第49話:凄惨な光景
「シュバリエ嬢!シュバリエ嬢ッ!待って!」
ローラを追いかけるロザリアは、傷だらけの彼女の腕を漸く掴んだ。
「シュバリエ嬢……ッ」
応急処置とはいえ、ローラの身体は傷だらけのボロボロのままだ。服だってルシアンの物を羽織っただけで、酷い有様であることは変わらなかった。
そんな彼女が学園内の人目のつく場所を駆け抜けたら、事情を知らない教師も生徒も驚くだろう。
「どうか、どうか落ち着いて……」
「…………」
懇願するようにそう言うと、ローラは無言のままその場に留まった。
「シュバリエ嬢……その、何から聞けば…………ッ」
ロザリアの頭の中は今だに混乱していた。
手紙を貰ってそれ通りに動いた結果、ローラが集団から暴行を受け、酷い有様になった。それは理解している。なのにローラがわざわざ自らを犠牲にする必要性があるのか?そもそもどうしてこんなことになっているのか?と、ロザリアは次から次へと浮かぶ疑問に頭を悩ませ、上手く言葉を続けられずにいた。
すると、無言のままだったローラが口を開いた。
「ふふ……どうして貴方がそんな顔を?」
「……え?」
この状況下に似つかわしくない小さな笑い声にロザリアは目を見開く。
さっきまでは虚空を眺め、空虚な目をしていたはずのローラ。
だが、今ロザリアの目の前にいる彼女の瞳には明確な強い意志が宿っていた。
その変わりように息を呑んだロザリアに、ローラは叫びすぎて掠れた声で言葉を続ける。
「そんな焦った顔をしなくても、遅かれ早かれ……私はこうなる運命だったのでは?と聞いているんです」
「な……そんなことは……ッ」
「今までは運良く回避できていただけ。私を襲いたいと……そう思っている生徒があれだけいたのが何よりの証拠です」
「ッ……」
ローラの言う通りだと、ロザリアは顔を歪める。
今までは、ザイラスを始めとした王子達からの牽制によって駒達を制御できていた。だが、その駒の中には、渋々命令に従っていた者もいた。
ローラは、その者達に目をつけ、ザイラスからの手紙を偽造した。
そして──自らその身を差し出した。
「どうして、こんな方法を……?」
思わず声が震えてしまうほどに、ロザリアは分からなかった。ローラがどうしてそんな事をしたのか。
すると、ローラはニコリとこの場に似つかわしくない笑みを浮かべた。
「どうして?婚約者候補を辞退する為に決まっているじゃないですか」
「…………ッ」
予想できていた答えの筈なのに、ロザリアにはそれがゾッとする程に恐ろしい答えに聞こえた。
「婚約者候補の条件は、主に侯爵家以上の地位を持つ令嬢であること、教養と礼節があること、そして貞操関連に問題がないこと。好きな殿方が他にいるから辞退したいと言ったのに、ロディアス様達はそれを保留にした。すぐに辞退させて貰えないのなら、こうするしかないでしょう?」
「でも……!」
「スカーレット嬢だって、私の辞退をお望みでしたよね?」
「ッ!それ、は……」
「大丈夫です。貴方は何も気にしなくていいんです。今までのように」
「あ……」
そうだ。確かにその通りだとロザリアは思った。
今まで散々ローラに嫌味を言って、嫌がらせも傍観していた自分が、いったい今どの立場から彼女を止めることができるだろうかと。今まで散々無視してきた彼女を、どうして今更になってこんなにも心配しているのだろうか。
「…………誰か来ますね」
「え……」
「スカーレット嬢、ここは私に合わせて下さい」
状況について行けていないロザリアに、ローラはそう言ってその場に小さく蹲り始めた。
「うっ……うぅ……」
そしてポロポロと涙を流し始めた彼女に、ロザリアは形容し難い恐怖を感じつつも、言われた通りに彼女に寄り添った。
「スカーレット嬢?ここで何をして……」
そうして現れたのは、怪訝な顔をしたレイファスだった。
「…………ローラさん?」
ローラに気付いたレイファスに、ロザリアは先程までの恐怖が表に出ないよう彼に目を向ける。
「れ、レイファス様……あの」
「何があったのか説明してください……スカーレット嬢!どうしてローラさんがそんな姿に……ッ!?」
明らかに動揺しているレイファスに、ロザリアは無理もないと思った。まともな服も着ておらず、ボロボロになって泣いているローラを見れば、あの冷静沈着なレイファスでも驚くだろうと。
しかし、どう伝えるべきかロザリアは迷った。そのまま伝えるにはあまりにも悲惨な現場だった。普通の口では到底言える訳がない。
「……さっきの出来事をそのまま説明してください」
「ッ!」
「言いにくいのなら、私の言葉に続いて」
言葉に迷うロザリアに、ローラがそう小さく声をかけてきた。レイファスには聞こえない声量で言ったその言葉は、そのまま説明しても何も問題はないと、そんな確信が感じられた。ロザリアは、小さく頷きながらローラの言葉をそのまま復唱する。
「……カークランド侯爵家のライアン・カークランドと、デュモン伯爵家のテオドール・デュモンが……シュバリエ嬢を複数人で襲い、集団で……性的暴行を行ったようなのです」
恐る恐る開いた口から出る不安からくる声の震えが、今だけは悲惨な現場を見てしまった令嬢が恐怖しているように見えただろう。
「…………は?」
それを聞いたレイファスからは、困惑と同時に信じられないという声が零れた。
「なぜそんなことに……?監視の2人は何をしていたのですか!?」
そして、レイファスが怒鳴るようにそう聞いてきた。
