれだが、十装は見せた事はあるぞ」
「えっ? そんなことあったっけ?」
会ったことがあると言われ、レイルシアは記憶を遡るが思い当たらない。
「十装は魔具の魔術精霊だからな。基本は装備品の姿をしているから思い出せないのも無理はない。ほら、ゴーレムと戦った時に使った子らも十装で、マフラーが“ネビラ”で、手袋が“ショウ”って名前だ。あー、それと、リヒトと戦った時に使った魔具があったろ? あの子らも十装で、杖が“ケイン”で、靴が“ダイ”、最後にちょっとだけ使った刀が“ミヅキ”だ。ああ、ケインは今の戦いでも使っていたがな」
「えっ? あの時の魔具も魔霊だったの?」
「そうだよ。言ってなかったけ?」
「言ってないよ! 機会あれば紹介してくれるって言ってたのに!」
レイルシアの抗議に対し、真羅は「ごめん、忘れてた」と笑いながら謝罪する。
「まあ、あの子らは基本魔具だし、そんな紹介するような事もないんだよな。十装以外にも魔具の魔術精霊は意志を持った武器や防具だから、そこまで関わることもないと思うよ」
「それでも仲間なんだから、紹介ぐらいはしてほしいんだよー」
「ごめんて。今度から気を付けるよ」
こうは言っているが、真羅が本当に気を付けるつもりがあるのかは不明だ。
レイルシアは形のない真羅をジト目で見詰めるが、気にするだけ無駄だと悟って天を仰ぐ。
「あっ! 太陽は見ちゃダメ!」
太陽がレイルシアの視界に入る直前、突如として彼女の背後から手が現れて両目を塞ぐ。
「うわっ? 突然なに?」
突然のことに驚くレイルシアだが、すぐに自身の両眼を太陽から保護されたことに気付く。
「あの虹色の太陽は“神威”で出来てるんだ。直視するのはやめた方が良い」
「――しんい?」
またしても聞き慣れない単語に、目を塞がれたままレイルシアが首を傾げる。
「俺達――神威家の一族が持つ異能だ。魂を起源としていて、あらゆる性質を持たせる事の出来る力……いや、それはちょっと正しくないな。神威は俺の魂そのものと言っていい」
「力が魂そのもの? どういうこと?」
「言葉の通りだ。俺たち神威の者は通常の存在とは異なり、魂が神威で構成されているんだ」
「魂が通常とは違う……そんなこと在り得るの?」
レイルシアの疑問も最もであり、魂は生物に限らず、あらゆる存在の根幹であり、神や精霊であっても例外はない。
それが別のモノで構成されているなど、どの世界でもあってはならないことだ。
「俺もこれが何なのかよく分かってない。ただ、確かなのは俺の一族が精霊を造り出せるのは、この神威のおかげでもあるんだ。神威を魂とする事で精霊を生み出すことができる」
「シンイを魂に……あれ? それってキミの魂を精霊に分け与えているってことなの?」
「そだよ」
「それって、キミに影響がでないの?」
魂を切り分けるという異常行為に対し、レイルシアは当然の疑問を懐く。
魂を分けるとはつまり存在の根幹そのものを削っているということであり、どのような影響が出るか想像がつかない。
「まあ、さすがに魂を削ったら普通は影響が出るな。でも神威ってのは分けようが消費しようが影響は出ないし、総量は常に一定なんだよ。不思議な事にな」
「総量が常に一定って……実質、無限に使えるってことじゃんか……どうなってんのさ、キミの魂?」
あまりにも規格外の力にレイルシアは、驚きを通り越してもはや呆れてしまう。
「そう簡単なモノではないんだけどな。一応は魂だし、魔力とは違って操るのはかなり難しい。それに放出し過ぎると、俺は一時的に魂のない抜け殻状態になっちまう」
「その程度しかデメリットがないなら、キミは女神様よりも規格外な存在だよ……」
「おいおい。さすがに神性と比べるなよ。こいつは万能に近いが全能ではないんだよ。魔術と一緒でな……」
呆れながら放たれたレイルシアの言葉に、真羅は何処か悔しげな声を出す。
神威も魔術も使い方次第ではあるが万能に近い。
だが、決して全能ではないのだ。
魔術師というのは、真理に至るために万能を目指すが、それだけでは決して届かない。
それ故に真羅が目指しているのは全能だ。
しかし、今の真羅は全能とは言い難い。
魔術を極めんと努力はしているが、それでもありとあらゆる全ての真理には程遠い。
「キミにできないことなんてあるんだ」
「当たり前だ。高々十年や二十年ちょっとで全能になんかなれるかよ。だが、何時か……必ずなって見せるさ! そして、何時の日か、必ず真理に至ってやる!」
「――ッ!」
ふと何気なく見せた真羅の覚悟に、レイルシアは思わず胸を高揚させる。
