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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
最終章:山田九十九の物語
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黄泉比良坂の『宮』の管理人、山田 穢見(えみ)ル

 ふたりだけの魑魅魍寮の共同食堂。

 ようやく嗚咽が治まってきたわたし、山田九十九と、黄泉比良坂の『宮』の管理人、山田 穢見えみル。ちくたくと時計の秒針の音が耳に響く。


 元いた世界で彼氏を寝取られ、『ひょん』に導かれて転移してきたわたしは、ここで様々な体験をした。稲荷いのの襲撃、四季神事件、そらなきの襲来からの出雲攻略。もうあの世界とは関係なく、この世界で、魑魅魍寮の管理人として穏やかに暮らしていけるものだと思っていた。……あんまり穏やかではなかったけどさ。


 そんなわたしのナカに刻まれた、あの世界の残滓が、このお腹の中の子どもだった。わたしが何かにつけて『おろろろろr』するのはびっくりゲロだと思っていたのだけど、どうやらきちんとした理由があったようだった。


 この世界の食事は味がちょっとズレているなと感じることもあった。生理がないことも、別世界に転移して気持ちの整理がついていないからだと思っていた。いやに眠いのは、ほとんどニートのような生活をしていたからだと思っていた。

 小気味がいいほど、ロジックが組まれている。


 「ねえ、九十九?」


 山田穢見ルが黒い表紙の古書『件』を手にする。くだん。にんべんに牛と書かれるその文字は、ある妖怪を想起させる。不穏な預言をして死んでしまう、半人半牛の妖怪、くだん。その古書には未来が描かれているという。


 穢見ルの細い指がぱらぱらと本を捲り、止まったのは、仮に全体を九十九とした場合、九十に相当するようなページだった。


 「稲荷いのが魑魅魍寮を襲ってきたときには、どう思った?」

 「なにを、急に……」

 「いいから」


 それはたしかゴールデンウィークの辺りだったと思う。この世界の案内人、座敷童の『ひょん』からきつく、『おうま君は滅びた種族、鬼なのだから、決して外に出してはいけませんよ』と言われていたのだが、ずっと家の中にいる彼を不憫に思い、フードを被せて、商店街まで散歩をしに行った。


 わたしたちとは別の物語に組み込まれていた事情によって、異様に嗅覚が研ぎ澄まされた肉体に宿る、鬼斬り『稲荷いの』に見つかってしまい、魑魅魍寮が襲撃される。


 わたしはそのとき『観測ラプラスの魔女』の能力の片鱗を使って戦ったのだが、まだ使いこなせず、倒れてしまう。あとから聞いた話では、その後、ヒトーさんと小谷間まどかが、そして彼らが斃れたあとには、山田はじめ君が倒したのだという。


 結果的に魔女の力の片鱗を使えたから一時的に時間稼ぎはできたものの、あのとき、わたしは本当に無力な存在だった。ふつうの人間だ。この世界でも、殺されれば死ぬということは、ひょん君が刺されたときに理解していた。にも関わらず、太刀を片手に乗り込んできた神性存在に立ちはだかった。


 「おうま君を守りたかった」

 「どうして?」

 「どうしてって――」

 「あなたはおうま君を守れるだけの力がなかったから。それに、魑魅魍寮の管理人という立場だって、あなたが望んだものではなく、ひょんなことから押し付けられたもの。ねえ、あなたが稲荷いのに立ち向かう合理的なロジックはある?」


 ない。きっと、ないのだろう。けれど、あのときわたしは迷いはしなかった。たった一ヶ月の共同生活でも。ここでわたしが見捨ててしまえば、彼は何もできない存在なのだとわかっていたから。


 それを母性の芽生えというならば、そうなのかもしれない。この子がさせたことかも知れなかった。


 穢見ルは、わたしが何も話していないのに、納得したようにうなずいた。

 「じゃあ、四季神事件のときは?」

 「尾裂さんはちゃんと話を聞くべきだと思った」

 「ははは、そうだよね」

 「それと夏姫さんの姿が眩しかった」


 かつて憂姫の暴走によって妻子を殺された尾裂課長。そして『奇想天街に人と交わった四季神がいるかもしれない』というニュアンスの桜姫の放送。それを聞いてしまった出雲中央政府の役人。

 それが産んだ誤解が引き起こした事件だった。


 結論として、ターゲットである罪深い神は、夏神であることを黙っていた夏姫さんであることがわかる。皮肉なことに、交わったヒトというのは尾裂課長自身であった。


 このときわたしは、『神憑』という人格に支配された四季裁ことはじめ君と戦った。このころには魔女の力はそれなりに使えるようになっていた。穢見ルと連携して夏姫さんを守るために戦い、虚を突かれて負けてしまった。


 ヒトと交わった八百万の神々は強大な力を有する。『信仰』と『恵み』のサイクルがひとつの個体で成立するからで、それは『忌み子』と呼ばれる。


 「その『忌み子』の母親が辿る道も、産み落とされた『忌み子』が辿る道も、夏姫はその眼で見てきた。憂姫という立派な見本があったからね」

 「なのに――、」


 彼女は産む決意をした。そして他の要因もあったかもしれないが、その子が生まれたのち、正しく平和に生きていけるような世界を創るために、出雲討伐に参加をした。


 「……いや。穢見ル、わたしに何を言わせたいの?」

 「別に」


 くつくつと笑う。


 「ねえ、穢見ル。この次はそらなきに関する話を聞きたいんでしょうけど、そもそもあなたは出雲に行かなくていいの? 千年前の因縁があるんでしょう?」


 空亡そらなき

 百鬼夜行絵巻のエンドマークにして、この箱庭世界に巧妙に隠された、いわばバグデータ。それをその身に宿したのは、千年前の惨劇を乗り越えて、『信仰』を一元集中させることに成功した『すめらぎ そら』という少年だった。その失敗作が『すめらぎ おうま』。おうま君は、『信仰』と『恵み』のバランスが崩壊して、『破壊』と『畏怖』のサイクルで強大になっていく『鬼』に堕ちてしまった。


