上半身が人間の女性、腕が六本、下半身が蛇となると、たぶん、
「……ひっく、うえぇ」
少女が一人泣き腫らしている。鎮守の森の天を覆う木々も何故かそこだけは開けており、天からの光が宗教画のように降りている。さっきの二人から逃げ遅れてしまったのだろうか、独りでぽつんと地面に座っている。
「あれは――、」
ぶかぶかのパーカーのようなものを被って、小さく蹲っている少女。わたしを包んでいるヒトーさんががしょんがしょんと近づくが、稲荷いのは距離を取って腕を組んでいる。『鬼斬り』こそないものの、その眼は猫の瞳孔のように細まっていて。
ゾクッとした。
あれほど必死に逃げてきた小学生の男の子と女の子。ふたりともどこかで転んだのか、泥だらけだった。いま目の前にいる少女も小学生には見えるが、彼女は置いて行かれたのだろうか。地面を見ると、無数の直線が穿たれている。なにかの、轍? 彼らがその轍をつけたものから逃げていたのだとしたら、その轍の中で泣きじゃくる少女が何なのだろう。
「ヒトーさん、それ、どっからどう見ても罠!」
優しいヒトーさんは泣きじゃくる少女を放っとけない。少女の泣き声は、気づいてみれば少々演技くさい気もしないでもない。しかし、ヒトーさんは気づかない。腕を伸ばせた届く距離。わたしの声も虚しく、ヒトーさんは少女の背中を叩いて――。
「おばかさん」
その瞬間、少女のパーカーの背中からまるで羽根のように四本の腕が飛び出してきて、ヒトーさんに襲いかかる。ひとつ、ふたつ、ヒトーさんの腕に絡みついて、残る二つが彼の頭にわきわきと迫る。少女はまだ腕で顔を覆ったまま――。
その非現実的な光景に頭がパニックになるものの、いまわたしがいるこの場所は鎮守の森なのだということを思い出す。四季を司る姫君の社もあるけれど、多くの、法では対処できない魑魅魍魎たちが封印されている場所なのだ。
だぼだぼのパーカー。その足元の違和感にわたしは気づいた。地面に蹲っている、そこにあるべき畳まれた脚はなく、巨大でぬらぬらした一本の尻尾のようなものがある。ヒトーさんの腕はがっしりと掴まれて、両腕で顔を覆っている少女は、顔を上げ、その指の隙間から邪悪な笑みを浮かばせた。どうやってこの罠にかかった獲物をいたぶろうかと考えている眼。だが、それが大きく見開かれて――。
「あなた、まさか……」
理由はわからないが、その逡巡は逃さない。
「ヒトーさん、ごめんなさい。あれは洒落にならないやつです!」
「ちょ、まどかさ――」
「覚醒聖鎧符!」
わたしは鎧の内側から手のひらを当て、御伽噺の魔女の紋章を活性化させる。その瞬間、わたしの想うヒトーさんの記憶はなくなるらしいが、いまはそれどころではない。ぎりぎりまで使わないようにさっき約束したような気がするが、まじでそれどころではないのだ。寝ずに考えた技名が言いたかったわけではない。
「うおおおおお!」
覚醒したヒトーさんがその尋常ならざる力で、絡みついた腕を振り払う。その紋章の起動に、わたしの体力は一秒単位で削られていってしまっている。だから、この覚醒聖鎧符化している時間には、限りがある。
「フェッセンデンの魔女の力を舐めないでもらいたい」
心なしか鎧の中が暖かくなり、小さな光の粒子が弾けては消える。
「きゃっ!」という意外にも女の子らしい悲鳴を上げて、その存在はわきわきと複数存在する腕をさすっている。ヒトーさんはとりあえず距離を取って、稲荷いのの横顔を捉える。
「まどか、あやつはなんじゃ?」
「上半身が人間の女性、腕が六本、下半身が蛇となると、たぶん、姦姦蛇螺」
「かんかん……?」
「姦姦蛇螺。都市伝説レベルのものだけど、山田教授のところの文献では見たことがあります。一応知っている限りでは――」