自らの契約者は、常に高みを目指していた。
決して届かぬはずのその高みに、彼は本気で目指している。
その歩みの果てを見てみたい。
そんな感情が彼女の胸に込み上げてくる。
「少し分かったよ……魔術師っていうのが――いや、キミという存在が……」
「魔術師の考えなんて分からんくても良いよ。傍から見ればただの異常者だからな。それは俺も理解している」
「そんなことはないと思うよ。キミはただ夢に向かって突き進んでいるだけじゃないか……それが異常なことなんてないよ。ボクは応援するよ! キミの夢を!」
「……そっか」
その考えは想定していなかったのか、レイルシアは普段の不敵な笑みではなく、どこか恥ずかしげな微笑みを浮かべた真羅の姿を幻視する。
自らの願望を“夢”と言って応援してもらうなど、真羅にとっては初めての経験だが、不思議と悪い気はしなかった。
「ありがとう。そう言ってもらうのは初めてだよ……」
「そうなの? ボクはキミの人らしい側面が見れて良かったよけど?」
「人らしいか? 俺?」
「夢を追うって行動が人である証拠だよ。闇の眷属や魔物に夢なんてものはないからね」
「――っぷ、はははっ!」
その言葉にハッとした真羅は、思わず声を漏らして笑う。
「どうしたの? 急に笑い出して?」
「はははっ! いや、な。嬉しくてな。ついね」
そう言ってレイルシアの目から手を離したと思うと、彼女の目の前に真羅の身体が構成される。
「うわっ? キミ……目の前にいたんだ」
「いやいや。さっきも言ったがこの世界そのものが俺だよ。この姿はただの思念体さ」
「思念体って、どうしてそんなものを出したの?」
「あはは、何でだろ? 面と向かって話したかったからかな?」
「なんで疑問形なのさ?」
思わず意味もなく思念体を形成した真羅は、それが可笑しかったのか更に「ハハハッ!」と笑い転げる。
「そんなに笑うこと?」
「笑うことさ! 俺はまだ人で在ったんだ! 自分でも理解してなかったがな!」
自らを人でなしの魔術師と定義していたのにも関わらず、人ではない精霊のレイルシアに自らを人で在ると言われたのだ。
真羅にとってこれほど可笑しいことはなかった。
「ふー」
一頻り笑い終えた真羅は一息つくと、天を指差す。
「話を戻すが、あの太陽は神威の塊であって、言ってしまえば、俺の魂そのものだ。眩しいだろ?」
「目を焼くほど輝いているって、やっぱり意味分からないね。キミの魂は……」
「そうなんだよな。俺も研究中でよく分かってないんだ」
真羅は頭を掻きながら「ほんと、どうなってんだろ?」と呟く。
この神威について、神威家の者が長い間研究してきたのだが、未だに明確な答えは出ていない。
もちろん、真羅も現在進行形で研究しているのだが、これが何なのかはよく分かっていない。
「まあ、仮説ならあるが、確かな答えはない。それはつまりだ。研究のし甲斐があるって事だろ? 楽しいじゃん」
「キミってやつは……本当に」
楽しげに笑う真羅を見て、レイルシアは再び呆れたような表情を見せる。
自分の魂が明らかに異常であるのにも関わらず、この魔術師はそれを喜んでいるのだ。
彼の本質を少しずつ理解してきたレイルシアでも、この探究心と好奇心には驚かされる。
「さて。俺の正体は解ったかな?」
「キミが規格外の人間であることがよく解ったよ」
「ふむ。レイルシアはこの世界を見たうえで、俺を人間だと言ってくれるんだな」
「身体は人とはかけ離れているかもしれないけど、キミの根っこは人だよ。間違いなくね」
笑顔で断言するレイルシアを見て、思わず真羅も笑みを溢してしまう。
「良かったよ。契約したのが君で……初めは誰でも良かったんだ。間違っても、常闇の奴なんかと契約しなくて良かった」
真羅はレイルシアには聞こえない声量で呟く。
契約前の彼にとって、この世界の精霊は貴重なサンプルでしかなかったため、正直にいうと、契約するのは闇の精霊でも良かったのだ。
しかし、レイルシアの言葉に自分の選択は間違っていなかったことを悟る。
「ん? 何か言った?」
「何でもないよ――さあ、そろそろ向こうに戻そう。意識のないサラをこれ以上ほっとくにする訳にはいかないしな……ほら、お帰りはこちらだ」
そう言うと、レイルシアが何が起こったのかを理解する前に、彼女の視界は再び光に包まれ、この世界から帰還する。
「本当にありがとう。俺の事を“人”と言ってくれて」
真羅から漏れた感謝の言葉は、誰の耳にも届くことなく世界に消えていった。




