「それが傲慢だと言うのだ」「それ生意気って言うのよ」
その日、冬という季節を喪った奇想天街に冬が訪れた。8月の上旬、ほんの数時間前までは汗ばむような陽光が降り注いでいたその街には、いまや雪がちらついていた。
「なにはともあれ、めでたしめでたし――と言いたいところじゃが、まだこの騒動は終わっとらん。この奇想天街における特異生物のトラブル解決機関『天網恢恢』の尾裂課長、お主の仕事もな」
山田はじめに取り憑いた『神憑』を打倒した尾裂課長が、ボロボロの四季社から出て最初に感じたことは、妻子のいまわの言葉だった。白銀の世界、魂の底まで凍えるような冷気。
直感でわかっていた、これは、あいつだ。
「夏姫が四季社から離れることで夏の効力が切れ、冬神が現れたことによって冬に傾いたのじゃな。四季社で祈らずともこの力、お主が目撃したあのころよりも増大しておろう」
「……稲荷師匠、こちらに向かっているのですか」
「そうじゃろうなあ。あやつにとって忌むべき敵は、母親を殺した四季裁じゃから。あの大雪害も、そのことのショックで発現したものと聞く」
稲荷師匠は冬神について何かを知っているようだった。もしかしたら居場所もわかっていたのかもしれない。それを問い詰めるのは後にするとして、目下、こちらに向かって来るあの悪夢をどうするのかということだ。
何年かぶりに触れる雪が、手のひらで解けた。
「そうだったのですか。しかし、冬神にどのような事情があろうと、事実は変わりません。私には関係ないことです」
「じゃろうな」
「稲荷師匠、何を言いたいのですか」
「お主の師匠はいじわるじゃから、答えは示さんよ。お主が『観測』の結果、『選んだ』答えならば、わらわは咎めたりはせん」
もうそれ以上言うことはないとでもいうように、小谷間ともえの狐耳状に膨らんだ髪の毛がばさりと下ろされて、普通の女子高生の人格が表に現れる。猫のように細まっていた瞳孔も、人間のそれに戻っていく。
「ひぇ、寒いです」
「山田はじめを介抱してやれ。かなり無理をしている」
「ぃぁ――ッくしゅん」
「その大鎌は危険だから、そこに置いておきなさい」
頷いた小谷間ともえが、山田はじめの身体を引っ張りながら、四季社の奥へと隠れていく。雪はますます激しさを増していく。ほんの数時間前まで『夏』そのものだったのだ、それを前提とした服装をしているから、さきほどから震えが止まらない。
『尾裂、ごめんなさい。でも、幸せだったよ』
私の支えとなってくれていた女性は、夏神だった。ヒトと交わるという八百万の神々最大の禁忌を冒していたのはまさに彼女で、それを犯していたのは私だった。
――なぜ、言ってくれなかったのか。
その答えは聞かなくてもわかる。冬神の暴走により妻子を亡くして自暴自棄になっていたのを拾ってくれたのが、夏姫だったからだ。私が四季神に対してどれほどの怨みを持っているのか、それは夏姫が私の次によく知っている。
言い出せなかったのだろう。
そしてボタンを掛け違えたまま、文福刑部卿からの『ヒトと交わっている八百万がいる』との通報を受けてしまった。私は憎き冬神だと思い込んでしまった。
そこからすべてがズレ始めた。
だが、こうして『神憑』を止めることができた。戻ったら、夏姫とたくさん話しをしよう。私にそれが許されるのならば。この凍えるような寒さを、暖かく照らしてくれた彼女にもう一度逢うことが出来るのならば。
報告次第では、出雲中央政府が黙ってはいないかもしれない。冬神のようなお尋ね者になるかもしれない。それでもよかった。夏姫と一緒ならば、どんなことでも耐えられるような気がしていたから。
「だが、その前に――」
煙草に火をつける。雪風でなかなか焔が付かなかったが、一度着いてしまえば消えることはない。
ナンバンギセル。別名『思い草』であるそれは、先立った愛する人の墓に生えてきた草を加工し、その煙を吸うことで悲しみを紛らわせたのが始まりとする伝承を持ち、「あなたがいれば寂しくない」「秘密の恋」という花言葉を持つ。
「カタをつけなければならないことがある」
そうしなければ、私は先に進めない。
「……四季裁はどこ」
白に覆われた視界の中、ひときわ大きな雪風が舞ったのち、四季社の前に現れたのは、幽鬼のような少女だった。白い着物を身にまとい、髪は雪の結晶を模した簪で止められている。その絶対零度の瞳で、その少女は私に語りかけた。
「ねえ、四季裁はどこ」
「四季裁はもういない。が、罪深い神は私が裁く」
「は?」
その視線に、肌がざわつく。
稲荷師匠、楸紅葉、『神憑』と、ただ狐を操れるだけの私が相手をするには次元の違う連戦を経て、まさに満身創痍だった。ベルトに挿した竹筒に、もう管狐は残っていない。それでも、私は復讐を果たさなければならない。
煙草を捨てる。
思い出との決着を着けるために。
前を向いて、進むために。
「久しぶりだ、冬神」
「あんたのことなんか知らないんだけど」
「そうだろうな。それだけあの大雪害は、見境がなかった。お前が起こした災害で、私は妻子を喪った。復讐をさせもらう」
「そう。それはご愁傷様」
血のように紅い唇から、温度のない言葉が紡がれる。
