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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
第五章:四季神の物語
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尾裂、ごめんなさい。でも、幸せだったよ

 「……夏姫。どうして」


 腕が伸ばされる。


 「どうしてそこで祈っているんだ、夏姫。それじゃあ、まるで夏神みたいじゃないか」

 「尾裂、これは、これはね……!」

 「ヒトと交わった罪深い四季神は冬神じゃなかったのか。これじゃあ、私が……」


 その瞳に大粒の涙をたたえた、夏姫を見つめる。あの大雪害ですべてを喪って自暴自棄になっていた私を支えてくれた女性。この復讐さえ果たせられれば、ともに生きていこうと誓うつもりだった女性。そして『ヒトと交わった罪深い四季神』、そのもの。


 「私が……」

 「そう、貴方が命じたのですよ」


 崩れ落ちた私の隣を、百鬼夜高の少年が無機質な口調とともに歩いて行った。手には大鎌。ヒトに八百万を倒すだけの運動能力を与える『神憑』と魔法(法則改変)に対する絶対性を持つ『神つ樹』の能力を携えて。


 『それで、尾裂課長は、『ヒトと交わった四季神』を殺せと四季裁たるボクに命じるの?』

 『慎重に答えてよ。それを聞いたら、ボクは義務を果たさなくちゃいけなくなる』


 あのとき、天網恢恢相談支援事業所で、私はたしかに山田はじめに命じた。


 「『ヒトと交わった罪深い四季神を殺せ』と。だから私は従うのです。夏の神。私の宿主はあなたを説得することで場を収めようとしたようですが、結局はこういう結論に落ち着くのです。出雲中央政府に逆らうことなど、誰にもできないのですから」


 山田はじめはここまでの戦闘でどこか負傷でもしているのか、脚を引きずるような歩き方をしていた。が、それは『神憑』によって操られるマリオネットのようなもの、庇っているわけでもない、かといって痛みをこらえているわけでもない、奇妙な動きだった。


 「契約は履行させていただきますよ、尾裂課長」


 ※


 「はァ? どういうことなんだよ」


 紅葉くれはの形態を取っているひさぎが素っ頓狂な声を上げる中で、えのき夏姫なつきはこちらに向かってくる死神の姿を見つめていた。


 ――いつか、こんな日が来るとは思っていた。

 「だけど、もう少しだけ味あわせて欲しかったなぁ」


 口の中でそう呟いて、指に嵌めた指輪をなぞる。罪深い、あの死神はわたしをそう表現する。ああ、そうだ。わたしは罪深い。あの人の弱みに付け込んで世話を焼きたがって、亡くしたとはいえあの人の家族を裏切るような行為までさせて、そのくせ、自分の大事なことは黙っていた。


 憂姫のお母さんのことも知りながら、こうすればどんな運命が待っているのかを十分に理解した上で、わたしはこのはちみつのように甘い沼から這い上がる努力をしなかった。


 あの人に嫌われるのが怖かったから。

 あの人をうしなうのが怖かったから。


 どんな経緯でそれが明らかになってしまったのかはわからないが、いま大事なのはこの状況だった。死神はわたしを認識し、尾裂にもバレてしまった。


 ――いつか、こんな日が来るとは思っていた。

 だから、受け入れよう。もう十分に贅沢させてもらった。


 「はじめ君、だったんだ。いまの四季裁って。じゃあ、事務所でキスしてるところを見られたの不味かったな」


 憂姫のお母さんの件で、あの死神のことは知っている。あれははじめ君の人格ではなく、『神憑』によって形成された、八百万を屠るためだけの擬似人格だ。


 そしてあの大鎌は、信仰によってかたちづくられているわたしたちの身体に触れれば、たちまちに消滅させてしまうシロモノだ。歩く法則改変体であるわたしたちを消滅させるのはもちろん、こちらが放つ対抗策も法則改変に基づいたものであるからして、無敵の盾ともなる。


 「楸、おーい、ひさぎ。心配しなくていいから。ひとつだけ頼まれてくれる? アラミタマートとかうちがバイトしてたところに後で電話かけて欲しいんだ。スマホのLINNEに登録されてるからよろしく。パスワードは『72KEY』ね」

 「お、おい。それって――」

 「あと寂しがりのあの娘がひとり残されることになるから、たまにはあそこに遊びに行ってあげてよ。それからヒトーさんとまどかちゃんに、このあとの相談支援事業所をよろしくって」