ロザリアは、俯きながら答えた。
「そ、それが……私の所為なのです」
「……は?どういうことですか?」
「今日、貰った手紙に……監視の2人をザイラス様の元へ連れて行くようにと指示書きがあって、それをザイラス様の指示だと思い、2人をシュバリエ嬢から引き離してしまって……」
「まさか……その隙に?」
「ッ……はい」
「……分かりました。詳細はまた後で聞きます。スカーレット嬢は、ローラさんを保健室へ。私は現場に向かいます。場所はどこですか?」
「ここから先にある空き教室です。ザイラス様と監視の2人がまだいるかと……」
それを聞いたレイファスは、すぐに現場に向かって行ってしまった。無闇にローラに近寄らなかったのは、暴行された彼女を思っての行動だろうとロザリアはそう考えた。
「…………行きましたね」
「え、ええ」
レイファスの足音が遠くに行った頃合いで、ローラが顔を上げた。先程まで泣いていた演技をしていた彼女は、そのまますくっと立ち上がる。
その切り替えの早さを見てロザリアは言葉を失う。
「では、私達は保健室に向かいましょうか。肩を貸して頂けますか?スカーレット嬢」
「シュバリエ嬢、貴方は本当に……」
「話は後でしますので、今はここから離れましょう」
不自然に思われないようにね。とそう笑うローラにロザリアは黙って頷くしかなかった。
「ザイラス!……ッ!」
一方その頃、現場に駆け付けたレイファスが見たのは凄惨な光景だった。
教室の備品は壊れ、窓は無事なものがないくらいに割られている。壁や床に飛び散っているのは、乾いた生々しい液体やまだ新しい赤い液体ばかり。
そしてその付近には、顔の原型を留めていないほどに殴られた生徒や、腕や足があり得ない方向に曲がっている生徒が呻き声と共に転がっていた。ほとんどの生徒が、まともに服を着ていない。ここまで酷い現場はレイファスでも初めて見る。
そして、その中央ではザイラスがゴッ!ゴンッ!と馬乗りになって人を殴りつける鈍い音が響き渡っていた。
「これは……っ、監視の2人はどこに…………」
あまりの光景に口元を覆うレイファスだったが、こうなる前に監視がザイラスを止めているはずだと辺りを見渡した。
「なっ……!?しっかりしなさい貴方達!」
そして、すぐに見つかった。
レイファスが入ってきた入り口の丁度死角になる所、そこにルシアンとアレンがそれぞれ倒れ込んでいたのだ。
2人は他の生徒よりも軽症ではあるが、一発で気絶させられたのか、レイファスの声に反応せずピクリとも動かない。
そしてその間も、ザイラスは殴る手を止めずにいた。
「チッ……ザイラス!!!!いい加減にしろッ!」
レイファスがそう怒鳴った。
だが、聞こえていないのかザイラスは相手の顔を潰す勢いで殴り続けている。それを見てため息を吐きつつも、レイファスは、ザイラスが振り上げた腕を強引に掴み上げた。
「いい加減にしろと言っているだろッ!やめろこの馬鹿が!」
「……せぇ、離せ」
「ザイラス!」
「うるせぇんだよッ!!!!」
バッ!とザイラスは暴れるようにレイファスの腕から逃れると、そのまま跨っていた相手の鼻に拳を振り下ろした。ゴキャッ!という鈍く酷い音が、辺りに響き渡る。
「ハァ……ハァッ…………」
返り血塗れになったザイラスの瞳孔は開き切っており、その拳は皮が捲れるほど真っ赤になっていた。
レイファスは、少し落ち着いた様子のザイラスに呆れつつも口を開いた。
「…………先程、ローラさんにお会いしました。スカーレット嬢から何があったのかも聞いています」
「……」
「お前が今跨ってるのは主犯のどっちだ。ライアン・カークランドか?それともテオドール・デュモンか?」
「…………」
「ハァ……全く、ここまで暴れ回っては事後処理が大変だな」
なんの反応もしないザイラスに、レイファスはそう言うしかなかった。
レイファスは、ザイラスの下でボロボロになっている人物の髪や瞳を軽く見て「これはライアン・カークランドだな」と零した。ライアンは先程の鼻先へ振り下ろされた拳の影響で、顔の形がほとんど変わってしまっている。顔の穴という穴から流れている体液は見れたものではない。
そして改めて辺りを見渡すと、テオドール・デュモンが黒板付近で倒れていた。そして、ライアンと変わらないくらいにボロボロにされていた。足や腕が向いてはいけない方向を向いているのは他と変わらないが、顔の原型がない。血を吐き過ぎたのか口周りらしき所は血だらけになっている。
「気持ちは分かるが、これはやり過ぎだ。今日はロディ兄様が公務で先に帰っていたとはいえ、王宮に戻ったらちゃんと話を──」
「ローラに、嫌われた……」
説教臭く言うレイファスの言葉を遮って、ザイラスがボソッとそう言葉を零した。
「……は?」
それを聞いて目を見開いたレイファスに、ザイラスは今にも泣きそうな顔で血だらけになった己の拳を見つめる。
「ローラが、ローラが俺から逃げて…………」
「どういうことだ?」
「俺のせいだって……俺じゃ、俺じゃないのに……こいつらのせいでッ、コイツらのせいでぇええッ!!!!」
レイファスの言葉が聞こえているのかいないのか、ザイラスは再びその顔を憤怒に染めていく。レイファスは、弟から感じる異常な雰囲気を漸く理解した。
「ザイラス、ライアン達には直接話を聞く必要がある…………殺すなよ」
そして、状況を把握する為にとそう冷たく言い放ったのだった。




