第48話:混乱
「……………………ロー、ラ?」
そして現在。
冷め切った空気の中で、ザイラスの小さな声が響き渡った。
だが、それに対するローラの反応はない。
彼女は、無反応のまま虚空を眺めている。
「ざ、ザイラス様、どうしたんですか?今日は来ないんじゃ……」
立ち尽くすザイラスに、テオドールが歩み寄って来た。その顔には、どうしてザイラスがそのような反応をするのか理解できないと書いてある。
それもそのはず。テオドール達は、カンナがロザリアに送った手紙と同じで「ローラ・シュバリエを襲え」という命令の手紙を貰っていたのだ。
カンナが撒いた餌は、その手紙の事だった。
そして、まんまとカンナの思惑通りにここへやって来た彼等は、ザイラスからの命令だと思い込みながらこの場でローラに下劣な行為を及んだのだ。
「……」
「ざ、ザイラス様?」
テオドールは、無言のまま動かなくなったザイラスにただただ困惑するしかない。それを見ていたライアンも、他の生徒達も同じ反応だった。
しかし、そこでいち早く動き出したのはザイラスではなかった。
「何をやっているんだお前らは!?」
そう彼等を叱責したのはルシアンだった。その鬼のような形相にテオドールはビクッと肩を震わせ、他の生徒達も目を見開いた。
「どけッ!邪魔だ!」
変わり果てたローラに駆け寄ったルシアンは、彼女の周囲にいた生徒達を突き飛ばす勢いで押しのけた。
「ローラ様!ローラ様ッ!」
ルシアンはそう声をかけ続けながら、制服の上着を脱いでローラに被せた。そして、彼は彼女の身体を汚すそれを水魔法で洗い流し始めた。
「ローラ様!」
「シュバリエ嬢!しっかりしてッ!」
あとから続いたアレンとロザリアは、ローラの怪我の具合を見て応急処置を始めた。
その緊急事態でも起こったような形相の3人に、ライアン達はただただ混乱するしかなかった。
「なんでこんなことに……っ!」
「かなり殴られてるな……クソッ!なにを考えてるんだお前らはッ!」
「は、だ、だって……」
「構うなアレン!今はローラ様が最優先だ!」
「チッ、分かってる!」
思わずそう怒鳴ったアレンに、周りの生徒達はただただ混乱していた。その様子に舌打ちしながら、アレンはローラに向き直った。
顔だけでなく、腕や足、胸や腹にまである傷や痣は、ローラがどれほどこの場で抵抗したのかが分かる。されるがままになっているローラの目には、生気を感じない。
ルシアンとアレンは己の制服を破いては包帯代わりにしていくが、傷が多過ぎて布が足りない。
「保健室に運びましょう!ここじゃちゃんと手当てできる物がないわ!」
それを見かねたロザリアがそう言うと、すかさずルシアンがローラを抱き抱えた。
「アレン、お前はロディアス様とレイファス様に報告を、私はスカーレット嬢と共にローラ様を保健室へ連れて行く」
ルシアンがそんな指示を出したその時だった。
「い、や…………」
「ローラ様……ッ?」
「いやぁああああああああッ!!!!!!!」
「ッ!?」
突如ローラの口から悲痛な悲鳴が上がった。それはあまりにも痛々しい絶叫で、この場にいる全員が思わず固まってしまう。
「あ゙あ゙あ゙ぁぁあああっ!!!!!いやぁ、い゙や゙ッ……!い゙や゙あ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁぁぁああああ!!!!」
傷だらけの身体で暴れ出したローラは、ルシアンから離れようと躍起になって暴れていた。その細い腕や足をめちゃくちゃに振り回す彼女の姿は、自分に触れて来る者に全力で抵抗していた。
これ以上触られるのは嫌だ。殴られるのは嫌だ。痛いのは嫌だ。そんな言葉が聞こえてきそうなほどに、今のローラは錯乱していた。
(まさか……まさか、これが貴方の仕組んだ事だというの?婚約者候補を辞退する為だとしても……こんなことって……ッ)
その姿を見て、ロザリアは血の気が引いていた。
ローラに渡された手紙の通りに動いたとはいえ、ロザリアは彼女がこんな風になるなんて思ってもみなかったし、彼女がこうなる事を望んでいたわけでもなかった。
婚約者候補を辞退すると約束したローラが、まさか集団から暴行に合うなんて誰が思うだろうか。
死にたがり令嬢などと呼ばれて嘲笑われていたローラが、こんなにもボロボロになって泣き叫んでいる。彼女が虐げられる姿なんて、泣いている姿なんて初めての光景ではない。そのはずなのに、同じ貴族令嬢としての矜持をズタズタにされたであろうローラに対して、ロザリアは胸を貫かれたような気分になっていた。
そして、ロザリアはこれから更に何かが起こる気がしてならなかった。
なぜなら、ロディアスが駒に対して出していた命令で絶対に守るべきものの中に「ローラ・シュバリエに性的暴行を加えない」というものがあるからだ。
この場にいるロザリア達だけじゃなく、テオドールもライアンも、他の男子生徒達も全員がそれを知っている。
なのに、彼等はその命令に背く行為を行った。
しかも、その現場をザイラスに見られてしまった。
ロザリアは、唯一この場の全て知っている立場にあるからこそ気丈に振る舞いこそしているが、その心は恐怖に侵食されていた。
「ローラ様ッ!落ち着いてください……うっ!」
「ルシアン……!」
未だに暴れるローラの手が、ルシアンの顔に直撃する。しかしルシアンは、真っ直ぐにローラを見つめる。
(あの時、私達が離れなければ……ッ、こんな事には……!)