 「おい。夏姫」

 「そうだそうだ。それから、まどかちゃんに伝えて。あなたならきっと幸せになれるよって。ごめんね、楸、いろいろ頼んじゃって。未練がいっぱいだ」


 それから。ああ、ダメだ。次から次へとやらなきゃいけないことが思い浮かんでしまう。楸は頭が悪いから、あんまりたくさんは憶えられないというのに。


 「覚悟は決まりましたね。処断します。ヒトと交わった神の行く末を、知らないとは言わせません」


 わたしは大鎌を振りかぶったはじめ君を見つめ、その向こうで呆然としている男を見つめる。まったく世話が焼けるなあ。それでわたしまでいなくなったから、またあのときみたいに浮浪者みたいになっちゃうよ。色々言いたいことはあるけどさ、あんまり長くも話せないみたいだから。


 「尾裂、ごめんなさい。でも、幸せだったよ」


 涙が一筋頬を流れて、床に落ちた。


 「おい、ちょっと待てよ、夏姫。こんな四季裁ひとりどうにかできるんだよ。だから諦めるな。あのときと違って、俺達はもうおとな――」

 「楸、いいの。罰は受けなきゃ」

 「だからって!」


 楸がわたしのために必死に頑張ってくれていたのはわかる。っていうか、やりすぎ。おそらく枯葉かれはの能力まで使って、神性な大木をいくつか倒してしまっている。でも、だから、ありがとう。


 わたしは夏の気象維持に傾けていた能力を、楸の足元に集中させた。彼女の曼珠沙華リコリスのちからと同じような原理で、足元に急速に向日葵の花が発生し、彼女のジーンズの脚を絡めとる。


 「ちょ、ちょっと待てよ。俺、消耗してるんだから!」


 それは好都合。楸の紅葉の状態ならば、近接攻撃に限られるから、これで邪魔をすることはできないだろう。枯葉とちがって、彼女は『活かす』能力だから、向日葵を枯れさせることもできない。


 「化物を殺すのはいつだってヒトの役割です」


 死神の宣告にわたしは頭をたれないといけないのかなと思いつつも、やっぱり顔は上げておくことにした。涙で溢れてはっきりとは見えないが、わたしが愛したこの森を、この街を、この人々を、そしてあの人を、最期の一瞬までも見つめていたかったから。


 ――そして、大鎌が振り下ろされる。


 ※


 「尾裂流結界術『白面金毛』!」


 大鎌はあらゆる法則改変をキャンセルアウトする能力を持っている。だから、九匹の狐で編まれる防護結界を、山田はじめの右肩を巻き込むかたちで発動させていた。夏姫のぴょこんと跳ねた前髪に刃先が触れて砂のように舞い散っていったが、彼女の生命には支障はない。


 「尾裂……?」

 「もうこれ以上、大切な者を失いたくはない」


 立ち上がる。

 いまこの場で『神憑』に対抗できるのは私しかいない。身体が信仰という名の法則改変で構築されている楸でも夏姫でも対抗はできない。ヒトでありながら、八百万の術を使う私でしか。


 「邪魔をしないでください」

 「契約は破棄だ、四季裁。私の命令が間違っていた」


 狐神の攻撃すら防ぐ結界で絡め取られたはじめの腕だったが、『神憑』はそれを無理に動かそうとしている。明らかに素体の負荷を考えない行動に、この方法で押しとどめられるのも時間の問題かと、夏姫のもとへと走った。


 「逃げろ、夏姫。ここは私が」

 「尾裂、でも罰は受けなきゃ……」

 「夏姫の気持ちなど聞いてはいない。私がそうして欲しいから頼んでいるんだ。話はあとで聞く。このままだったら、その話すらできないだろう?」

 「……わかった。気をつけて」


 夏姫が社の裏の森に逃げると同時に、楸をとどめていた向日葵が消失する。それで彼女も逃げればいいものの、社の中に入って戦う気まんまんに腕を回していた。


 「尾裂、お前と共闘することになるとはな」

 「どうすればいい。このまま腕をねじ切って、『神尽き』を落とせばいいのか」

 「お前、意外と残酷なことを思いつくんだな。それでもいいけど、一時しのぎだな。出雲中央政府で一回試したことがあるんだけど、すぐに本体が腕を拾ってくっつけた」

 「ならどうする。さすがに首を跳ねれば止まるだろうが……」

 「そうだな――、っと」


 私たちふたりのあいだに大鎌が振り下ろされ、四季社のボロボロの床にめり込んだ。無理に攻撃しようとしたのだろう、山田はじめの右腕は複雑にねじれた上に、内出血を起こしていたが、『神憑』は無表情のままだ。


