第67話 星の使い
「ターニャがの。お主のことを心配しておった。」
リアはカップを見つめたまま、ゆっくり顔を上げた。
「ターニャが?」
ウェンティが静かにうなずく。
「ターニャは優しい。リアもそれはわかっておるのだろ?」
コチ――コチ――コチ――
二人の間を埋めるように時計の音が続くなか、リアは小さく息を吐いた。
「はい。ターニャは昔から変わりません。変わってしまったのは……私です。」
カップを両手で包み込むと、その温もりを確かめるように指先を添えたまま話し始める。
「ハーベイに来る前……10年前の話です。ターニャとよく遊んでました。」
紅茶をひと飲みし、カップを口元からゆっくり下ろす。
「村が近くて……よくターニャが私の所に遊びに来てくれた。」
10年前――
「リアー!」
声に振り返ると、村の入口からターニャが手を振りながら走ってきていた。
リアが収穫していた野菜から手を離す頃には、ターニャはその場まで駆け寄り、両膝へ手をついて肩を上下させていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「大丈夫?また一人で来たの?」
ターニャは息を整えながら顔を横に振る。
「違うよ。今日はお父さんと一緒。祭りの打ち合わせに来たんだ。」
一度大きく息を吸うと、顔を上げて口元を緩めた。
「まぁ……私は遊びに来たんだけどね。」
ターニャがニヤリと笑い、それにつられるようにリアも微笑む。
「お祭り……もう少しだもんね。」
リアは野菜へ視線を戻し、手を動かしながら話した。
「毎年あるわけじゃないし、今年はリアが星の使いなんでしょ?私楽しみにしてるんだ。」
高い位置に実った枝豆へ手を伸ばしながら、リアが小さく答える。
「年回りの順だから……星の使い……」
指先は届きそうで届かず、もう少しと背を伸ばしたところへ、脇からすっと手が伸びてきた。
枝豆を取ったターニャが、そのままリアの前へ差し出す。
「はい。」
「あ、ありがとう。」
リアが受け取ると、ターニャはその顔を見ながら笑った。
「ふふふっ。私は楽しみだよ。」
リアは少し顔を伏せ、小さくうなづく。
「あ、そうだ。昨日ね、お母さんが久しぶりにクッキー焼いたんだ。ターニャも食べる?」
「あ!食べる!」
ターニャの顔が一気にほころぶ。
「今取ってくるから待ってて。」
「うん。」
リアは収穫の手を止めると、そのまま急ぎ足で家へ向かった。
それから二人は大きな木の下へ移り、幹に背を預けるように並んで座った。
ポリポリ……
「不思議……塩味なのに甘い……。」
ポリポリ……
ターニャは口を動かしながら、手の中のクッキーを不思議そうに見つめる。
「お母さんは作り方は秘密だって。」
リアは頬杖をつき、止まらず食べ続けるターニャを横から見ていた。
「そうなんだ。」
ターニャは袋へ手を入れると、数枚まとめて取り出す。
ポリポリ……
「一度食べたら止まらない……」
ポリポリ……
「うん。」
リアが微笑む。
「お祭りって毎年あるんじゃないんだね?」
「うん。11歳になった子がいる年に……だから。」
リアが木の幹に背を預けたまま続ける。
「前のお祭りは5年前かな?姉さんがやったんだ。」
ポリポリ……
「そうなんだ。」
ターニャの手は止まらず、また一枚を口へ運ぶ。
「私は楽しみだなぁ……」
そう言いながら顔を上げ、木の葉の隙間から広がる空を見つめた。
リアもうなづき、その視線を追うように祭りの日を思い浮かべていく。
「他の村の人達や出店もいっぱい出て……」
言葉を重ねるたびに、リアの口元が少しずつ緩んでいく。
「みんなで……火を囲んで……」
ターニャも隣で笑顔のままうなづく。
「そして私が星達に願いことをする。」
ターニャが空から視線を戻し、横からリアの顔を覗き込んだ。
「何お願いするかもう決めてるの?」
リアがうなづく。
「なに?」
さらに顔を寄せてくるターニャから少しだけ視線を逸らし、リアは口元を緩めた。
「それは……秘密だよ。」
「やっぱりそうだよね……うん!じゃあお祭りの日楽しみにしてる。」
リアがうなづく。
「うん。」
(お祭りまであと1カ月……しっかり舞いを覚えなきゃ……)
コチ――コチ――コチ――
木の葉を揺らす音が遠のき、時計の音だけが耳へ戻ってくる。
リアは両手で包んだカップへ視線を落としたまま、唇をわずかに動かした。
「……お祭りは……できませんでした。」
隣から向けられるウェンティの視線を感じながら、指先がカップの縁をゆっくりなぞる。
「一週間後に……黒影の襲撃があって……」
リアの瞳に滲んだ涙が、揺れる紅茶の表面へ落ちそうになる。
「ほんとに神様はいるのでしょうか……もし……本当にいるのなら……」
息を吸おうとしても喉の奥で引っかかり、リアはカップを持つ指に力を込めた。
「どうして私達を助けてくれなかったのでしょうか……。」
こらえていた涙が一つ頬を伝い、ウェンティはそれを見つめたまま目を閉じると、膝の上でこぶしを握った。
少しの間――
時計の針が進む音だけが続くなか、ウェンティはゆっくり目を開けた。
「なぁ、リア……。」
握っていた手を解き、リアの方へわずかに身を寄せる。
「わしに、お前が言うはずだった願い事……教えてくれぬか?」
ウェンティが顔をやさしくのぞき込むと、リアは濡れた瞳のまま小さくうなづいた。
「……星達よ……。」
カップから手を離し、膝の上で指を重ねる。
「夜空に輝く……満天な輝き達よ……」
その声を受けるようにウェンティが再び目を閉じるなか、リアは一つずつ確かめるように言葉を紡いでいく。
「そして……天から見下ろす神達……」
息を整えようとするたび、胸の奥から声がわずかに震えて漏れる。
「この大地……すべての生きるもの達に……」
「どうか……幸せを……」
頬を伝った涙が膝へ落ちる。
「与えてください……」
コチ――コチ――コチ――
リアの声が途切れても、時計の音は変わらず部屋の中を進んでいく。
ウェンティはゆっくり目を開けると、涙をこらえるリアへ顔を向けた。
「お前の願い。わしがしっかりと賜った。」
リアが顔を上げると、ウェンティはその視線を受け止めたまま微笑んでいた。
「ウェンティ……?あなたは……」
ガチャン――
「今戻った。遅くなってすまない。」
開いた玄関のドアからエディの声が響き、リアはそちらへ振り向くより先に、頬に残った涙をとっさに拭った。




