【第6回:愛犬との別れと、霧の晴れ間 — 感情のコアは死なない】
2020年10月10日。その日は突然やってきた。
長年、母の傍らで「小さな守護者」として生きてきたハッピーが、ついに息を引き取った。
1. 強力な割り込み信号(Interrupt)による覚醒
認知症が進み、短期メモリが壊れ、さっき話したことも忘れてしまうはずの母。しかし、ハッピーの死という強烈な事象は、母の脳内に強力な割り込み信号を送ったようだった。
母はハッピーが死んだことを正確に理解し、その喪失を深く、深く悲しんだ。
その日、私は母を連れて「きんのぶた」へ行った。
しゃぶしゃぶを囲みながら、母は「美味しい、美味しい」と口に運び、ハッピーのことを語った。何を話したか詳細は思い出せないが、あの時の母は、認知症の霧が完全に晴れたかのように、驚くほどまともに会話が成り立っていた。
ハッピーというアンカーを失った悲しみが、皮肉にも母の意識を一時的に「こちら側」へ引き戻したのだ。
2. 翌朝の「フルリセット」
しかし、認知症というバグはあまりに無慈悲だった。
翌日、実家を訪ねると、玄関の鍵が開いたまま、母は2階で眠っていた。
前日のハッピーの死、葬儀、共に囲んだしゃぶしゃぶの味……。その一切が、母の脳内から「ロスト(消失)」していたのだ。
昨日あんなに悲しみ、ハッピーを見送ったはずなのに、起きてきた母は「ハッピーはどこ?」と聞いてくる。
昨日、あんなに「美味しい」と笑い合った記憶も、何一つ残っていない。
感情だけが置き去りにされ、事象が消えていく。その「リセット」された朝の静けさは、どんなインシデントよりも残酷に感じられた。
3. 【提言】「どうせ忘れる」は間違いである
この経験から、私は確信した。「感情のコア(核)」は最後まで壊れないのだと。
たとえ翌日に事象を忘れてしまうとしても、その瞬間に「美味しい」と感じた喜びや、別れを惜しんだ尊厳は、間違いなくその時の母のものとして存在していた。
「どうせ忘れるから、何をしても無駄だ」と効率化を求めるのは、その人の魂の輝きを無視することに等しい。
介護の本質とは、たとえ一晩で消えてしまう砂の城だとしても、その瞬間に「良い感情」という灯をともし続けることなのかもしれない。
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