 ここにくるまで稲荷とうか師匠、楸紅葉と大物とばかり戦っている。私はヒトであるから、法則改変への訴求力がもともと小さい。あまり無駄遣いもできないから、とりあえず、結界を編んでいた管狐は竹筒に戻した。その際に、二匹が鎌の犠牲となり、砂となって散っていった。


 「ちっ……」

 「おい、いまのうちに!」

 「尾裂流結界術『殺生石』!」


 楸が隙をついて、山田はじめを背後から羽交い締めにするが、骨格や筋肉の負荷を無視した動きに苦戦し、鳩尾に鎌の柄の一撃を受ける。


 「ぐ、かは……っ」


 飛ばした三匹の狐も返す鎌で断ち切られて、帰らぬ生命となった。一匹は夏姫の護衛で飛ばしているので、残りは四匹。編める術式も限られてしまう。


 楸の動きは明らかに悪くなってきている。それはきっとあの形態変化まで使って大掛かりな法則改変の消耗と、この盛夏のダメージだろう。一撃を受ければ、この狐と同様の運命を辿ってしまう彼女のことを考えると、あまり長引かせるわけにもいかない。


 『可愛いね、尾裂の管狐』


 不意に脳裏に里を抜ける前の、飯綱ひまわりの声が反響した。里を出るときに連れてきた管狐は十匹。失われたものは帰らない。私と里、ひいては亡き妻を繋いでいたものの、その大半はこの数秒で失われてしまった。


 『結界ってね、世界と世界を結ぶんだ。線で面を作って、その面で世界を切り取って、繋げるの。あの狐狗里もそうしてできていたんだって』


 度重なる巫女としての負担で精神を病んでいった彼女の、まだ元気な頃。


 『でも、こうして尾裂と一緒に抜けだしちゃった。尾裂があっちの世界と、こっちの世界を結んでくれたんだよ』


 「尾裂、ぼさっとするな!」


 咄嗟に目の前に迫った大鎌を躱す。が、社のボロボロの床が傷んでいたのが足場が崩れてしまって、私は転がりながら、対抗策を考えていた。


 山田はじめを殺すことなく、『神憑』を無力化する。が、『神つ樹』は法則改変の影響は受けず、法則改変を無力化する。腕をちぎっても解決にはならない。


 「いい加減にしてくれませんかね、尾裂課長。あなたが私に命じたのですから。罪深き四季神を殺せと」

 「……。ああ、そうだ。だから私が決着をつけなければならない」


 が、もう逃げられないところまで追い詰められていた。四季社という狭いところに逃げ込んだのがまずかったのか、大振りな鎌ならば多少扱いに困るだろうと思っていたのだが、『神憑』はそれすらも考慮せずに、山田はじめの肉体の負荷も考えずに、振り回していく。


 あちらからすれば、一撃さえ与えればそれでいいのだ。私の身体は信仰で構成されてはいないが、あれほどの大鎌ならば致命傷を負ってしまう。


 「出雲中央政府に歯向かうものは排除しなければなりませんね」

 「……まるで自分が言っていたことが跳ね返ってきてるようだ」

 「そうです。皮肉なものですね。では、然らばです」


 大鎌が横薙ぎに振りぬかれる。避けようにも、反対側の脚を全力で踏まれていた。狐で防御しようにも、無意味。


 ――すまない。


 走馬灯のひまわりやほたる、夏姫の顔が浮かび、稲荷師匠をはじめとして里の面々までもが脳裏に浮かぶ。自業自得。まさにそうだろう。私の行おうとした復讐劇が、鏡のように私に向かってきているのだ。


 鏡?

 『……まるで自分が言っていたことが跳ね返ってきてるようだ』

 『結界ってね、世界と世界を結ぶんだ。線で面を作って、その面で世界を切り取って、繋げるの』


 いま脳裏にひらめいた術が有効かどうかわからないが、迷っている暇はない――。


 「尾裂流結界術」

 「何をしようと無駄ですよ」

 「『狐闇きつねやみ神獣鏡』!」


 それはあの里を2人で抜けるときに使用した術。あのときは十匹の管狐で発動したが、いま残されているのは四匹だ。でも、それで十分だった。


 横薙ぎに振られる大鎌の切っ先に対して、四匹の管狐で構成された結界が発動する。世界と世界を結ぶ面。それは空間を対象に取っている時空の歪みであって、大鎌に対して発動したものではない。大鎌はその絶対的な存在感そのままに、歪められた時空をなぞっていく。


