このスポットライトからは、きっと、もう、逃げられない。
「ねー、あのさー、転送魔法で行ったっぽくない、あいつら」
「ぽぽぽ……」
「歩いて行くか」
「ぽー」
※
「穢見ル、やっぱりわたし行かないと……」
「逃げないで」
立ち上あがろうとして、山田 穢見ルの言葉に押し潰される。
「あなたの悪い癖。責任感ばかり強いくせに、何かを決めるとなると途端に迷って、目の前のことから逃げてしまう」
「あなたに何がわかるというの」
穢見ルは不敵に笑って、かたちのいい唇を動かした。
「わかるさ。わかるんだって。さぁ、あなたは『魑魅魍寮の面々が最終決戦に向かって、管理人たるわたしがだらだらしていていいのだろうか(いや、よくない)』という逃げ道を見つけた。それならわたしはこうして封じる」
穢見ルが指を鳴らすと、共同食堂に無数のウィンドウが立ち上がった。見たこともないような荘厳な風景は、出雲中央政府なのだろう。誰が撮っているのかわからないが(穢見ルのシステムの力だろうか)、巨大な4つの扉の前に、送り出した面々が立っていた。
『ようこそ、出雲中央政府へ』
そらなきの声が響き渡る。『ぬらりひょん』によって封印されたそらなきだったが、こうして干渉する力は発揮できるようだった。
『どうせボクに倒されるんだ、せめてもの余興さ』
4つの門に分かれて入っていく面々。わたしが注視している画面は、尾裂課長+稲荷いの(小谷間ともえ)+山田はじめのパーティだった。一面が朱色で塗りたくなられた立方体の空間。それが揺らぎ、ひとつの化物の像を結ぶ。
「我が名は西の守護聖獣『白虎』」
「師匠」
「のじゃのじゃ」
瞬きをしていたら『白虎』と名乗った四天王的なそれの頭部がねじ切れていた。いつのまにか白虎の背後に回っていた稲荷いのの手にはその虎の頭部が握られていて、「猫は嫌いじゃ」と握りつぶしていた。
「準備運動にもならん」
と、稲荷いのは首をこきこきと鳴らしていた。
他の画面ではたぶん水属性的なものを司る青龍的なドラゴンが、柊憂姫の手で凍らされていた。それなりに格の高い存在だろうに、「準備運動にもならないわ」と憂姫は絶対零度の瞳で呟いていた。
「ね。あなたが征く理由はないでしょう?」
「……まぁ、そうだけど」
こんな次元の違う戦闘、わたしが行ったところでまったく何の役にも立たないのは目に見えていた。それだけ魑魅魍寮に蓄えられた戦力が規格外ということなのだろうけど。
他の画面では、朱雀的な鳥が夏姫さんの放った火柱で燃え上がっていたし、玄武的な亀は『鎧殻装着』しているヒトーさんと力比べをして負けていた。
そらなきとしては、それぞれのパーティの戦力の対をあてがったつもりなんだろうけれど、さすがにこれは計算外なんじゃないだろうか。わたしがもといた世界で読んでいた少年漫画だったら、この四天王編で五巻は使ったことだろうに。
「それで、穢見ルは何が目的なの」
「山田九十九、あなたのことを知りたいの」
「わたしの? でも、普通の人生だったし、この世界に転移してからのことと比べると、ほんとに何にもなかった。平凡で、取り柄のない人生だったから」
「『件』には書かれていないからね」
わたしは気がつけば口を開いていた。魑魅魍魎が跋扈するこの世界に転移してからというもの、目の前に起こる事象に対応することに精一杯で、こうしてあの世界を振り返ることなんてなかったから、話したかったのかもしれない。
幼稚園でちゃぼにみみずをあげまくったこと。小学校の卒業式でどうしても言い出せずにお漏らししてしまったこと。中学校の痛いポエムノート。高校はほとんど本を読んで過ごしていた。大学受験、大学のサークル、そして。
頭が痛い。
胸が締め付けられる。
吐き気がこみ上げてくる。
穢見ルは『うんうん』と聞いてくれるが、いまのわたしを構成していることのほとんどはこの数年で培われたものだ。わたしの記憶のほとんどは、彼がいる景色で埋め尽くされている。
『わりぃ、職場の子と飲み会終わりにもにょもにょしてさ……、デキちゃったみたいなんだよねえ』
あのメールを忘れたことは一度だってなかった。
何度も反芻しては、それ以外の意味を探していた。しかしどう読んでも、その文面はその文面であって、裏切られたという事実は変わりはしなかった。
信じていた。
大学での生活で初めて知った恋だった。人に優しくされるということを知った。人に優しくするという意味を知った。ああ、わたしはいずれ母になり、この人と家庭を築くのだと、ずっと信じて疑わなかった。
だから。
でも。
「九十九」
穢見ルの柔らかい声が聴こえる。口火を切るともう後には引けなくて、わたしは誰にも相談できなかったことを、マシンガンのようにしゃべり続けていた。
「落ち着いて。時間はまだたくさんあるよ。お茶でも飲んで、ゆっくり、ね」
「……うん」
お腹の中にこどもがいればいいと思っていた。
そうすればそれは否定しようのない『絆』となり、その子を利用して、わたしはもう一度あの暖かな世界に戻ることが出来る。なんなら、寝とっていった女を殺したっていい。多少腹を殴れば流産するだろう。と、あの夜、公園で1%チューハイを飲んでいたわたしは、そう思っていた。
わたしの居場所。
この魑魅魍魎が跋扈する世界に転移してきたのはやけくそだった。ハナからこんな意味不明なところを居場所にする気もなかった。たぶん向こうの世界では自殺か行方不明として扱われるだろうから、せいぜい慌ててろと思っていた。
きっと生まれ来る生命を利用しようとした罰なんだろうけど、わたしのお腹には3月の末、大学の卒業式の夜に繋がった証が実っていた。
運命に嘲笑われていると思った。
ようやく魑魅魍魎の跋扈する世界に馴染んできたわたしは、そこでようやく決断しなければならないことに気がついた。この子をもってして彼に迫る――という当初のプランも、わたしにはとても怖くてできなかった。
そこで否定をされたら、ほんとうにもう死ぬしかない。
あの世界には帰りたくない。だって、いまのわたしには魑魅魍寮という居場所があるのだから。あの世界はもう棄てた。じゃあ、この子は? 殺してしまうの? そうだ、繋がりはすべて消して、ここで新しい人生を始めるんだ。でも。だけど。ちょっと待って。
「わたしは、逃げたの」
「そうだね」
「ほんとうにずるい」
「そうだね、九十九」
2人だけの共同食堂。4月からずっと裡に溜め込んでいた涙が溢れだして、誰もいない魑魅魍寮に嗚咽が響いた。
ここが、舞台。わたしが、主人公。わたしの、物語。
わかっていた。わかっていたけど、ああ、穢見ルの言ったことはなんて残酷なんだろう。このスポットライトからは、きっと、もう、逃げられない。
桜姫「果たしてわたしの戦闘シーンはあるのか!」




