第23話:予想外
草木が大きく揺れる音が、庭園に落ちた。
キャーーーーッ!と周囲にいた生徒達から悲鳴が上がる。
3階から落ちたローラに誰もが動揺を隠せなかった。
ローラは、庭園の植え込みの上に落ちた。潰れた植え込みの上で血を流し、ピクリとも動かない。その顔は虚で、生気を感じない。
それを目撃した全員の顔が真っ青に染まった。
その中でも顔面蒼白で滝のような汗を流していたのは、たった今自分の手でローラを突き落としてしまったラヴェナだった。
「ちが、違う……私のせいじゃ……っ」
ロディアス達の命令で動いていたラヴェナにとって、この状況はあまりにも致命的だった。
ローラ・シュバリエは、決して死なせてはならない。
それが、ロディアス達に散々言われてきた命令だった。
致命傷を与えない、性的暴行を加えない、毒を盛らない……などなど、あらゆる命令がある中でそれは最も重大な命令だった。
それなのに、ラヴェナは今ローラを突き落としてしまった。事故とはいえ、どう見てもラヴェナが突き飛ばしたのは明白。
「ら、ラヴェナ様……!どうするのですか……!?」
「このままじゃ私達……ッ」
「わっ、分かってる……分かってるわよ……ッ!今は急いであの女の処置を──」
「ラヴェナ・レイブン伯爵令嬢」
ラヴェナ達が慌てる中、全員を黙らせる無慈悲な声が彼女達の言葉を遮った。
ヒクッと、ラヴェナの喉が引き攣った。
「ろ……ロディ、アス……さま……」
ラヴェナの目の前に現れたのは、彼女が今最も恐れているロディアスだった。
「これはどういう状況なのかな」
「あの……これはッ」
「ローラが落ちたようだけど、いったい何が起こればそうなるんだい?」
「あ……えっと……」
ロディアスから放たれる禍々しい雰囲気に、ラヴェナは呼吸を忘れる。何か言わないといけないのに、ロディアスの圧にラヴェナはただただ口がわなわなと震えるだけだった。
「ねぇ、レイブン伯爵令嬢。私は今君に聞いているんだ。どうしてローラをここから突き落としたのかを」
「ち、ちがッ……」
「何が違うんだい?どう見ても君が突き飛ばしただろう?」
「あ……」
ガタガタと震えるラヴェナに、ロディアスはニコニコとこの場に不釣り合いの笑みを浮かべる。
「レイブン伯爵令嬢。君は私の命令をちゃんと聞いていたのかな?」
「…………ッ」
「ローラを複数人で虐めて、彼女がその場から逃げ出すように誘導させる……たったそれだけだったはずだよ。なのにどうして、君は彼女を突き落としたんだい?近くに私がいると、分かっていたはずだよね?」
底冷えするような目が、ラヴェナを睨みつける。なのにその顔は不気味なくらい怒りを感じない。
なのに、どういうわけかラヴェナには彼が激怒しているのが手に取るように分かった。ロディアスの冷酷さは、ラヴェナもよく知っていた。
ローラを虐めて自分が助けるというイカれた人間性もそうだが、ロディアスはローラ以外の人間に全く興味がない。全ての人間が自分の駒だという事を信じて疑わず、彼に逆らった駒は皆この世界から消されてきた。
ラヴェナはそれを知っていた。だから、こんなにも死にかけのような呼吸しかできないのだ。
「……君の処遇は後で決めるよ。もちろん、この場にいた君達もね」
ロディアスは、ラヴェナの取り巻きと野次馬達を睨んだ。その冷酷無慈悲な目に、全員がビクッと肩を震わせ己の未来は破滅に向かった事を理解させられたのだった。
「ローラ!ローラッ!!!!」
「しっかりして下さい!ローラさん!」
ロディアスがラヴェナ達を問い詰めているその下では、レイファスとザイラスがいた。
騒動を聞きつけた彼等は、ローラが3階から落ちたことを知り、すぐに神官の要請と応急処置に取り掛かった。
頭から血を流し、制服から見える素肌にも傷を負ったローラの身体。足や腕は植え込みがクッションになったことで折れていないようだが、打撲痕が痛々しかった。
「誰だ……誰がローラを落としやがったッ!」
「上で見えたのは恐らくレイブン伯爵令嬢だ。もうロディ兄様が対応しているだろう」
