第29話 ダンゲルの屋敷③
「マーベリック。テセルスで何があった?」
呼ばれ、マーベリックは口元にわずかな笑みを浮かべる。
「時代の変化ってやつだ。」
ダンゲルが腕を組み、そのまま深く息を吐く気配が伝わる中、視線を外さずにいるとマーベリックの言葉が静かに続いた。
「10年前からその傾向があった。」
「その時からもうすでに始まっていたのかも知れない。」
「黒影に対応できない魔道士が増えた。」
「飲み込まれ、黒影になった例もある。」
カップを持ち上げ、唇に触れる温度を確かめながら紅茶を一口含むと、喉を通る熱と一緒に言葉だけが残る。
「ルーフェンスの言葉だ。魔力の低い魔道士はテセルスから脱却させる――」
「魔力に秀でている者だけ育成する――」
ダンゲルは何も言わず、そのまま聞いている。
「それは間違いじゃない。魔道士が魔道士に守ってもらわない状況は避けるべきだ。」
言葉が落ちたあと、わずかな静けさが部屋に残る。
ダンゲルが口を開く。
「10年前、覚えているか?あることがあってから変わった。」
「あること?」
「ああ。皆既日食だ。」
「皆既……日食。」
言葉をなぞるように繰り返しながら、遠い記憶を探ると、暗く沈んだ空の感触だけがぼんやりと浮かび上がる。
「皆既日食が起きてから徐々に黒影が活性化された。」
「公式には記されてないがな。俺が調べた結果だ。」
(たしかに辻褄は合う……。)
思考だけが静かに組み上がっていく。
「それをきっかけにバランスが崩れたと?」
ダンゲルがゆっくりと顔を横に振る。
「逆だ。統制されたと言うべきだろう。」
その言葉に、マーベリックは顔を上げる。
「黒影がか?」
「ああ。そうだ。」
短い肯定が、胸の奥に重く残る。
ダンゲルが続ける。
「ルーフェンスのやり方は間違ってはいない。ただ――」
言葉が一瞬途切れ、その間に空気がわずかに沈む。
「ただ?」
「不穏な空気は拭い切れていない。それはお前も感じてるはずだ。」
「……。」
返す言葉はなく、代わりに胸の奥に沈んでいた違和感だけが静かに浮かび上がる。
「テセルスが…という意味ではない。世界全体的にな。」
視線の先が、部屋の外へと広がるような感覚。
ダンゲルがおもむろに立ち上がり、その動きを追うと客間の一角に置かれた魔鉱石へと手が伸びる。
「それに…活性化されたのは黒影だけじゃない。」
手に取られた魔鉱石が鈍く光を返す。
「魔鉱石も同時に活性化された。」
その光を見つめながら、言葉をなぞる。
「魔鉱石も……。」
(何かが動こうとしている?いや……もう動き出しているんだ。)
揺れる光の奥に、言葉にならない気配が滲む。
魔鉱石を見下ろしたまま、ダンゲルが静かに言う。
「マーベリック。自分の目で見たもの、感じたものを一番に考えろ。お前ならそれができる。」
「……。」
言葉は出ず、思考だけが深く沈んでいく。
ダンゲルが魔鉱石を元の場所へ戻し、椅子に再び座る気配が伝わる中、考えを巡らせたままマーベリックは動かない。
「すぐどうこうしろという話じゃない。」
「この外の世界には街や都市が点在している。」
「外の世界?」
「ああ。俺が勝手に言ってるだけだがな。」
細く笑う気配が伝わる。
「この大陸は西から東へ山脈が走っている。山脈に囲われた内側……テセルスとイヴァルナ領域を内の世界。」
「山脈より北側を外の世界と俺は呼んでいる。」
「……。」
(二分された世界……。)
頭の中で、見えなかった地形がゆっくりと形を成していく。
「外の世界には独自に発展した街や都市がある。ハーベイもそうだ。」
「このハーベイより北側……海沿いには海底鉱山の街がある。この魔鉱石もその鉱山から出た代物だ。」
「その先、イヴァルナの北側になるか?そこには魔鉱石を研究している街がある。」
言葉を追うごとに、視界の外へと世界が広がっていく感覚があった。
マーベリックはそのまま椅子の背に背中を預ける。
「なかなか広いんだな。外の世界は。」
ダンゲルがうなづく。
「俺が外の世界をまとめた物が書物庫にある。興味があれば見てみるといい。」
「そうさせてもらう。」
わずかな間が落ち、その静けさの中で言葉を選ぶ。
「ダンゲル。一つ聞きたいことがある。」
「なんだ?」
「なぜ…このハーベイに留まっているんだ?」
「……。」
ダンゲルは小さく息を吐く。
その吐息が触れた瞬間、部屋の空気がぴたりと止まった。