 「だが、一時しのぎの回避をしたところで……」

 「それはどうかな」


 歪められた時空の行き着く先は、逆ベクトルの同じ場所。勢いが着いた鎌の切っ先が、鎌の根本に直撃するかたちとなった。


 「私が知っているこの世界の法則は、神器とはいえ、鎌に意識など宿ってはいない。つまりそこにはなんらかの法則改変がある。それをあらゆる法則改変を無効化する切っ先でつついたら――」


 これは一種の賭けだった。あの神器の怖ろしさを知っているがゆえに、その怖ろしさを信じた賭けだった。パチリパチリと火花が走り、法則が矛盾に喘いでいるのがわかる。


 「……まさか、こんな、ことが」


 無限ループ。

 絶対に法則改変を赦さない力と、絶対に法則改変をされないでいようとする力。誰かがこの神器の能力を一体となった矛と盾に喩えていたが、まさにそれで、矛で盾を付けば矛盾が起こる。


 「せい、ふを、うらぎる、ものには……」


 明らかに『神憑』の処理速度が遅れているのが分かる。法則の解釈が無限ループを起こしてオーバーフローに陥っているのだ。ひとつひとつ無限に発生する矛盾を処理していこうとした結果、この周辺の時間の流れが遅くなってしまっている。処理が追いつかない法則が、時間の方を歪めて融通を効かせているのだろう。


 「けど、これはまずいな……」


 ここで山田はじめに止めを刺したいところではあったが、私も無理をしていることがひとつだけあった。ここまで犠牲を払わなければ見えなかった可能性だからしかたがないといえばしかたがないのだが、四匹の狐達がその矛盾の嵐の渦中で耐えているのだ。


 私の血液を与えることでどうにか保ってはいるが、これも時間の問題。『神憑』が矛盾の渦に飲み込まれるか、私の管狐が音を上げるのかの勝負だったが、若干、風向きが悪いのは否めなかった。


 ここに来るまでの道中、稲荷師匠に楸紅葉、それに山田はじめ、大きな結界術を連発していたことが祟って、すでに狐達も限界に達しようとしている。


 ――すまない、あとすこしだけ耐えてくれ。


 が、無理をして四体で構成している『狐闇きつねやみ神獣鏡』はガタガタと震えだしている。鏡面が歪めばそれだけ効力は失われる。矛盾が解消されれば、すぐに『神憑』は体制を立て直すだろう。そのとき、私に抗えるだけの体力も狐も残されてはいない。


 楸は鳩尾への一撃がかなり効いたのか、そもそも体力的に無理をしていたこともあって起き上がれてはいない。


 「ここまでか……!」


 狐がひとつ爆ぜ、ふたつ爆ぜ、限界はすぐそこに迫っていた。


 「小谷間流封印術『魑魅魍令ちみもうりょう』!」


 いるはずのない第三者の手によって、山田はじめは昏倒した。限界を迎えた狐達は残らず爆ぜて消し飛び、カランカラン、と大鎌が床に落ちる。


 「尾裂、どうやら間に合ったようじゃの」


 山田はじめが崩れたその向こうに立っていたのは、百鬼夜高の女子制服に身を包んだ小谷間ともえだった。稲荷師匠が前面に出ている関係か、髪が狐耳のように盛り上がっているが。


 「……助かりました」


 死を覚悟していただけに、全身の力が抜けて四季社の床にへたり込む。そんな私を稲荷師匠は支えてくれた。懐かしい狐狗里の薫りがして、『神憑』打倒のヒントをくれたひまわりに心のなかで感謝する。

 ――いつも、ぼくは、君に助けられてばかりだ。


 「とにかくこれで『神憑』は無力化されました。あとははじめ君が目を醒ます前に、その大鎌を封印すれば。これで、夏姫は――」

 「お主はいつも最後まで話を聞かんからな。ひとつのことに集中できるのは長所かもしれんが、視野がせまい。修行が足りんのじゃ」

 「はは、すみません」


 「なにはともあれ、めでたしめでたし――と言いたいところじゃが、まだこの騒動は終わっとらん。この奇想天街における特異生物のトラブル解決機関『天網恢恢相談支援事業所』の尾裂課長、お主の仕事もな」


四季神編終幕に向けて、憶えておかないといけないポイント。

◯柊憂姫がまだ健在だということ。

◯山田はじめがいない状況で、おうまと稲荷いのが共存していたタイミングがあったこと。

◯尾裂の狐がまだ一匹残っていること。

◯ヒトーが解体されたこと。

◯山田九十九が四季社の前で倒れたはずだが、ここ数話で認識されていないこと。

◯このクソ寒いときに夏描くの無理があったこと。

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