第13話:結界の拡張と、灰に沈む白銀(後編)
「ほう。これは良い拾い物をしたな」
セトは意識を失っている女騎士の顎を力強く掴み、その顔を自分の方へと向けさせた。
兜の中からこぼれ落ちたのは、灰と汗にまみれた、透き通るような金色の長髪。苦痛に歪みながらも、気高い意志を感じさせる美しい顔立ちだった。
「その顔……見覚えがありますわ」
フィアナが背中の『魔導構築機』の駆動音を響かせながら、油断なく目を細める。
「王国の聖騎士団、第三部隊隊長エレナ・オルトリンデ。貴族の腐敗を幾度も糾弾し、民からの絶大な支持を集めていた『白銀の清流』……。なるほど、清廉潔白すぎたが故に上層部の罠にはまり、この死の荒野へ体よく棄てられたというわけですのね」
「正義を掲げて国に尽くした結果がこれか。滑稽なほどに哀れだな」
セトは冷く笑うと、エレナの傷ついた身体を軽々と抱き上げた。
致死量の瘴気を吸い込んだ彼女の肉体は、すでに生命活動の限界を超えている。白銀の鎧の隙間から覗く肌は死人のように青白く、彼女の魔力回路はどす黒い灰の魔力に侵食され、今にも完全に停止しようとしていた。
「セト、その人、死んじゃうよ……! 息が、すっごく小さい……」
「安心しろ、ミリア。俺の領地に落ちた種である以上、勝手に枯れることなど許さん」
セトは二人を従え、黄金の麦畑を抜けて城塞の中庭へと帰還した。
豊穣の果樹園の中央、清らかな泉のほとりに設えられた大理石の寝台にエレナを横たえると、セトはその無骨な手で彼女の首元に触れた。
「……酷い状態ですわ。王国の最高位の治癒魔術を施したとしても、すでに瘴気が心臓の魔力核にまで達しています。助かる見込みは……」
「それは王国の矮小な常識だ、フィアナ。俺の『農業』は、枯れ果てた大地すらも書き換える」
セトは頭上から黄金色に輝く『星の果実』を一つもぎ取ると、それを片手で無造作に握り潰した。
果皮が弾け、純度百パーセントの液状マナが溢れ出す。セトはエレナの青白い唇を無理やりこじ開け、その甘美で圧倒的な熱量を持つ果汁を、直接彼女の口内へと流し込んだ。
「んっ……!? ぁ、あ……っ」
意識がないはずのエレナの身体が、ビクンと大きく跳ねた。
喉の奥へと流れ込んだ黄金のマナは、彼女の体内に巣食っていた死の瘴気を瞬時に喰い破り、猛烈な勢いで浄化していく。それは同時に、彼女の本来の魔力波長をセトの支配下へと強制的に書き換える、暴力的なまでの『洗礼』であった。
「あぁぁっ……! ぁ、あっ、あぁっ……!」
エレナの口から、苦痛ではなく、熱に浮かされたような甘い吐息が漏れ始める。
死の淵にあった青白い肌はたちまち極彩色の熱を帯び、汗ばんだ胸元が激しく上下する。彼女の体内を巡る魔力回路が、セトの巨大な存在感に共鳴して黄金色に発光し、大理石の寝台の上で身悶えさせた。
「はぁっ……はぁっ……。信じられませんわ……。死に絶えかけていた細胞が、セト様のマナを養分として、以前よりも遥かに強靭な状態へと再構築されていきますの……」
フィアナが、その圧倒的な光景を前に頬を染め、震える声で呟く。
「俺の国には、極上の土壌が必要だ」
セトは、身悶えするエレナの汗ばんだ前髪を優しく撫でながら、傲慢な王の顔で宣言した。
「国に裏切られたこの高潔な騎士だけではない。世界には、愚かな王国がその価値を理解できず、恐れ、棄てた極上の『種』がまだいくつも眠っている」
セトの視線は、結界の外側――遙か遠くの死の大地へと向けられていた。
「極北の永久凍土に封印されたという『吸血の真祖』。深淵の魔石鉱山で奴隷として鎖に繋がれた『闇精霊の末裔』。そして、忌み子として海へ流された『海竜の巫女』……。奴らが恐れ、迫害したすべての異端を、俺はこの手で摘み取り、俺だけの狂信的な手駒として育て上げる」
その言葉の響きには、世界そのものを手玉に取るような絶対的な覇気が満ちていた。
フィアナも、ミリアも、その強大すぎる主の横顔を見つめながら、内側から湧き上がる甘い服従の喜びに身体を震わせる。
「わたくしたちは……どこまでも、あなた様の大地ですわ……セト様」
やがて、寝台の上で荒い息を立てていたエレナの身体から、黒い瘴気の残滓が完全に抜け落ちた。
代わりに彼女の肌を包み込んでいるのは、セトの刻み込んだ黄金色のマナの光。
「ん……、あ……」
長い睫毛が震え、エレナがゆっくりとそのまぶたを開く。
焦点の合わない彼女の瞳が、最初に見据えたのは、圧倒的な生命力と支配のオーラを纏って自分を見下ろす、黒髪の男の姿だった。
かつて王国を追放された無能な農業魔術師。
しかし今、彼女の全身の細胞は、目の前の男こそが自らの絶対的な主であると、本能の底から歓喜の悲鳴を上げていた。