 そらなきは出雲中央政府を立ち上げたとき、この箱庭世界の機関システムに人柱にされた少女がいた。それが穢見ルだという。演算システムのひとつに組み込まれ、この世界が崩壊するまで、あらゆる穢れを見つめ続ける、仮想の存在。


 「わたしは行かなくていいの。わたしなんてとっくにいないのだから。それで、九十九。まだこの事件は終わっていないけれど、どう思ったの?」


 共同食堂にいくつか展開されているウィンドウには、出雲中央政府における激戦の様子が見て取れた。あのよくある四聖獣的なやつらは倒されたようで、今度は四瑞しずいと戦っているようだ。


 『よくぞここまで辿り着いた。ふはは。四瑞がひとり、麒麟が貴様を災いに導いてやろう』


 麒麟。神聖な幻の動物と考えられており、1000年を生き、その鳴声は音階に一致し、歩いた跡は正確な円になり、曲がる時は直角に曲がるという。無駄に直角に曲がりながら挑発をするその生き物の頭上から、無数の曼珠沙華リコリスが降り注いだ。


 『傷つけなけりゃいいんでしょ?』


 そういったのは、小さな四季姫、ひさぎ曼珠沙華リコリス。複数のすがたかたちを取る紅葉くれはの一形態だった。


 一方そのころ、応龍は椿つばき桜姫ちぇりーぶろっさむのなんか、こう、すごい、春的な? よくわからない技のもとに倒されていた。


 あれほど賑やかだった魑魅魍寮の面々は、あちらでも全力で暴れているようだった。その分、こちらが寂しくなってしまう。


 『ダメです。お腹の中に子どもがいるのを忘れたんですか。万が一のことがあったらどうするんですか!』

 『あなたが外に出て行ったら、魑魅魍寮誰もいなくなっちゃうじゃない。わたしたちが戻ってくる場所を誰が守るのよ。出雲政府にバレた以上、ここは以前みたいに安全な場所じゃないんだからね』

 『つくものことは好き。大好き。だから、ぼくがここに帰ってくる理由になっていて。ここでのほほんと待っていてくれれば、それでいい』


 「そう、寂しかった。でも、どこか嬉しかった。みんなの帰る場所になれてるんだって、そう思えた」

 「うん、そうだね」


 穢見ルは頷く。


 「それじゃあ、話を本題に戻そう。これは山田九十九しゅじんこうの『観測』と『選択』の物語。そしてその先に待つ『裏切り』の物語だ」


 穢見ルは、『件』をパタリと閉じる。物語はきっと最終盤に差し掛かっているのだろう。九十九分の九十。わたしがはじめて彼女に逢ったときには、九十九分の六くらいだったのを思い出す。


 ――ん?

 それっておかしい。


 「この箱庭世界はもう千年も続いているんでしょう? 穢見ルが基幹システムに取り込まれてから、もうそれだけ経っているのに、どうしてこんなに『件』のページが進むの? まるでわたしが転移するのを待って始まったような……」

 「そう、わたしは九十九が来るのを待っていたのよ」

 「それもおかしい。だって、わたしはまだ22歳だよ。わたしのことなんて知っているはずがないじゃない」

 「ああ。その話をするには、まずガルガンチュアの基幹システムの話をしないといけないね。秩序ある世界を守るために生け贄にされた山田穢見ルは、箱庭世界と一体化した。土のひとかけ、水の一滴、空気のひと粒にいたるまで、彼女はさながら、世界を見守る神とでも呼ぶべき存在になった」


 ――彼女は?


 「彼女にはひとつだけ思い残すことがあった。秩序のために、死ぬことは怖くなかった。あの大破滅に比べれば仕方のないことだったから。でも、ひとつだけ、彼との子どもが欲しかった」

 「すめらぎ、そら」

 「そう。あまりに子ども染みたわがままだ。思春期だったからしかたがないのかもしれないね。でも、結局は理性に天秤が傾き、彼女はその想いを抱きながら眠りについた」


 ディスプレイのひとつに荒廃した大地が映される。小さな影となっているのは、二体の甲虫。ガルガンチュア。その背に負われた都市を、わたしたちは世界だと認識している。


 「それ以来、このガルガンチュアはその想いに囚われているんだ。呪われていると言ってもいい。千年後、そこに別のガルガンチュアが交接し、情報交換をしているときに、基幹システムにひとつのウィルスが潜り込んだ」

 「ウィルス?」

 「そのままでは消え去ってしまうであろう小さな、しかし強い意志ウィル。穢見ルはそうして、わたしと一体化した侵食されてしまったんだ。ねえ、九十九。はじめまして」


 無邪気な顔で微笑む。


 「……どういう、こと?」

 「知ってるくせに」


 わたしの推測が正しいならば。

 大きくなった下腹部に手を当てる。黄泉比良坂の『宮』の管理人、山田穢見ル。黄泉比良坂、それは死への旅路。やがて死すべき、『子宮』の――。

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