「レイブン……ッ!?あの貧乏伯爵家の女が!?許さねぇッ……!」
「ザイラスッ!今私達のすべき事は、ローラさんを助ける事だ。集中しろ!」
「チッ、クソッ……!」
レイファスが声を荒げるほどに、今のこの状況は誰にも予想できなかった事だった。
ローラが自分の意思で飛び降りるのは、決まってシュバリエ家の屋敷だった。学園でするのはせいぜい自傷行為ばかりで、彼女が飛び降りる可能性はゼロに等しかった。
ロディアス達が命令している者達には、ローラを死なせない程度に苦しめることを許可していた。だが、殺すことや死なせることは許可していない。
だから、誰かがローラを突き落とすという事はなかった。
それなのに、ローラはレイブン伯爵令嬢によって突き落とされた。
「レイファス様!神官が急ぎでこちらへ向かっています!」
「もっと急げと伝えなさい!ローラさんが死んでしまってもいいのですか!?」
「は、はい!」
「おい!突っ立って見てねぇでお前らも何か持って来い!治癒魔法使える奴連れて来いボンクラ共!」
「はッ、はいぃいッ!!!!」
レイファスとザイラスが教師や生徒にそう指示すると、周囲の人間は慌ただしく動き回る。
レイファスは、ローラの胸元に耳を近付け心音を確認する。問題なく聞こえてくるが、やはり弱まっているのを感じ取り彼は焦る。
「急がないと……ッ、ローラさん!聞こえていますか!?」
手当をしながらレイファスはローラに声をかけ続ける。ザイラスは怪我の具合を確かめては処置するを繰り返していた。そうして数分が経つと、ザイラスの顔に笑みが浮かんだ。
「出血止まった……!思ったよりも血は出てねぇみたいだ!」
「植え込みがクッションになったお陰ですね。ザイラス、貴方はそのまま手当てを、私は神官達が早くここへ来れるように道案内をしに行きます」
「分かった!ローラの事は任せろ!」
レイファスはザイラスのその返事に頷くと、そのまま走って行ってしまった。ザイラスは、普段から武術を習っていて良かったと心底実感していた。ザイラスにとって怪我は当たり前の出来事だ。手当ての仕方も、応急処置の仕方も熟知している。
「ローラッ!目を覚ましてくれ……ッ」
だからこそ、彼はローラが目覚めるよう彼女の手を取ってそう叫んだ。
「ローラ・シュバリエが3階から落ちたって……!」
「え、嘘!?」
「もし死んだらどうなるの……?私達、大丈夫よね……?」
「な、何もしてないんだから大丈夫よ!」
「おいおい……あれ本当に死んだんじゃ……ッ」
「馬鹿ッ!適当なこと言うなよ!」
「落としやがったのレイブン伯爵令嬢だとよ……」
「はぁ!?アイツふざけんなよ!俺達まで被害受けるかもしれねぇのに!」
庭園や各階の回廊に、生徒達が集まってくる。そして誰もが、ローラが落ちて重傷を負っている事に肝を冷やしていた。目の前の光景が信じられなかったり、保身に走ったり、ラヴェナに怒ったりと、ほとんどの生徒がローラへ加害しておきながら無関係を装った。
全員知っているのだ。
ローラを死なせてはならないという絶対的な命令を。
ロディアス達からの報酬を目当てに、彼等はローラを無視し、嫌がらせし、暴力を振るってきた。
だが、死なせてしまったらそれは家紋だけでなく人生の終わりを意味する。
だからこそ、今の状況は彼等にとって最悪でしかなかった。ローラという、虐めれば虐めるほど甘い報酬が貰える人間が、死にかけている。今の彼等には、ローラが全てを壊す爆弾にしか見えないだろう。
ローラが死んだらどうしよう?
ローラがいなくなったら自分の家はどうなる?
ローラが死んだ時、自分は王家から逃げられるのか?
と、彼等の頭にはローラの心配よりも、そんな自分可愛さに出てくる心配ばかりが占めていた。
だから彼等は、醜くローラの無事を祈った。その自己保身しかない何の価値もない祈りは、カンナが見たら「くだらな」と吐き捨てるレベルには醜悪だった。
そんな混乱状態の庭園に神官達が到着したのは、その数分後だった。