その昔、山の大蛇を退治しようとしたが、敵わぬと見た村人によって生け贄にされて食われた巫女の成れの果て。性格は凶暴で、気分を害した人間に対して致死レベルの攻撃を加える。特に下半身を目撃した者は決して助からないと言われている。「姦姦唾螺」、「生離蛇螺」、「生離唾螺」などの別名を持つ。
「へえ、よく知っているね」
少女はフードから顔を出して、スプリットタンな舌をちろちろさせながら、わたしたち二人を見つめる。袖に通された両腕と、背中からパーカーを突き破って生えている四本の腕。ズボンやスカートというものは履いておらず、パーカーの下はそのまま大蛇の尾になっている。それを器用に動かして、間合いをとる。
――化物。
特異生物の人権が叫ばれる時代に、特にそれを学んだわたしが言うのもなんだけれど、その言葉が一番しっくりとくる。魑魅魍魎が跋扈する世界と言っても、多くは人型で、あってもヒトーさんのような金属体、あるいはいののような精神体といった感じで、ここまで人体の構造を逸している存在はあまりお目にかかったことがなかった。
「……知人な気がしたけど、勘違いかな。君たちもわたしを恐れるかい。鎧に狐」
「退治すればいいのじゃな?」
こんな大物にあたってしまったけれど、よくよく考えれば、当面の生活費を得るための、小谷間ともえのアルバイトの採用試験だ。稲荷いのは、かなり山田流封印術で封印された鬱憤が溜まっているのか、指をコキコキと鳴らし、小谷間ともえのJKの姿のままで、姦姦蛇螺に一歩踏み出す。
「ちょっと待って。いの。まずは天網恢恢疎相談事業所の重要説明事項を――」
「聞いたことあるよ。わたしをここに封印した奴がぺらぺら喋ってた」
「そ、そうなの?」
「この神域を犯したのは、あの恥知らずな少年少女だ。泣きわめいていたかい? 先に手を出したのはあいつらだよ。わたしはここに封印されているんだ、好き好んで暴れられるわけでもないし、封印術はかなりキツイからできればもう味わいたくない」
いのがなんか頷いた。
姦姦蛇螺は六本の手を打ち鳴らす。
「だから、手打ちにしよう。立入禁止の森に入ったのは少年少女。たまたまわたしに会ったのは不幸だけど、まあ、適切なレベルで懲らしめた。それでいいんじゃない? 鎧さん?」
「え、あ、まぁ……」
懲らしめるのがそもそもの目的ではないのは重々わかってはいるが、どうにも空振り感が否めない。話し合いで解決、たしかにこれが一番だ。しかも鎮守の森に封印されている凶悪犯、まともに戦ったら――、まぁ、エンライトメントヒトーさんといのなら余裕だろうけど、余計な血は流してほしくない。
「で、どうするのじゃ?」
ここでいのの活躍を見せて、尾裂課長をうなずかせたいところだったが、次の機会にするほかないだろう。口を尖らせるいのを見つめ、ヒトーさんの紋章を稼働させている手のひらを離そうとしたとき――。
「なぁんちゃって」
強い衝撃が、鎧の中に反響した。いつかいのの発剄を食らったときのような……。そうだ、あのときの仕返しをまだしていない今度殴ってやろう、と思いつつも、倒れてしまったヒトーさんを起き上がらせようとする。が、大蛇+人間の重量が上にのしかかっている。バイザーからは邪悪な笑みの少女がこちらを見下ろしていた。
「ちょうどイライラしていたんだよね。あいつら、この神域でいちゃいちゃしやがって。リア充殺すべし、だよ。君に直接的な恨みはないけれど、少しストレス発散させてもらおう。そんなピカピカじゃなかったけど、わたしの想っていたデュラハンと似たような格好で、中に女の子を挿れてさ、それにJKまで連れて――、処女のまま食われたわたしを馬鹿にしているの?」
シャーっという独特の威嚇音。わたしは鎧の中で彼女と見つめ合っていた。
次回:姦姦蛇螺はかんかんだよ!(# ゜Д゜)