そう思いながら、ルシアンは暴れるローラを宥める。しかし、ローラは依然錯乱し奇声を発したまま暴れている。
「ヴィンセント卿!私が彼女を連れて行くわ!」
「ッ!しかし……ッ」
「彼女は今、貴方が男性だから混乱してしまってるのよ!そこの者達と同じに見えてるの!」
そう言ってロザリアが指を差したのは、ライアンとテオドール達だった。それを見てロザリアの言葉の意味を漸く理解したルシアンは、彼女にローラを預けようとする。
「俺が連れて行く」
「え……ッ」
しかし、ロザリアを押し退けるように現れたのは、先程まで立ち尽くしていたザイラスだった。
「ザイラス様!今のシュバリエ嬢に近付かないで下さい!」
「うるせぇ……黙ってろ」
「ザイラス様ッ、ここはスカーレット嬢に任せた方が……」
「うるせぇ!さっさと渡せよ!」
急に怒鳴り散らすザイラスに、ロザリアもルシアンも急にどうしたんだと困惑するしかない。
「ここでローラの手当てすんのは、俺が一番良いに決まってんだろ」
「なっ、なにを言っているのですか!?」
「ザイラス様!今までと今回は状況が違います!」
「チッ、この間からなんなんだよテメェ……ただの監視如きが俺に指図すんじゃねぇ!」
「ゔっ!?」
「ルシアン!」
「ザイラス様ッ!」
ザイラスはそう怒鳴り散らし、ルシアンに鋭い蹴りを入れ強引にローラを引き剥がした。
「ああ、ローラ……こんな風になっちまって」
暴れるローラの腕をザイラスは無遠慮に掴み上げる。それでも尚暴れ抵抗しようとするローラに、ザイラスは「可哀想に」と哀れみの目を向ける。だが、その目の奥には仄暗い感情が見え隠れしていた。
その異様な光景に、ロザリアだけでなくルシアンとアレンもゾッとする。
「オイ、監視のお前らはそこの連中とっ捕まえてろ。全員だ。ぜってぇ逃すな」
「ザイラス様……ッ」
「ッ……承知しました」
「ロザリア、お前はもう帰れ」
「は、で、ですが!」
「帰れよ。もうお前に出来ることなんてねぇし、邪魔になんだろ」
「なっ……」
ここに来て持ち前の暴君っぷりを発揮するザイラスに、ロザリアはただただ絶句する。
ザイラスから捕まえろと言われたテオドールとライアンは「は?」「なんで……」と冷や汗を流していた。
アレンとルシアンは渋々ではあるが命令は命令なので、そんな彼等を捕まえる為に魔法を発動しようと構えた。
「ローラ、大丈夫か?」
その最中で、ザイラスが再度ローラにそう声をかける。
すると、抵抗していたローラが急にピタッと動きを止めた。
「あ…………」
「ッ!ローラ!俺だ、ザイラスだ。分かるか?」
「ザイ、ラス……さま…………?」
「ああ、そうだ。ごめんなローラ、助けに来るのが遅くなっちまった……この責任は必ず俺が──」
その後に続く言葉は、ザイラスの様子を見守っていたロザリアでも分かるくらいにはこの場に相応しく歪なものだっただろう。
だが、その言葉はザイラスの口から発せられる事はなかった。
「ザイラスさま…………どうして……?」
「え?」
なぜなら、それよりも先に、ローラがそんな言葉を零したからだ。
「どうして…………私に……こんなことを……っ?」
掠れた声でポロポロと涙を流し始めたローラは、信じられないものを見る目でザイラスを見つめていた。ザイラスは、その言葉の意味を理解するのに一瞬呆気に取られた。ローラは今、なんて言った?と。
それは周囲で聞いていたロザリア達にも聞こえていた。ロザリアは思わず息を呑み、アレンとルシアンは魔法を発動する手を止めた。
「私に……好きな人が、できたから……ッ……こんなことを…………?」
「は……?いや、ちがっ、違う!俺じゃな──」
「それならどうして、あの人達の口から……ザイラス様の名前が……ッ?」
「はぁ?そっ、そいつらが勝手に俺の名前を使っただけだろ!?」
「うぅっ……うううっ……」
ローラの言葉で我に返ったザイラスは、己が置かれている状況が非常に不味いと理解し、すぐにそう言い返した。
だが、泣いて俯いてしまったローラに、彼の言葉は届いていなかった。
ローラは、両手で顔を覆いながら、叫んだ。
「ザイラス様のこと…………信じてた、のに……ッ!」
彼女の悲痛な言葉に、ザイラスの手から力が抜けた。
その隙をつくように、ローラはザイラスの拘束から脱出すると、ボロボロの身体を引き摺るようにしてその場から逃げ出した。
「ッ!シュバリエ嬢!」
ハッと2人のやり取りを見守っていたロザリアが、慌ててその後を追う。
残されたザイラスは、ローラを拘束していた両手を見つめる。
先程まで愛しいローラをこの手に掴んでいたのに、彼女はもうその手の中にいない。
自分の事を信頼し切っていたはずのローラが、まるで敵を見るような目でザイラスを責めてきた。
ローラは、初めてザイラスから逃げ出したのだ。
「………………………………は?」
その事を漸く理解したザイラスは、ただただ呆然とするしかなかった。




