【第5回:五月雨式の崩壊 — 限界点(デッドライン)を超えた夜】
2019年後半、私のログには、もはや個人の努力ではパッチを当てきれないほどのインシデントが並んでいる。
1. 壊れていく「認識」と、加速する不一致
入院を経て自宅に戻った父は、もはや「食べ物」の概念すら怪しくなっていた。
ある日、お弁当とバナナを買って実家へ行った時のことだ。少し目を離した隙に、父はお弁当の中に、皮がついたままのバナナを突っ込み、蓋をしてケラケラと笑っていた。
それを見た母は「食べ物に何てことするの!」と激怒したが、父は何が悪いのか全く分からない様子で、ただ楽しそうに笑っている。
「あぁ、もう食べ物の認識すら希薄になってしまったんだ……」
エンジニア的に言えば、オブジェクトの型認識が完全に壊れてしまった状態。正論で怒る母と、理解不能な行動を笑う父。その埋まらない溝を見て、「このシステムはもう修復不能だ」と確信した。
2. 繰り返される110番と、母の恐怖
父の認識が壊れるのと同期して、母の「不審者誤認(110番通報)」もピークに達した。
「知らない男が家にいる」と怯え、枕元に護身用の包丁を置く母。一方で、わけも分からず拒絶され、家から追い出される父。二人の間に流れるのは、もはや愛情ではなく、剥き出しの恐怖と殺意に近い緊張感だった。
3. 冬の締め出しと、生命維持の限界
そして、あの12月の寒い朝を迎える。
実家に駆けつけると、父が暖房も布団もないソファで、仰向けのまま硬直していた。母に外へ締め出され、一晩中凍えきっていたのだ。
呼びかけてもうっすらとしか反応しない、痙攣のような動き。
「このままでは、父が死ぬ。あるいは、母が父を殺してしまう」
それは、管理限界を遥かに超え、一人の人間として生命維持の責任を負いきれなくなった瞬間だった。
4. 濁流の中の「緊急避難」
「もう、一刻の猶予もない」
結局、グループホームができるまでの間、同系列のリハビリ施設に「一時入所」させてもらうことになった。それは理想の選択ではなく、崩壊した戦場からの「緊急避難」だった。
父を施設に預けた日のことは、今でも鮮明に覚えている。
徘徊から保護され、その足でそのまま施設に連れて行き、書類を書いてお預けした。その際、父は壊れかけの精神の中でも「ここに置いて行かれるんだ」ということを認識したのか、二、三度、何かを言いたげに振り返り、帰りたいそぶりを見せながら職員の方に奥へ引き連れられていった。
あのままでは本当に生死に関わる状況だった。今でもあの選択は最善だったと確信している。だが、あの時振り返った父の光景は、今でも脳裏にこびりついている。
家庭内での最悪の事態(事件)を避けられたという巨大な安堵感と、割り切れない想いが内包する、何とも言えない夜だった。
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