第2話:獣人の少女と黄金の土(前編)
「……っ……、あ……」
小さな木造の仮小屋を組み上げ、セトがその周囲の黒土にさらなる魔力を定着させていたときのことだった。
風に乗って運ばれてきたのは、土の匂いとは異なる、か細くも切実な人間の――いや、亜人の少女の息吹だった。
セトは作業の手を止め、鋭い視線を闇と荒野の境界へと走らせる。
「そこにいるのは誰だ。隠れていないで姿を見せろ」
冷徹さを帯びたセトの声が、凍てつく夜気に響き渡る。
しかし、返ってきたのは返答ではなく、力のない衣擦れの音と、何かが地面に崩れ落ちるような鈍い物音だけだった。
不審に思ったセトがゆっくりと歩み寄り、積み上げた開墾地の端を覗き込むと、そこには泥まみれになりながら丸くなっている小さな影があった。
「……助けて……ください……」
聞き取れるかどうかの掠れた声。
そこに倒れていたのは、過酷な寒さと飢えに耐えかねて迷い込んできた一人の獣人の少女――ミリアだった。
銀色に輝く美しい髪は泥に汚れ、頭の上で小さく垂れ下がった獣耳と背中の尻尾は、かつての光沢を失って痛々しく震えている。身にまとっている布きれはボロボロで、彼女がこの死の荒野をどれほど絶望的な思いでさまよってきたかを雄弁に物語っていた。
セトは彼女を一瞥すると、無造作に放り出すようなことはせず、すぐにその場にしゃがみ込んだ。
「意識はあるか?」
「……たべもの……を、盗ろうとしたわけじゃ……ないの……。ただ、この光が、あたたかくて……」
ミリアは怯えた様子で小さく身を縮こまらせ、細い両腕で頭をかばうようにした。
王国や人間たちから虐げられ、追われ続けてきた彼女にとって、人間の姿をした者はすべて敵に見えていたのだろう。三日も持たずに死ぬと言われるこの流刑地で生き延びていたこと自体が奇跡だった。
セトは敵意がないことを示すように、ゆっくりと手を差し出した。
「怯えるな。俺を襲う気がないなら、危害は加えない」
「……うそ……人間は、みんな私たちをいじめるか、捨てるのに……」
ミリアは潤んだ瞳で恐る恐る顔を上げ、セトの顔を見つめた。
殺伐とした灰色の世界の中で、セトの足元だけが『聖地創生』の魔力によって黄金色の温かな光を放っている。その圧倒的な生命の温もりに引き寄せられるように、ミリアは小さく震えながらも、その温かさにすがりたいという本能を抑えきれずにいた。
セトは懐から、先ほどの開墾作業の副産物として生成された、魔力を帯びた甘やかな果実の欠片を取り出す。
「これを食え。少しは体温が戻る」
「……これ、は……?」
差し出された果実を、ミリアは震える手で受け取り、警戒しながらも口へと運んだ。
ひと口かじった瞬間、彼女の瞳が驚愕に見開かれる。枯れ果てていた味覚を一発で満たす濃厚な甘みと、全身の細胞を内側から焼き上げるような心地よいマナの波動が、彼女の冷え切った身体に一気に活力を巡らせていった。
「おいしい……っ、すごく、あたたかい……!」
ぽろぽろと、ミリアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
それは恐怖や絶望の涙ではなく、長年の過酷な放浪の末に初めて触れた「圧倒的な優しさ」と「生存の温もり」に対するものだった。
セトは泣じゃくる少女の頭にそっと手を伸ばし、その柔らかい銀髪を優しく撫でてやった。
「泣くのはそれくらいにしておけ。……ここはもう、誰もあなたを傷つけない場所だ。俺が耕し、俺がすべてを守る場所になるからな」
「……セト……? あなたの名前、セトっていうの……?」
「そうだ。セト・ロウエルだ」
ミリアは潤んだ瞳でセトの名前を繰り返すと、行き場のない安心感と、心身の限界からか、そのまま彼の胸元へとすがりつくように飛び込んできた。
ふわりと甘い少女の体温がセトの胸板に直に伝わり、冷え切っていた荒野の空気が微かに、しかし確かに和らいでいく。
――これは、孤独な追放者だったセトが、初めて「仲間」を得た瞬間だった。
そして、この小さな出会いこそが、のちに大陸全土を揺るがす15人のヒロインとの大いなるハーレム劇と、巨大な王国の幕開けを告げる最初のピースとなるのだった。




