第10話 下山①
夜明け前――
ひんやりとした空気が肌にまとわりつき、息を吸うたび胸の奥まで冷たさが通っていく。足元の水際にしゃがみ込み、手ですくった水を顔に当てると、その冷たさで意識が一気に引き締まる。
バシャバシャ
(ふぅ…やはりこの辺には黒影は出ないのか……。)
水滴を払うように顔を上げ、静かな湖面を見つめる。
(山の向こう側ももしかしたら安全な場所なのかもな。)
布で顔を拭いながら立ち上がり、そのまま寝床の方へと足を向ける。視界の端で空がわずかに明るみを帯び、朝日がゆっくりと顔を出すと、その光が水面に落ちて細かく揺れ、きらきらと反射していく。
「ウェンティ。そろそろ起きろ。」
横になっているウェンティへ声を落とす。
「ん……。」
わずかに体が動き、もぞもぞと布の中で身じろぐ。
「……。」
再び静けさが戻る。
マーベリックは小さく息を吐き、ウェンティにかけてあったマントをめくる。中で丸くなっていた体がわずかに縮まり、そのままゆっくりと伸びる。
「さぁ、起きろ。」
「ん…ん、起きる…起きるぞ…。」
寝ぼけたまま上体を起こし、ふらりと揺れる。
「湖で顔洗ってこい。目が覚める。」
声に従うように、ウェンティは目をこすりながら立ち上がり、そのまま湖へと歩き出す。足取りはおぼつかず、今にも崩れそうで、その様子を横目に見ながらマーベリックは寝床を片付けていく。
「大丈夫か…?」
背中越しに声をかけるが、返事はない。
「寝ながら向かってないか?あれ……。」
次の瞬間、水際に踏み込んだ片足が沈み、体勢が崩れる。
バシャッ!
「わわっ!」
バシャァァン!!
前のめりに、そのまま体ごと水へと突っ込んだ。
「言わんこっちゃない!」
思わず声を上げ、マーベリックは駆け出す。濡れたウェンティのもとへと一気に距離を詰め、水面に手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
引き上げられたウェンティは、全身びしょ濡れのまま顔をしかめる。
「おかげで目が覚めたわ……。」
「はっはっは。また乾かしてやる。」
「笑うな……。」
むくれた顔のまま口を尖らせる。
そのまま二人は畔に腰を下ろし、マーベリックが風を起こすと、湿った衣服と髪がやわらかく揺れ、温もりを帯びた風が全身を包み込んでいく。
「ん―…暖かくて心地良いのぅ……。」
目を閉じ、力を抜いたウェンティの前髪が風に揺れる。
「昨日も同じことしたよな?」
「そうじゃな……。」
乾いていく感触を確かめるように肩を動かす。
「マーベリックはわしの乾かし係じゃな。」
どこか誇らしげに言い切るその様子に、マーベリックは小さく笑う。
「だいぶ乾いたろ?片付けたら行くぞ。」
「見えた集落まで距離だいぶあるからな。」
ウェンティは立ち上がり、服についた砂を手で払い落とす。
寝床を片付け終え、二人は山の反対側へと向かい、昨日立った場所へと足を運ぶ。朝日が大地を照らし始め、視界の奥まで光が広がっていく。
「よく見ると集落というよりは街だな。」
目を細め、遠くを見据える。
「しかも昨日は気づかなかったが海沿いだ。」
風が二人の間を抜ける。
「人がいっぱいいるのか?」
「ああ。あの大きさの街ならいるだろうな。」
「よし、山を下りるぞ。」
ウェンティがうなづき、そのまま二人は斜面を下りていく。