「わたしの母は出雲中央政府に殺された。ねえ、あなたのその襟についている紋章、出雲中央政府のやつだよね? あんたに怨みはないけれど、立ちはだかるなら復讐ついでに退いてもらう」
「禁忌を犯したからだろう」
「事情も聞かず、いつ制定されたかわからないルールに則って、自らの威光を守ることしか考えていない。そのためには一柱すぐに始末する。それだけ見境のない行為を四季神が行ったのよ」
「そうか、それはご愁傷様だ」
話はまったく平行線。同情することは、もしかしたら出来たかもしれない。出逢い方を間違えなければ、話も出来ただろう。が、もう後には引けないところまで来てしまった。
「『天網恢恢』、尾裂課長、参る」
「はぁ」
冬神はため息を付いて。
「奇想天街が冬の四季神、柊憂姫。あの大鎌もなく、丸腰の人間風情が神に逆らおうなんて千年早いわ」
「それが傲慢だと言うのだ」
「それ生意気って言うのよ」
ようやく復讐が果たされる。私の脳裏には、どんどん冷たくなっていった妻と子の姿が去来していた。大切な人たちを有無を言わさず殺した忌神を、ようやく私は殺すことが出来る。
「で、どうするの」
気がつけば、足元から氷の結晶が次々と紡がれて、身動きができなくなる。ぎち。ぎち、と私の腿までを閉じ込めた氷の柱は、とどめとばかりにその密度を増やしていく。既に感覚はなくなっていたが、そのくらいの犠牲は払うつもりだった。
「……ぐっ」
「痛いでしょう。でも、大丈夫。すぐに感じなくなって、痛みは悼みへと変わるわ。あなたのその行動は勇気じゃなくて、ただの無謀ね」
幽鬼のような少女は雪風の向こうでそう嗤う。
『忌み子』。
彼女はそう呼ばれる存在のはずだ。『ヒトと交わった八百万の神々』を政府が畏れているのは、忌み子が生まれるから。ヒトの信仰によって形造られる八百万の神々。八百万の神々によって恩恵を与えられるヒト。その2つの要素が同居したとき、無限に増幅回転し続ける『意志』が生まれる。
四季社に篭もらずとも、これほどの大災害を起こすことができる四季神。そんな規格外の神に、はなから長期戦を望む気はなかった。矢尽き刀折れた私が仕掛ける勝負は一瞬――。
「来い! 尾裂流結界術『犬追物』!」
夏姫の避難に同行させた、最後の管狐。それが四季社の壁を破って飛び出してくる。生体ベースの妖怪としては、この寒さや雪は非常に不利な条件だったが、私は全神経を集中させていた。あの狐狗里で学んだこと、師匠との修行で学んだこと、すべてはこの一瞬のためにある!
「狐使い? でも、そんなもので。――ッ!」
彼女の眼が見開かれる。冬神に気づかれたのは想定外だったが、もはや立ち止まるわけにはいかない。弾丸のように放たれた狐は、冬神目掛けてまっすぐに吶喊している。あくまでヒトの制約に縛られる彼女には回避不可能な距離である。
「……忌み子を舐めるな!」
彼女は手をかざして、氷の結晶を模した楯を展開する。が、狐がそれに当たった瞬間、ガラスよりも脆くそれは砕け散る。喩え忌み子であっても原理原則からは逃れられない。四季神の力は通用しない。
「『神尽き』か!」
「そうさ。あの大鎌が物理的には脆弱で助かった」
四季社に置いたままにするよう小谷間ともえに指示していた大鎌。夏姫を避難させたのちに、私はずっとその一匹の操作をしていた。
『狐闇神獣鏡』による矛盾の暴走によって、『神尽き』の刃はボロボロに刃毀れしていた。法則改変に対して絶対不変を誇る神具だったが、純粋に物理法則に従った破壊に対しては、金属以上の何ものでもない。だからこそ、歴史のある一点で作成された『神尽き』の、無事に遺されている本数は年々減少しているのだ。
その切っ先数センチを咥えた狐が、冬神を捉える。
「ようやく、私は……!」
が、その弾丸が貫いたのは、白装束の少女ではなかった。柊憂姫の前に庇うように現れた少女は、巫女の服装をしていた。明るく短い髪の毛、小麦色の肌、強い意志をたたえたその瞳は――。
「なつ、」
「ダメだよ、尾裂」
突然のことに驚き、眼を見張る私と憂姫。が、乾坤一擲の尾裂流結界術『犬追物』は止められず、彼女の右胸に吸い込まれるように、狐の口元が衝突する。
「う、ぐ……」
四季裁の大鎌『神尽き』、それは切っ先であっても能力は変わらない。『神つ樹』と呼ばれるそれは、あらゆる法則改変を受け付けず、あらゆる法則改変を無効にする。
信仰を編みこんで形づくられている四季神(八百万の神々)は、まさにその一撃が致命傷となる。だからこそ、四季裁は死神として振るまうことができていた。
「ようや、く、私は……」
私は何をした?
夏姫の口元から、ごぼっと血液がこぼれて雪原に舞う。
「理不尽に生命を奪われたことをね、尾裂、同じことをして贖っちゃダメだよ」
「夏姫……?」
呆然とする私の前で、柊憂姫が膝から崩れ落ちた。雪風がその勢いを増す。それは私が記憶しているあの日よりもよっぽど激しい『冬』そのものだった。
「なっちゃん、どうして……」
「怒っちゃダメ。憂姫。うちはこうならなくちゃ、いけないんだか、ら……」
ガクリと、彼女は意識を喪った。
椿桜姫「出番まだかな……」




