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第1話:捨てられた開拓者(後編)

 目の前に広がっていたのは、人間の常識が微塵も通用しない、圧倒的な「絶望の景色」だった。


 どこを見渡しても色彩という色彩が完全に奪われており、地面はすべて濁った灰色の泥と、水分を失ってひび割れた乾いた黒土に覆われている。空には重く低い鉛色の雲がどこまでも垂れ込め、生温いような、それでいて肌の芯まで凍てつかせるような冷たい瘴気が、湿った風に乗って身体にまとわりついてきた。植物の芽はもちろん、雑草の一本すら生えておらず、聞こえるのはただ、荒涼とした風が鋭い岩肌を削りながら吹き抜ける乾いた音だけだ。


 ここが、王国で最も恐れられ、誰もが近寄ることを避ける流刑地――『灰のヴェール・ガルド』。


 かつて過剰な魔導実験によってマナの循環システムが完全に破壊され、いかなる作物も、いかなる生命も拒絶する「死の土地」へと変貌した不毛の底だった。


「ふん、見るがいいさ。生き物どころか、雑草の一本すら生えやしない。お前が持っているそのくだらない『農業の才』とやらは、この大地の前では無力なゴミ同然だ。せいぜい、冷たい風に凍えながら、孤独に朽ち果てるがいい!」


 衛兵たちはこれ以上この澱んだ空気を吸うことすら耐えられないといった様子で、セトをその場に乱暴に置き去りにし、荷馬車を慌ただしく反転させた。


 車輪が巻き上げる砂塵が視界の隅を白く染め、やがてゴリゴリという重い走行音が遠ざかり、完全に静寂が周囲を支配する。


 ひとりぼっちになったセトは、荒涼とした大地の上にぽつんと立ち尽くしていた。


 冷たい風が、彼のボロボロになったシャツの隙間をすり抜け、肌を容赦なく引っ掻いていく。


 だが、セトの表情に恐怖や絶望の色は微塵もなかった。彼はむしろ、どこか挑戦的ですらある涼やかな瞳で、目の前に広がる広大な死の大地をじっと見据えていた。


「……三日も持たずに朽ち果てる、か」


 セトは低く呟くと、自身の両手のひらを開いたり閉じたりしてみせた。


 中央の貴族院や聖都の愚か者たちは知らなかったのだ。彼が受け継いだ「農業魔術」と「開墾」の才が、単に綺麗な畑で野菜を育てるための技術などではないということを。


 セトの家系であるロウエル男爵家は、代々、荒れた土地を蘇らせるための禁忌に近い特殊な農法と、魔力を植物に定着させる独自の魔力回路を受け継いできた。しかし、その技術があまりにも強力で、王国の管理下にある魔導経済や教会の権威を揺るがしかねないと恐れた者たちによって、一族は謀略の果てに没落させられたのだ。


 そしてセトは、その血脈の最後の生き残りとして、すべての知識と技術、そして禁断の血脈をこの身に宿していた。


「彼らにとっては、ここは全ての終わりを意味する『墓場』かもしれない。だがな……俺にとっては、こここそが、誰にも邪魔されずに自分の王国を築くための、最高のキャンバスだ」


 セトはしっかりと大地に膝をつき、両手でその冷え切った黒土を力強く掴み取った。


 指先から伝わってくるのは、圧倒的なまでの拒絶反応と、マナを根こそぎ奪われた土壌の悲鳴だった。通常の人間であれば、この土地に素手で触れただけで魔力を吸い取り尽くされ、精神を病んでしまうだろう。

 

 しかし、セトはその拒絶を恐れるどころか、まるで愛しい恋人の肌に触れるかのように、優しく、慈しむように土を握り締めた。


 彼は胸の内ポケットにそっと手を伸ばし、慎重に一つの布包みを取り出した。


 中に入っていたのは、祖父が処刑される直前に「これだけは絶対に肌身離さず持っていけ」と託してくれた、一粒の古びた種――「星の種子」のプロトタイプだった。


 月の光のように淡く、しかし消えかかることのない強烈な生命の光をその殻の内に宿した、世界樹の遺伝子を継承する奇跡の種子。


 王国の魔導技術者たちがどれほど高度な解析魔術をかけても発芽させることができず、「ただの光る石ころ」と断定して放置していた代物だ。


「お前の本当の価値がわかるのは、世界中で俺ただ一人だけだ」


 セトは優しく微笑むと、荒れ果てた黒土の最も中心となる場所を選び、そこに丁寧な手つきで小さな穴を掘った。


 そして、その底に「星の種子」をそっと置き、優しく土をかぶせる。


 すうっ、とセトは大きく息を吸い込み、自らの体内に巡る魔力回路を全開へと引き上げた。


 彼の身体の奥底から、黄金色の温かな魔力が血管を伝わり、両手のひらへと集まっていく。それは単なる魔力の放出ではない。土壌の構造を根本から組み替え、死んだマナを再構築し、植物の成長速度と生命力を極限まで引き上げる、セトだけの禁忌の開墾スキル――『聖地創生(セト・フィールド)』の起動だった。


「――目を覚ませ。この痩せこけた大地に、新しい命の息吹を刻み込んでやる」


 セトが両手を地面につき、低く、しかし力強く詠唱を落とした瞬間。


 ゴゴゴ……と、地底の奥深くから、今まで聞いたこともないような低い地鳴りのような音が響き渡った。


 それは、何百年もの間、誰からも見捨てられ、冷たく凍りついていた大地が、初めて外界からの「救済」を受け入れたときの一種の産声だった。


 セトの手のひらから溢れ出した黄金色の魔力が、蜘蛛の巣のように四方八方の地面へと一気に駆け巡っていく。


 灰色の泥がみるみるうちに本来の深い黒土の色を取り戻し、凍てついた空気の中に、まるで春の訪れを告げるかのような豊かな土の匂いがふわりと立ち込めた。


「なっ……これは……!」


 自分の仕掛けた魔法の変化に驚きながらも、セトはさらに魔力の出力を高める。


 地面の亀裂から、ほんのりと淡い黄金色の光の粒子が気泡のように湧き上がり、夜空へと昇っていく星屑のように周囲を包み込み始めた。


 それは、死の絶壁と恐れられた『灰のヴェール・ガルド』が、初めてその姿を変えようとする歴史的瞬間の始まりにすぎなかった。


 追放された少年セトの孤独な開墾は、ここから世界を揺るがす巨大な王国の創生へと繋がっていく――。





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